教科書補助小6 社会 / 貴族のくらし / 2本中の2本目

国風文化(こくふうぶんか)とは?かな文字(もじ)と『源氏(げんじ)物語(ものがたり)』から、平安(へいあん)の貴族(きぞく)の文化(ぶんか)をわかりやすく

教科書では:東京書籍「貴族のくらし」の「貴族のくらしの中から生まれた文化」「今に伝わる年中行事」/教育出版「大陸に学んだ国づくり」の「日本独自の文化が生まれる」/日本文教出版「貴族が生み出した新しい文化」の「貴族のくらしから文化が生まれる」「今に続く年中行事」

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  1. 平安時代(へいあんじだい)の中(なか)ごろ、都(みやこ)の貴族(きぞく)のくらしの中(なか)から、日本(にほん)の風土(ふうど)や感(かん)じ方(かた)に合(あ)った文化(ぶんか)が育(そだ)ちました。これを国風文化(こくふうぶんか)といいます。
  2. 漢字(かんじ)をもとにが生(う)まれ、紫式部(むらさきしきぶ)の『源氏(げんじ)物語(ものがたり)』や清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子(まくらのそうし)』が書(か)かれました。
  3. 貴族(きぞく)はのやしきに住(す)み、などの服装(ふくそう)や、を楽(たの)しみました。
今日(きょう)の問(と)い

平安時代(へいあんじだい)の貴族(きぞく)の文化(ぶんか)は、どんなところが「日本風(にほんふう)」だったのだろう。

読(よ)み終(お)えたら、下(した)の「問(と)いへの答(こた)え」を見(み)る前(まえ)に、自分(じぶん)の言葉(ことば)で答(こた)えてみましょう。

国風文化(こくふうぶんか)とは

唐(とう)から学(まな)んだ時代(じだい)のあとで

奈良時代(ならじだい)から平安時代(へいあんじだい)のはじめ、朝廷(ちょうてい)はを送(おく)りました。唐(とう)(今(いま)の中国(ちゅうごく))から、政治(せいじ)のしくみや文化(ぶんか)を熱心(ねっしん)に学(まな)んだのです。

9世紀(せいき)の終(お)わりには、遣唐使(けんとうし)の派遣(はけん)がとだえます。10世紀(せいき)のはじめには、唐(とう)もほろびました。

日本(にほん)の風土(ふうど)に合(あ)った文化(ぶんか)

そのころ都(みやこ)では、藤原氏(ふじわらし)が天皇(てんのう)と深(ふか)くつながり、政治(せいじ)を動(うご)かしていました()。

はなやかな貴族(きぞく)のくらしの中(なか)で、日本(にほん)の風土(ふうど)や感(かん)じ方(かた)に合(あ)った文化(ぶんか)が育(そだ)ちました。これを国風文化(こくふうぶんか)といいます。それまでに取(と)り入(い)れた大陸(たいりく)の文化(ぶんか)が、土台(どだい)になっています。

「国風(こくふう)」とは、「その国(くに)らしい」という意味(いみ)です。

御簾やついたてのある部屋に、何枚も着物を重ねた女性たちが座り、手前に男性がいる絵巻の一場面
天皇(てんのう)のきさきの彰子(しょうし)(右(みぎ)の後(うし)ろ向(む)きの女性(じょせい))に、男(おとこ)の子(こ)が生(う)まれたお祝(いわ)いの場面(ばめん)。手前(てまえ)の男性(だんせい)が、彰子(しょうし)の父(ちち)の藤原道長(ふじわらのみちなが)です。紫式部(むらさきしきぶ)は、彰子(しょうし)に仕(つか)えていました。紫式部日記絵巻断簡 鎌倉時代・13世紀 重要文化財出典:ColBase(東京国立博物館)
たとえるなら外国(がいこく)から伝(つた)わったカレーが、日本(にほん)で「カレーライス」になったのに似(に)ています。もとは外国(がいこく)のものでも、くらしや好(この)みに合(あ)わせて形(かたち)を変(か)えると、その国(くに)らしいものになります。国風文化(こくふうぶんか)も、中国(ちゅうごく)の文化(ぶんか)をすてたのではなく、日本(にほん)に合(あ)う形(かたち)に変(か)えたものです。

平安時代(へいあんじだい)の中(なか)ごろ、大陸(たいりく)の文化(ぶんか)を土台(どだい)に、日本(にほん)の風土(ふうど)や感(かん)じ方(かた)に合(あ)った国風文化(こくふうぶんか)が育(そだ)ちました。

かな文字(もじ)の誕生(たんじょう)

