小6社会/貴族のくらし
国風文化とは
今日の問い平安時代の貴族の文化は、どんなところが「日本風」だったのだろう。
3行でわかる
- 平安時代の中ごろ、都の貴族のくらしの中から、日本の風土や感じ方に合った文化が育ちました。これを国風文化といいます。
- 漢字をもとにが生まれ、紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』が書かれました。
- 貴族はのやしきに住み、などの服装や、を楽しみました。
国風文化とは
唐から学んだ時代のあとで
奈良時代から平安時代のはじめ、朝廷はを送りました。唐(今の中国)から、政治のしくみや文化を熱心に学んだのです。
9世紀の終わりには、遣唐使の派遣がとだえます。10世紀のはじめには、唐もほろびました。
日本の風土に合った文化
そのころ都では、藤原氏が天皇と深くつながり、政治を動かしていました()。
はなやかな貴族のくらしの中で、日本の風土や感じ方に合った文化が育ちました。これを国風文化といいます。それまでに取り入れた大陸の文化が、土台になっています。
「国風」とは、「その国らしい」という意味です。
天皇のきさきの彰子(右の後ろ向きの女性)に、男の子が生まれたお祝いの場面。手前の男性が、彰子の父の藤原道長です。紫式部は、彰子に仕えていました。紫式部日記絵巻断簡 鎌倉時代・13世紀 重要文化財出典:ColBase(東京国立博物館)
たとえるなら外国から伝わったカレーが、日本で「カレーライス」になったのに似ています。もとは外国のものでも、くらしや好みに合わせて形を変えると、その国らしいものになります。国風文化も、中国の文化をすてたのではなく、日本に合う形に変えたものです。
平安時代の中ごろ、大陸の文化を土台に、日本の風土や感じ方に合った国風文化が育ちました。
かな文字の誕生
漢字だけでは書きにくい
それまで日本では、文章を漢字だけで書いていました。漢字は、もともと中国の言葉を書くための文字です。
そのため、日本語の細かい気持ちや話し言葉は、書きあらわしにくかったのです。
漢字をもとに、かな文字が生まれる
そこで、漢字をもとに、日本語の音をあらわすかな文字が生まれました。
| 文字 | でき方 | 例 |
| ひらがな | 漢字全体をくずして書いた形から | 安 → あ、以 → い、宇 → う |
| カタカナ | 漢字の一部分をとった形から | 阿→ア、伊→イ、宇 → ウ |
むかしは「い」の音をあらわすのに、以・伊・異など、いろいろな漢字を使っていました。その中の「以」をくずした形が、いまの「い」になりました。望月誠編『平仮名と万葉仮名』 明治45年(1912)出典:国立国会図書館デジタルコレクション(部分)
平安時代に、かな文字で書かれた『古今和歌集』。紀貫之が書いたと伝えられています。古今和歌集巻十九断簡(高野切) 伝紀貫之筆 平安時代・11世紀出典:ColBase(東京国立博物館)
なぜ? かな文字ができると、何が変わったの?
話す言葉のまま、思ったことや感じたことを書けるようになりました。とくに宮中の女性たちが、かな文字で物語や日記、和歌を数多く書きました。日本の文学が大きく花開いたのは、かな文字のおかげです。
漢字をもとに、ひらがなとカタカナが生まれました。日本語の気持ちを、そのまま書けるようになりました。
かな文字で書かれた文学
『源氏物語』紫式部
光源氏という
貴族の
一生と、まわりの
人々の
心の
動きをえがいた、
長い
物語。
『枕草子』清少納言
宮中のくらしや
季節の
美しさなど、
心にうつったことを
書いた
随筆。「
春はあけぼの」で
始まる。
紫式部も清少納言も、天皇のきさきに仕えた女性です。
天皇の命令で和歌を集めた『古今和歌集』もつくられ、紀貫之らがまとめました。和歌は、貴族が気持ちを伝え合う大切な手段でした。
平安時代の終わりにつくられた『源氏物語』の絵巻の一部。光源氏(右)が、山の寺の僧と別れをおしむ場面です。源氏物語絵巻断簡(若紫) 平安時代・12世紀出典:ColBase(東京国立博物館)
紫式部の『源氏物語』、清少納言の『枕草子』は、かな文字で書かれました。作者と作品を組で覚えましょう。
貴族のくらし
寝殿造のやしき
都の貴族は、寝殿造とよばれる広いやしきに住んでいました。中心の建物と、まわりの建物を、ろうかでつないでいます。
南側には、池のある庭がありました。
寝殿造のやしきの庭。建物の前の池に船をうかべ、そり橋がかかっています。藤原道長の子、頼通のやしきをえがいた絵巻です。駒競行幸絵巻(模本) 江戸時代・1828年。原本は鎌倉時代出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)
十二単と大和絵
宮中の女性の正式な服装は十二単です。何枚も重ねた着物の色の組み合わせで、季節や自分らしさをあらわしました。
日本の風景や物語をえがいた大和絵も広まりました。物語の場面を、絵と文で表した絵巻物もつくられました。
十二単(女房装束)。何枚も重ねた着物のえりやそでに、色の組み合わせが見えます。この装束は江戸時代につくられたものです。女房装束(典侍服) 江戸時代・19世紀出典:ColBase(東京国立博物館)
今に続く年中行事
貴族は、季節ごとに決まった行事(年中行事)を大切にしました。いまのひな祭りや七夕なども、この時代の行事とつながりがあります。
なぜ?貴族は、こんなにはなやかにくらせたの?
貴族は朝廷の高い位につき、各地に広い土地をもっていました。そこから集まる米や品物が、都でのくらしを支えていました。いっぽう、地方の多くの人々のくらしは、貴族とは大きくちがうものでした。
貴族は寝殿造のやしきに住み、十二単や大和絵、年中行事を楽しみました。
この時代の人物

