教科書補助小6 社会 / 江戸幕府と政治の安定 / 5本中の4本目

江戸時代(えどじだい)の身分(みぶん)とくらしとは? 武士(ぶし)・百姓(ひゃくしょう)・町人(ちょうにん)のくらしと、村(むら)のしくみをわかりやすく

教科書では:東京書籍「江戸幕府と政治の安定」の「人々のくらしと身分」/教育出版「幕府の政治と人々の暮らし」の「人々の暮らしと身分」/日本文教出版「武士による政治の安定」の「江戸時代の身分制と人々のくらし」

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  1. 江戸時代(えどじだい)の人々(ひとびと)は、武士(ぶし)・百姓(ひゃくしょう)・町人(ちょうにん)などのに分(わ)かれてくらしていました。
  2. 人口(じんこう)の大部分(だいぶぶん)(8割(わり)ほど)をしめた百姓(ひゃくしょう)は、村(むら)で田畑(たはた)を耕(たがや)し、年貢(ねんぐ)を納(おさ)めました。
  3. 町人(ちょうにん)(商人(しょうにん)や職人(しょくにん))は、城下町(じょうかまち)などの町(まち)に住(す)み、商売(しょうばい)やものづくりをしました。
今日(きょう)の問(と)い

江戸幕府(えどばくふ)は、身分(みぶん)のしくみによって、どのような世(よ)の中(なか)をつくろうとしたのだろう。

読(よ)み終(お)えたら、下(した)の「問(と)いへの答(こた)え」を見(み)る前(まえ)に、自分(じぶん)の言葉(ことば)で答(こた)えてみましょう。

江戸時代(えどじだい)の身分(みぶん)

生(う)まれた家(いえ)で決(き)まる身分(みぶん)

江戸時代(えどじだい)の人々(ひとびと)は、生(う)まれた家(いえ)によって、いくつかの身分(みぶん)に分(わ)かれていました。おもな身分(みぶん)は、武士(ぶし)・百姓(ひゃくしょう)・町人(ちょうにん)です。

ほかにも、朝廷(ちょうてい)に仕(つか)える公家(くげ)や、お坊(ぼう)さん、神主(かんぬし)などがいました。身分(みぶん)は、ふつう親(おや)から子(こ)へと受(う)けつがれました。

人口(じんこう)の8割(わり)は百姓(ひゃくしょう)

人口(じんこう)がいちばん多(おお)かったのは百姓(ひゃくしょう)で、人口(じんこう)の8割(わり)ほどをしめていました。

武士(ぶし)は、人口(じんこう)の中(なか)ではわずかでした。しかし、政治(せいじ)を行(おこな)い、ほかの身分(みぶん)の人々(ひとびと)を支配(しはい)しました。

身分(みぶん)おもな仕事(しごと)おもに住(す)んだ場所(ばしょ)
武士(ぶし)政治(せいじ)を行(おこな)い、戦(たたか)いにそなえる。名字(みょうじ)を名(な)のり、刀(かたな)を差(さ)すことが認(みと)められた城(しろ)や城下町(じょうかまち)
田畑(たはた)を耕(たがや)し、年貢(ねんぐ)を納(おさ)める村(むら)
商人(しょうにん)は商売(しょうばい)、職人(しょくにん)はものづくりをする城下町(じょうかまち)などの町(まち)

江戸時代(えどじだい)の人々(ひとびと)は、生(う)まれた家(いえ)で身分(みぶん)が決(き)まりました。おもな身分(みぶん)は武士(ぶし)・百姓(ひゃくしょう)・町人(ちょうにん)で、百姓(ひゃくしょう)が人口(じんこう)の8割(わり)ほどでした。

百姓(ひゃくしょう)のくらし

田畑(たはた)を耕(たがや)し、年貢(ねんぐ)を納(おさ)める

百姓(ひゃくしょう)は村(むら)に住(す)み、田畑(たはた)を耕(たがや)して米(こめ)や野菜(やさい)などをつくりました。とれた米(こめ)の多(おお)くを、として領主(りょうしゅ)(幕府(ばくふ)や藩(はん))に納(おさ)めなければなりませんでした。