漢字(かんじ)だけでは書(か)きにくい

それまで日本(にほん)では、文章(ぶんしょう)を漢字(かんじ)だけで書(か)いていました。漢字(かんじ)は、もともと中国(ちゅうごく)の言葉(ことば)を書(か)くための文字(もじ)です。

そのため、日本語(にほんご)の細(こま)かい気持(きも)ちや話(はな)し言葉(ことば)は、書(か)きあらわしにくかったのです。

漢字(かんじ)をもとに、かな文字(もじ)が生(う)まれる

そこで、漢字(かんじ)をもとに、日本語(にほんご)の音(おと)をあらわすかな文字(もじ)が生(う)まれました。

文字(もじ)でき方(かた)例(れい)
ひらがな漢字全体(かんじぜんたい)をくずして書(か)いた形(かたち)から安(あ) → あ、以(い) → い、宇(う) → う
カタカナ漢字(かんじ)の一部分(いちぶぶん)をとった形(かたち)から阿(あ)→ア、伊(い)→イ、宇(う) → ウ
「以 伊 異 移 易 夷 意」などの漢字と、それをくずした字が並ぶ、明治時代の本のページ
むかしは「い」の音(おと)をあらわすのに、以(い)・伊(い)・異(い)など、いろいろな漢字(かんじ)を使(つか)っていました。その中(なか)の「以(い)」をくずした形(かたち)が、いまの「い」になりました。望月誠編『平仮名と万葉仮名』 明治45年(1912)出典:国立国会図書館デジタルコレクション(部分)
うすい茶色の紙に、かな文字の和歌が流れるように書かれている
平安時代(へいあんじだい)に、かな文字(もじ)で書(か)かれた『古今和歌集(ここんわかしゅう)』。紀貫之(きのつらゆき)が書(か)いたと伝(つた)えられています。古今和歌集巻十九断簡(高野切) 伝紀貫之筆 平安時代・11世紀出典:ColBase(東京国立博物館)
なぜ? かな文字(もじ)ができると、何(なん)が変(か)わったの?
話(はな)す言葉(ことば)のまま、思(おも)ったことや感(かん)じたことを書(か)けるようになりました。とくに宮中(きゅうちゅう)の女性(じょせい)たちが、かな文字(もじ)で物語(ものがたり)や日記(にっき)、和歌(わか)を数多(かずおお)く書(か)きました。日本(にほん)の文学(ぶんがく)が大(おお)きく花開(はなひら)いたのは、かな文字(もじ)のおかげです。

漢字(かんじ)をもとに、ひらがなとカタカナが生(う)まれました。日本語(にほんご)の気持(きも)ちを、そのまま書(か)けるようになりました。

かな文字(もじ)で書(か)かれた文学(ぶんがく)

『源氏(げんじ)物語(ものがたり)』紫式部(むらさきしきぶ)
光(ひかり)源氏(げんじ)という貴族(きぞく)の一生(いっしょう)と、まわりの人々(ひとびと)の心(こころ)の動(うご)きをえがいた、長(なが)い物語(ものがたり)。
『枕草子(まくらのそうし)』清少納言(せいしょうなごん)
宮中(きゅうちゅう)のくらしや季節(きせつ)の美(うつく)しさなど、心(こころ)にうつったことを書(か)いた随筆(ずいひつ)。「春(はる)はあけぼの」で始(はじ)まる。

紫式部(むらさきしきぶ)も清少納言(せいしょうなごん)も、天皇(てんのう)のきさきに仕(つか)えた女性(じょせい)です。

天皇(てんのう)の命令(めいれい)で和歌(わか)を集(あつ)めた『古今和歌集(ここんわかしゅう)』もつくられ、紀貫之(きのつらゆき)らがまとめました。和歌(わか)は、貴族(きぞく)が気持(きも)ちを伝(つた)え合(あ)う大切(たいせつ)な手段(しゅだん)でした。

桜の木の下で、白っぽい着物の貴族と僧が向かい合って座っている、古い絵巻の一場面
平安時代(へいあんじだい)の終(お)わりにつくられた『源氏(げんじ)物語(ものがたり)』の絵巻(えまき)の一部(いちぶ)。光(ひかり)源氏(げんじ)(右(みぎ))が、山(やま)の寺(てら)の僧(そう)と別(わか)れをおしむ場面(ばめん)です。源氏物語絵巻断簡(若紫) 平安時代・12世紀出典:ColBase(東京国立博物館)

紫式部(むらさきしきぶ)の『源氏(げんじ)物語(ものがたり)』、清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子(まくらのそうし)』は、かな文字(もじ)で書(か)かれました。作者(さくしゃ)と作品(さくひん)を組(くみ)で覚(おぼ)えましょう。

