江戸時代の身分とくらしとは? 武士・百姓・町人のくらしと、村のしくみをわかりやすく
教科書では:東京書籍「江戸幕府と政治の安定」の「人々のくらしと身分」/教育出版「幕府の政治と人々の暮らし」の「人々の暮らしと身分」/日本文教出版「武士による政治の安定」の「江戸時代の身分制と人々のくらし」
- 江戸時代の人々は、武士・百姓・町人などのに分かれてくらしていました。
- 人口の大部分(8割ほど)をしめた百姓は、村で田畑を耕し、年貢を納めました。
- 町人(商人や職人)は、城下町などの町に住み、商売やものづくりをしました。
江戸幕府は、身分のしくみによって、どのような世の中をつくろうとしたのだろう。
読み終えたら、下の「問いへの答え」を見る前に、自分の言葉で答えてみましょう。江戸時代の身分
生まれた家で決まる身分
江戸時代の人々は、生まれた家によって、いくつかの身分に分かれていました。おもな身分は、武士・百姓・町人です。
ほかにも、朝廷に仕える公家や、お坊さん、神主などがいました。身分は、ふつう親から子へと受けつがれました。
人口の8割は百姓
人口がいちばん多かったのは百姓で、人口の8割ほどをしめていました。
武士は、人口の中ではわずかでした。しかし、政治を行い、ほかの身分の人々を支配しました。
| 身分 | おもな仕事 | おもに住んだ場所 |
|---|---|---|
| 武士 | 政治を行い、戦いにそなえる。名字を名のり、刀を差すことが認められた | 城や城下町 |
| 田畑を耕し、年貢を納める | 村 | |
| 商人は商売、職人はものづくりをする | 城下町などの町 |
江戸時代の人々は、生まれた家で身分が決まりました。おもな身分は武士・百姓・町人で、百姓が人口の8割ほどでした。
百姓のくらし
田畑を耕し、年貢を納める
百姓は村に住み、田畑を耕して米や野菜などをつくりました。とれた米の多くを、として領主(幕府や藩)に納めなければなりませんでした。

村を運営する村役人
村は、百姓の中から選ばれた村役人によって運営されました。村の代表を、東日本では、西日本では庄屋とよびました。
名主(庄屋)は、組頭・百姓代とともに、年貢を集めて納めたり、村の書類をつくったりしました。年貢は、村ごとにまとめて納めることになっていました。
五人組
村や町では、近所の5けん前後の家を1つの組にしました。これをといいます。五人組は、年貢を納めることや村の安全について、組の中でいっしょに責任を負いました。
五人組は、1633年ごろに全国で決まりとしてつくられました。年貢を確実に集めることと、キリスト教の信者などを取りしまることがねらいでした。
村には「五人組帳」という帳面が残っています。そこには、年貢の納め方や、けんか・火事のときのことなど、組の人が守る決まりがこまかく書かれています。
組のだれかが年貢を納められなかったり、決まりを破ったりすると、組の全員が責任を負います。そのため、組の人どうしで助け合い、おたがいを見はり合うようになります。幕府や藩は、こうして年貢を確実に集め、人々をまとめて治めようとしたのです。

百姓は、田植えや稲かりなどの大変な仕事を、村の人たちと力を合わせて行いました。水路の手入れや祭りなども、村のみんなで行いました。
百姓は村で田畑を耕し、年貢を納めました。村は名主(庄屋)などの村役人が運営し、五人組で責任を負い合いました。
町人のくらし
町人は、城下町などの町に住みました。町人には、品物を売り買いする商人と、道具や家などをつくる職人がいました。
江戸や大阪、京都などの大きな町には、たくさんの店が立ちならびました。全国から集まった品物が、売り買いされました。
大きな呉服店(着物の布を売る店)のように、たくさんの人を使って商売をする商人もあらわれました。

やがて町人の中から、ゆたかになって、新しい文化を生み出す人々も出てきます。
町人は町に住む商人や職人です。大きな町では商売がさかんになり、ゆたかな町人もあらわれました。
武士のくらしと、身分による差別
年貢にささえられた武士
武士は、主君である将軍や大名に仕え、城下町に住んで、政治の仕事をしました。百姓が納める年貢が、武士のくらしをささえていました。
きびしく差別された人々
江戸時代には、百姓や町人とは別に、きびしく差別された身分の人々もいました。
この人たちは、住む場所や仕事を制限されました。村の運営や祭りから外され、服装や髪形にいたるまで、さまざまな差別を受けました。こうした差別は、幕府や藩が強めたこともあり、人々の心の中にも根づいていきました。
身分による差別は、明治時代になってからも、すぐにはなくなりませんでした。差別をなくすための取り組みは、今も続けられています。
- 江戸時代の人々は、生まれた家によって身分が決まる
- 身分ごとに、仕事や住む場所、くらしの決まりがちがう
- 武士が政治を行い、百姓の年貢が武士のくらしをささえる
- このしくみが、江戸時代の終わりまで続く
武士は政治を行い、百姓の年貢にささえられました。きびしく差別された人々もいて、差別をなくす取り組みは今も続いています。
重要なところ
武士は人口の中ではわずかでしたが、政治を行って、ほかの身分を支配しました。
名主(庄屋)は、年貢を集めて納めるなど、村の仕事をまとめました。
「助け合い」と「見はり合い」の両方の面がありました。
教科書では、この単元名です
- 東京書籍:「江戸幕府と政治の安定」の授業「人々のくらしと身分」
- 教育出版:「幕府の政治と人々の暮らし」の授業「人々の暮らしと身分」
- 日本文教出版:「武士による政治の安定」の授業「江戸時代の身分制と人々のくらし」
学習指導要領(平成29年告示)では
第6学年の内容(2)ア(キ):江戸幕府の始まり、参勤交代や鎖国、身分のしくみから、武士による政治が安定したことを理解する。(学習指導要領コード 0263217000000)
たしかめ問題
江戸時代の人口の大部分をしめ、村で田畑を耕して年貢を納めた身分を何といいますか。
百姓城下町などの町に住み、商売やものづくりをした身分を何といいますか。
町人村の代表で、東日本では名主とよばれた役人を、西日本では何とよびましたか。
庄屋近所の5けん前後の家を組にして、年貢などに共同で責任を負わせたしくみを何といいますか。
五人組江戸時代の人々は、武士・百姓・町人などの身分に分かれ、身分ごとに役目や住む場所が決められていました。武士は政治を行い、百姓は村で年貢を納め、町人は町で商売やものづくりをしました。幕府や藩は、村ごとに年貢を納めさせ、五人組で助け合いと見はりをさせるなどして、人々をまとめて治めました。こうして、武士が人々を支配するしくみが、長く続きました。
出典
- 東京書籍「『士農工商』や『四民平等』の用語が使われていないことについて」
- 渡辺尚志『百姓たちの江戸時代』(ちくまプリマー新書、2009年)
- 静岡市「名主の館『小池邸』」
- 盛岡市都南歴史民俗資料館「となん歴民だより」vol.22(五人組帳)
- 山口県文書館「さまざまな身分とくらし 厳しい身分による差別」
- nippon.com「『大伝馬町こふく店』浮世写真家 喜千也の『名所江戸百景』第78回」
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