やなぎの木の下の田で、大勢の人が並んで苗を植え、そのそばで扇を持っておどる人や太鼓を打つ人がいる、墨と淡い色の絵
村(むら)の人(ひと)たちが力(ちから)を合(あ)わせて田植(たう)えをするようす。そばでは、おどったり太鼓(たいこ)を打(う)ったりして、田植(たう)えをもり上(あ)げています。田植図 彭城百川筆 江戸時代・18世紀出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)

村(むら)を運営(うんえい)する村役人(むらやくにん)

村(むら)は、百姓(ひゃくしょう)の中(なか)から選(えら)ばれた村役人(むらやくにん)によって運営(うんえい)されました。村(むら)の代表(だいひょう)を、東(ひがし)日本(にほん)では、西(にし)日本(にほん)では庄屋(しょうや)とよびました。

名主(なぬし)(庄屋(しょうや))は、組頭(くみがしら)・百姓(ひゃくしょう)代(だい)とともに、年貢(ねんぐ)を集(あつ)めて納(おさ)めたり、村(むら)の書類(しょるい)をつくったりしました。年貢(ねんぐ)は、村(むら)ごとにまとめて納(おさ)めることになっていました。

五人組(ごにんぐみ)

村(むら)や町(まち)では、近所(きんじょ)の5けん前後(ぜんご)の家(いえ)を1つの組(くみ)にしました。これをといいます。五人組(ごにんぐみ)は、年貢(ねんぐ)を納(おさ)めることや村(むら)の安全(あんぜん)について、組(くみ)の中(なか)でいっしょに責任(せきにん)を負(お)いました。

五人組(ごにんぐみ)は、1633年(ねん)ごろに全国(ぜんこく)で決(き)まりとしてつくられました。年貢(ねんぐ)を確実(かくじつ)に集(あつ)めることと、キリスト教(きょう)の信者(しんじゃ)などを取(と)りしまることがねらいでした。

村(むら)には「五人組帳(ごにんぐみちょう)」という帳面(ちょうめん)が残(のこ)っています。そこには、年貢(ねんぐ)の納(おさ)め方(かた)や、けんか・火事(かじ)のときのことなど、組(くみ)の人(ひと)が守(まも)る決(き)まりがこまかく書(か)かれています。

なぜ? 幕府(ばくふ)や藩(はん)は、五人組(ごにんぐみ)をつくらせたの?
組(くみ)のだれかが年貢(ねんぐ)を納(おさ)められなかったり、決(き)まりを破(やぶ)ったりすると、組(くみ)の全員(ぜんいん)が責任(せきにん)を負(お)います。そのため、組(くみ)の人(ひと)どうしで助(たす)け合(あ)い、おたがいを見(み)はり合(あ)うようになります。幕府(ばくふ)や藩(はん)は、こうして年貢(ねんぐ)を確実(かくじつ)に集(あつ)め、人々(ひとびと)をまとめて治(おさ)めようとしたのです。
遠くに富士山が見える広い野原を、刈った草を高く積んだ牛と、荷物をせおった人たちが歩いていく浮世絵
刈(か)り取(と)った草(くさ)を牛(うし)に高(たか)く積(つ)んで運(はこ)ぶ村(むら)の人々(ひとびと)。今(いま)の静岡県(しずおかけん)の富士山(ふじさん)のふもとの村(むら)をえがいた絵(え)です。冨嶽三十六景 駿州大野新田 葛飾北斎 江戸時代・19世紀出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)

百姓(ひゃくしょう)は、田植(たう)えや稲(いね)かりなどの大変(たいへん)な仕事(しごと)を、村(むら)の人(ひと)たちと力(ちから)を合(あ)わせて行(おこな)いました。水路(すいろ)の手入(てい)れや祭(まつ)りなども、村(むら)のみんなで行(おこな)いました。

百姓(ひゃくしょう)は村(むら)で田畑(たはた)を耕(たがや)し、年貢(ねんぐ)を納(おさ)めました。村(むら)は名主(なぬし)(庄屋(しょうや))などの村役人(むらやくにん)が運営(うんえい)し、五人組(ごにんぐみ)で責任(せきにん)を負(お)い合(あ)いました。

町人(ちょうにん)のくらし

町人(ちょうにん)は、城下町(じょうかまち)などの町(まち)に住(す)みました。町人(ちょうにん)には、品物(しなもの)を売(う)り買(か)いする商人(しょうにん)と、道具(どうぐ)や家(いえ)などをつくる職人(しょくにん)がいました。