貴族(きぞく)のくらし

寝殿造(しんでんづくり)のやしき

都(みやこ)の貴族(きぞく)は、寝殿造(しんでんづくり)とよばれる広(ひろ)いやしきに住(す)んでいました。中心(ちゅうしん)の建物(たてもの)と、まわりの建物(たてもの)を、ろうかでつないでいます。

南側(みなみがわ)には、池(いけ)のある庭(にわ)がありました。

大きな屋根の建物の前に池があり、竜の頭のついた船がうかび、そり橋がかかっている絵巻の一場面
寝殿造(しんでんづくり)のやしきの庭(にわ)。建物(たてもの)の前(まえ)の池(いけ)に船(ふね)をうかべ、そり橋(はし)がかかっています。藤原道長(ふじわらのみちなが)の子(こ)、頼通(よりみち)のやしきをえがいた絵巻(えまき)です。駒競行幸絵巻(模本) 江戸時代・1828年。原本は鎌倉時代出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)

十二単(じゅうにひとえ)と大和絵(やまとえ)

宮中(きゅうちゅう)の女性(じょせい)の正式(せいしき)な服装(ふくそう)は十二単(じゅうにひとえ)です。何枚(なんまい)も重(かさ)ねた着物(きもの)の色(いろ)の組(く)み合(あ)わせで、季節(きせつ)や自分(じぶん)らしさをあらわしました。

日本(にほん)の風景(ふうけい)や物語(ものがたり)をえがいた大和絵(やまとえ)も広(ひろ)まりました。物語(ものがたり)の場面(ばめん)を、絵(え)と文(ぶん)で表(あらわ)した絵巻物(えまきもの)もつくられました。

何枚も重ねたオレンジと緑の着物を、正面から広げて見せた写真
十二単(じゅうにひとえ)(女房装束(にょうぼうしょうぞく))。何枚(なんまい)も重(かさ)ねた着物(きもの)のえりやそでに、色(いろ)の組(く)み合(あ)わせが見(み)えます。この装束(しょうぞく)は江戸時代(えどじだい)につくられたものです。女房装束(典侍服) 江戸時代・19世紀出典:ColBase(東京国立博物館)

今(いま)に続(つづ)く年中行事(ねんじゅうぎょうじ)

貴族(きぞく)は、季節(きせつ)ごとに決(き)まった行事(ぎょうじ)(年中行事(ねんじゅうぎょうじ))を大切(たいせつ)にしました。いまのひな祭(まつ)りや七夕(たなばた)なども、この時代(じだい)の行事(ぎょうじ)とつながりがあります。

なぜ?貴族(きぞく)は、こんなにはなやかにくらせたの?
貴族(きぞく)は朝廷(ちょうてい)の高(たか)い位(くらい)につき、各地(かくち)に広(ひろ)い土地(とち)をもっていました。そこから集(あつ)まる米(こめ)や品物(しなもの)が、都(みやこ)でのくらしを支(ささ)えていました。いっぽう、地方(ちほう)の多(おお)くの人々(ひとびと)のくらしは、貴族(きぞく)とは大(おお)きくちがうものでした。

貴族(きぞく)は寝殿造(しんでんづくり)のやしきに住(す)み、十二単(じゅうにひとえ)や大和絵(やまとえ)、年中行事(ねんじゅうぎょうじ)を楽(たの)しみました。

この時代(じだい)の人物(じんぶつ)

巻物の積まれた棚の前で、うつむいて座る女性の線画
紫式部(むらさきしきぶ)
『源氏(げんじ)物語(ものがたり)』を書(か)いた。天皇(てんのう)のきさき(彰子(しょうし))に仕(つか)えた。
菊池容斎『前賢故実』巻5(江戸時代の終わりごろに想像してえがいた絵)。出典:国立国会図書館デジタルコレクション(部分)
御簾を手でかかげて外を見る女性の線画
清少納言(せいしょうなごん)
『枕草子(まくらのそうし)』を書(か)いた。天皇(てんのう)のきさき(定子(ていし))に仕(つか)えた。
菊池容斎『前賢故実』巻5。「香炉峰の雪」の話の場面。出典:国立国会図書館デジタルコレクション(部分)
冠をかぶり、ひげをはやした男性が座っている線画
紀貫之(きのつらゆき)
天皇(てんのう)の命令(めいれい)で『古今和歌集(ここんわかしゅう)』をまとめた歌人(かじん)の一人(ひとり)。
菊池容斎『前賢故実』巻5。出典:国立国会図書館デジタルコレクション(部分)
黒いぼうしをかぶり、まるいもようのある白っぽい着物を着て、ひざまずく男性の横顔
藤原道長(ふじわらのみちなが)
むすめを次々(つぎつぎ)と天皇(てんのう)のきさきにして、藤原氏(ふじわらし)の力(ちから)をもっとも強(つよ)くした。
紫式部日記絵巻断簡 鎌倉時代・13世紀(絵巻の中の道長。館の解説による)。出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)