紫式部
『源氏物語』を書いた。天皇のきさき(彰子)に仕えた。

清少納言
『枕草子』を書いた。天皇のきさき(定子)に仕えた。

紀貫之
天皇の命令で『古今和歌集』をまとめた歌人の一人。

藤原道長
むすめを次々と天皇のきさきにして、藤原氏の力をもっとも強くした。
重要なところ
ひらがなは漢字をくずした形、カタカナは漢字の一部をとった形からできました。
たとえば「安」をくずして「あ」、「阿」の左がわをとって「ア」ができました。
『枕草子』を書いたのは清少納言です。
紫式部は『源氏物語』です。「むらさき→ものがたり」のように、作者と作品を組で覚えましょう。
国風文化のころも、中国の文化や品物は日本に入ってきていました。
国風文化は、それまでに学んだ大陸の文化を、日本に合う形に変えたものです。
寝殿造は平安時代の貴族のやしきのつくりです。たたみやふすまのある部屋は、室町時代の「書院造」です。
寝殿造は平安時代の貴族のやしきで、板じきの広い部屋が中心でした。
たしかめ問題1/5
平安時代の中ごろに生まれた、日本の風土や感じ方に合った文化を何といいますか。
たしかめ問題2/5
漢字全体をくずした形からできた文字を何といいますか。
ヒント:カタカナではありません
たしかめ問題3/5
『源氏物語』を書いたのはだれですか。
たしかめ問題4/5
平安時代の貴族が住んだ、池のある庭をもつやしきのつくりを何といいますか。
たしかめ問題5/5
かな文字ができたことで、どんなことができるようになりましたか。
日本語の言葉のまま、気持ちや考えを書きあらわせるようになった。
問いへの答え
平安時代の貴族の文化は、どんなところが「日本風」だったのだろう。
中国から学んだ漢字や文化を土台にしながら、漢字をもとにかな文字をつくり、日本語の気持ちをそのまま書けるようにしました。その文字で物語や随筆、和歌が書かれ、住まいや服装、絵も、日本の風土や貴族のくらしに合ったものになりました。外国の文化を取り入れて、自分たちに合う形に変えたところが「日本風」なのです。
画像の出典
- 紫式部日記絵巻断簡 鎌倉時代・13世紀 重要文化財(ColBase(東京国立博物館))
- 望月誠編『平仮名と万葉仮名』 明治45年(1912)(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 古今和歌集巻十九断簡(高野切) 伝紀貫之筆 平安時代・11世紀(ColBase(東京国立博物館))
- 源氏物語絵巻断簡(若紫) 平安時代・12世紀(ColBase(東京国立博物館))
- 駒競行幸絵巻(模本) 江戸時代・1828年。原本は鎌倉時代(ColBase(東京国立博物館))
- 女房装束(典侍服) 江戸時代・19世紀(ColBase(東京国立博物館))
- 菊池容斎『前賢故実』巻5(江戸時代の終わりごろに想像してえがいた絵)(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 菊池容斎『前賢故実』巻5。「香炉峰の雪」の話の場面(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 菊池容斎『前賢故実』巻5(国立国会図書館デジタルコレクション)