江戸(えど)や大阪(おおさか)、京都(きょうと)などの大(おお)きな町(まち)には、たくさんの店(みせ)が立(た)ちならびました。全国(ぜんこく)から集(あつ)まった品物(しなもの)が、売(う)り買(か)いされました。

大(おお)きな呉服店(ごふくてん)(着物(きもの)の布(ぬの)を売(う)る店(みせ))のように、たくさんの人(ひと)を使(つか)って商売(しょうばい)をする商人(しょうにん)もあらわれました。

大きな「大」の字ののれんが下がった店の前を、かざりのついた長い棒を持った人たちが行列して歩く浮世絵
江戸(えど)の大伝馬町(おおでんまちょう)にあった大(おお)きな呉服店(ごふくてん)(大丸屋(だいまるや))の前(まえ)の通(とお)り。行列(ぎょうれつ)は、店(みせ)の建物(たてもの)の上棟式(じょうとうしき)(屋根(やね)の骨組(ほねぐ)みができたお祝(いわ)い)を終(お)えた大工(だいく)たちだと考(かんが)えられています。名所江戸百景 大伝馬町こふく店 歌川広重 1858年出典:国立国会図書館デジタルコレクション(部分)

やがて町人(ちょうにん)の中(なか)から、ゆたかになって、新(あたら)しい文化(ぶんか)を生(う)み出(だ)す人々(ひとびと)も出(で)てきます。

町人(ちょうにん)は町(まち)に住(す)む商人(しょうにん)や職人(しょくにん)です。大(おお)きな町(まち)では商売(しょうばい)がさかんになり、ゆたかな町人(ちょうにん)もあらわれました。

武士(ぶし)のくらしと、身分(みぶん)による差別(さべつ)

年貢(ねんぐ)にささえられた武士(ぶし)

武士(ぶし)は、主君(しゅくん)である将軍(しょうぐん)や大名(だいみょう)に仕(つか)え、城下町(じょうかまち)に住(す)んで、政治(せいじ)の仕事(しごと)をしました。百姓(ひゃくしょう)が納(おさ)める年貢(ねんぐ)が、武士(ぶし)のくらしをささえていました。

きびしく差別(さべつ)された人々(ひとびと)

江戸時代(えどじだい)には、百姓(ひゃくしょう)や町人(ちょうにん)とは別(べつ)に、きびしく差別(さべつ)された身分(みぶん)の人々(ひとびと)もいました。

この人(ひと)たちは、住(す)む場所(ばしょ)や仕事(しごと)を制限(せいげん)されました。村(むら)の運営(うんえい)や祭(まつ)りから外(はず)され、服装(ふくそう)や髪形(かみがた)にいたるまで、さまざまな差別(さべつ)を受(う)けました。こうした差別(さべつ)は、幕府(ばくふ)や藩(はん)が強(つよ)めたこともあり、人々(ひとびと)の心(こころ)の中(なか)にも根(ね)づいていきました。

身分(みぶん)による差別(さべつ)は、明治時代(めいじじだい)になってからも、すぐにはなくなりませんでした。差別(さべつ)をなくすための取(と)り組(く)みは、今(いま)も続(つづ)けられています。

  1. 江戸時代(えどじだい)の人々(ひとびと)は、生(う)まれた家(いえ)によって身分(みぶん)が決(き)まる
  2. 身分(みぶん)ごとに、仕事(しごと)や住(す)む場所(ばしょ)、くらしの決(き)まりがちがう
  3. 武士(ぶし)が政治(せいじ)を行(おこな)い、百姓(ひゃくしょう)の年貢(ねんぐ)が武士(ぶし)のくらしをささえる
  4. このしくみが、江戸時代(えどじだい)の終(お)わりまで続(つづ)く

武士(ぶし)は政治(せいじ)を行(おこな)い、百姓(ひゃくしょう)の年貢(ねんぐ)にささえられました。きびしく差別(さべつ)された人々(ひとびと)もいて、差別(さべつ)をなくす取(と)り組(く)みは今(いま)も続(つづ)いています。