重要(じゅうよう)なところ

ひらがなは漢字(かんじ)をくずした形(かたち)、カタカナは漢字(かんじ)の一部(いちぶ)をとった形(かたち)からできました。
たとえば「安(あ)」をくずして「あ」、「阿(あ)」の左(ひだり)がわをとって「ア」ができました。
『枕草子(まくらのそうし)』を書(か)いたのは清少納言(せいしょうなごん)です。
紫式部(むらさきしきぶ)は『源氏(げんじ)物語(ものがたり)』です。「むらさき→ものがたり」のように、作者(さくしゃ)と作品(さくひん)を組(くみ)で覚(おぼ)えましょう。
国風文化(こくふうぶんか)のころも、中国(ちゅうごく)の文化(ぶんか)や品物(しなもの)は日本(にほん)に入(はい)ってきていました。
国風文化(こくふうぶんか)は、それまでに学(まな)んだ大陸(たいりく)の文化(ぶんか)を、日本(にほん)に合(あ)う形(かたち)に変(か)えたものです。
寝殿造(しんでんづくり)は平安時代(へいあんじだい)の貴族(きぞく)のやしきのつくりです。たたみやふすまのある部屋(へや)は、室町時代(むろまちじだい)の「書院造(しょいんづくり)」です。
寝殿造(しんでんづくり)は平安時代(へいあんじだい)の貴族(きぞく)のやしきで、板(いた)じきの広(ひろ)い部屋(へや)が中心(ちゅうしん)でした。

教科書(きょうかしょ)では、この単元名(たんげんめい)です

  • 東京書籍:「貴族のくらし」の授業「貴族のくらしの中から生まれた文化」「今に伝わる年中行事」
  • 教育出版:「大陸に学んだ国づくり」の授業「日本独自の文化が生まれる」
  • 日本文教出版:「貴族が生み出した新しい文化」の授業「貴族のくらしから文化が生まれる」「今に続く年中行事」

学習指導要領(がくしゅうしどうようりょう)(平成(へいせい)29年告示(ねんこくじ))では

第(だい)6学年(がくねん)の内容(ないよう)(2)ア(ウ):貴族(きぞく)の生活(せいかつ)や文化(ぶんか)から、日本風(にほんふう)の文化(ぶんか)が生(う)まれたことを理解(りかい)する。(学習指導要領コード 0263213000000)

「貴族(きぞく)のくらし」の授業(じゅぎょう)の順(じゅん)と、ほかの時間(じかん)の解説(かいせつ)へ

たしかめ問題(もんだい)

平安時代(へいあんじだい)の中(なか)ごろに生(う)まれた、日本(にほん)の風土(ふうど)や感(かん)じ方(かた)に合(あ)った文化(ぶんか)を何(なん)といいますか。国風文化(こくふうぶんか)
漢字全体(かんじぜんたい)をくずした形(かたち)からできた文字(もじ)を何(なん)といいますか。ヒント:カタカナではありませんひらがな
『源氏(げんじ)物語(ものがたり)』を書(か)いたのはだれですか。紫式部(むらさきしきぶ)
平安時代(へいあんじだい)の貴族(きぞく)が住(す)んだ、池(いけ)のある庭(にわ)をもつやしきのつくりを何(なん)といいますか。寝殿造(しんでんづくり)
かな文字(もじ)ができたことで、どんなことができるようになりましたか。日本語(にほんご)の言葉(ことば)のまま、気持(きも)ちや考(かんが)えを書(か)きあらわせるようになった。
問(と)いへの答(こた)え

中国(ちゅうごく)から学(まな)んだ漢字(かんじ)や文化(ぶんか)を土台(どだい)にしながら、漢字(かんじ)をもとにかな文字(もじ)をつくり、日本語(にほんご)の気持(きも)ちをそのまま書(か)けるようにしました。その文字(もじ)で物語(ものがたり)や随筆(ずいひつ)、和歌(わか)が書(か)かれ、住(す)まいや服装(ふくそう)、絵(え)も、日本(にほん)の風土(ふうど)や貴族(きぞく)のくらしに合(あ)ったものになりました。外国(がいこく)の文化(ぶんか)を取(と)り入(い)れて、自分(じぶん)たちに合(あ)う形(かたち)に変(か)えたところが「日本風(にほんふう)」なのです。

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出典

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