重要(じゅうよう)なところ

江戸時代(えどじだい)の人口(じんこう)でいちばん多(おお)かったのは百姓(ひゃくしょう)で、人口(じんこう)の8割(わり)ほどをしめていました。
武士(ぶし)は人口(じんこう)の中(なか)ではわずかでしたが、政治(せいじ)を行(おこな)って、ほかの身分(みぶん)を支配(しはい)しました。
村(むら)の代表(だいひょう)を、東(ひがし)日本(にほん)では名主(なぬし)、西(にし)日本(にほん)では庄屋(しょうや)とよびました。
名主(なぬし)(庄屋(しょうや))は、年貢(ねんぐ)を集(あつ)めて納(おさ)めるなど、村(むら)の仕事(しごと)をまとめました。
五人組(ごにんぐみ)は、近所(きんじょ)の5けん前後(ぜんご)の家(いえ)を組(くみ)にして、年貢(ねんぐ)や村(むら)の安全(あんぜん)について、いっしょに責任(せきにん)を負(お)わせたしくみです。
「助(たす)け合(あ)い」と「見(み)はり合(あ)い」の両方(りょうほう)の面(めん)がありました。

教科書(きょうかしょ)では、この単元名(たんげんめい)です

  • 東京書籍:「江戸幕府と政治の安定」の授業「人々のくらしと身分」
  • 教育出版:「幕府の政治と人々の暮らし」の授業「人々の暮らしと身分」
  • 日本文教出版:「武士による政治の安定」の授業「江戸時代の身分制と人々のくらし」

学習指導要領(がくしゅうしどうようりょう)(平成(へいせい)29年告示(ねんこくじ))では

第(だい)6学年(がくねん)の内容(ないよう)(2)ア(キ):江戸幕府(えどばくふ)の始(はじ)まり、参勤交代(さんきんこうたい)や鎖国(さこく)、身分(みぶん)のしくみから、武士(ぶし)による政治(せいじ)が安定(あんてい)したことを理解(りかい)する。(学習指導要領コード 0263217000000)

「江戸幕府(えどばくふ)と政治(せいじ)の安定(あんてい)」の授業(じゅぎょう)の順(じゅん)と、ほかの時間(じかん)の解説(かいせつ)へ

たしかめ問題(もんだい)

江戸時代(えどじだい)の人口(じんこう)の大部分(だいぶぶん)をしめ、村(むら)で田畑(たはた)を耕(たがや)して年貢(ねんぐ)を納(おさ)めた身分(みぶん)を何(なん)といいますか。百姓(ひゃくしょう)
城下町(じょうかまち)などの町(まち)に住(す)み、商売(しょうばい)やものづくりをした身分(みぶん)を何(なん)といいますか。町人(ちょうにん)
村(むら)の代表(だいひょう)で、東(ひがし)日本(にほん)では名主(なぬし)とよばれた役人(やくにん)を、西(にし)日本(にほん)では何(なん)とよびましたか。庄屋(しょうや)
近所(きんじょ)の5けん前後(ぜんご)の家(いえ)を組(くみ)にして、年貢(ねんぐ)などに共同(きょうどう)で責任(せきにん)を負(お)わせたしくみを何(なん)といいますか。五人組(ごにんぐみ)
問(と)いへの答(こた)え

江戸時代(えどじだい)の人々(ひとびと)は、武士(ぶし)・百姓(ひゃくしょう)・町人(ちょうにん)などの身分(みぶん)に分(わ)かれ、身分(みぶん)ごとに役目(やくめ)や住(す)む場所(ばしょ)が決(き)められていました。武士(ぶし)は政治(せいじ)を行(おこな)い、百姓(ひゃくしょう)は村(むら)で年貢(ねんぐ)を納(おさ)め、町人(ちょうにん)は町(まち)で商売(しょうばい)やものづくりをしました。幕府(ばくふ)や藩(はん)は、村(むら)ごとに年貢(ねんぐ)を納(おさ)めさせ、五人組(ごにんぐみ)で助(たす)け合(あ)いと見(み)はりをさせるなどして、人々(ひとびと)をまとめて治(おさ)めました。こうして、武士(ぶし)が人々(ひとびと)を支配(しはい)するしくみが、長(なが)く続(つづ)きました。

この単元(たんげん)のプリントで確(たし)かめる(25枚(まい)・答(こた)えつき)
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出典

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