小6社会/新しい日本、平和な日本へ
高度経済成長と東京オリンピック
今日の問い東京オリンピック・パラリンピックが開かれたころ、日本の産業や人々のくらしは、どのように変わったのだろう。
3行でわかる
- 1950年代半ばから1973年ごろまで、日本の経済は大きく成長し続けました。これをといいます。
- 家庭には、白黒テレビ・電気洗たく機・電気冷蔵庫のが広まり、やがてカラーテレビ・クーラー・自動車のも広まりました。
- 1964年、アジアで初めてのが開かれました。それに合わせてや高速道路がつくられました。
経済が大きく成長する
戦争のあとの立ち直り
戦争が終わったころ、日本の町は焼けあとが広がり、人々のくらしは苦しいものでした。人々は、工場や町をつくり直すために働きました。
やがて産業は立ち直り、1950年代の半ばから、日本の経済は大きく成長していきます。
高度経済成長
1950年代半ばから1973年ごろまで、日本の経済は、1年に平均で10%近い速さで成長し続けました。これを高度経済成長といいます。
工場では、鉄鋼や電気製品などがたくさんつくられるようになりました。会社や工場で働く人がふえ、人々の収入も多くなりました。
経済成長率(実質)の移り変わり1956〜1973年度(単位:%)- 1956年度6.8
- 1957年度8.1
- 1958年度6.6
- 1959年度11.2
- 1960年度12.0
- 1961年度11.7
- 1962年度7.5
- 1963年度10.4
- 1964年度9.5
- 1965年度6.2
- 1966年度11.0
- 1967年度11.0
- 1968年度12.4
- 1969年度12.0
- 1970年度8.2
- 1971年度5.0
- 1972年度9.1
- 1973年度5.1
国内総生産(GDP)が前の年度とくらべてどれだけふえたか(物のねだんの変化をのぞいた実質)。色のこい棒は、10%をこえた年度。1974年度は-0.5%でした。 出典:内閣府「日本経済2021-2022」長期経済統計 国民経済計算
所得倍増計画
1960年、池田勇人内閣はを決めました。10年以内に、国全体の生産(国民総生産)を2倍にするという目標です。
経済はこの目標より速くのびました。1960年代の終わりには、国民総生産がアメリカについで、資本主義の国の中で2番目になりました。
1950年代半ばから1973年ごろまで、日本の経済は大きく成長し続けました(高度経済成長)。人々の収入もふえていきました。
くらしが便利になる
三種の神器
日本のテレビ放送は、1953年に始まりました。はじめのころはテレビのある家庭は少なく、駅前などに街頭テレビが置かれました。
駅前に立てられた街頭テレビ。柱の上の箱にテレビが入っていました(1958年ごろ、埼玉県越谷市)。越谷駅前のテレビ塔(街頭テレビ) 昭和33年(1958)ごろ 越谷市教育委員会蔵出典:越谷市デジタルアーカイブ(CC BY 4.0)(部分)(CC BY 4.0)
1960年代の電気冷蔵庫。食べ物を冷やして長く保存できるようになり、毎日の買い物や料理が楽になりました。電気冷蔵庫 昭和41年(1966) 金沢くらしの博物館蔵出典:金沢ミュージアムプラス(金沢くらしの博物館)(CC0)(CC0)
収入がふえると、家庭でも電気製品を買えるようになりました。1950年代の終わりごろ、次の3つは「三種の神器」とよばれ、人々のあこがれの的でした。
- 白黒テレビ
- 電気洗たく機
- 電気冷蔵庫
洗たく機や冷蔵庫のおかげで、家事が楽になり、くらしは便利になりました。1970年には、この3つが約9割の家庭に広まりました。
三種の神器の普及率(その品物をもっている家庭の割合)(単位:%)- 白黒テレビ1960年44.7
- 白黒テレビ1970年90.2
- 電気洗たく機1960年40.6
- 電気洗たく機1970年91.4
- 電気冷蔵庫1960年10.1
- 電気冷蔵庫1970年89.1
各年2月の調査。1960年は都市の農家でない世帯、1970年は全国の一般世帯の数値。 出典:内閣府「消費動向調査」主要耐久消費財等の普及率(平成16年3月で調査終了した品目)
3C(新三種の神器)
1960年代の後半になると、次の3つが新しいあこがれになりました。英語の頭文字をとって「3C」とよばれます。
- カラーテレビ(Color television)
- クーラー(Cooler)
- 自動車(Car)
カラーテレビの放送は1960年に始まり、1970年代には多くの家庭がカラーテレビをもつようになりました。
3Cの普及率(その品物をもっている家庭の割合)(単位:%)- カラーテレビ1970年26.3
- カラーテレビ1980年98.2
- クーラー1970年5.9
- クーラー1980年39.2
- 自動車1970年22.1
- 自動車1980年57.2
全国の一般世帯。1970年は2月、1980年は3月の調査。クーラーは「ルームエアコン」、自動車は「乗用車」の数値。 出典:内閣府「消費動向調査」主要耐久消費財等の普及率(平成16年3月で調査終了した品目)
収入がふえて、家庭には三種の神器が、続いて3Cが広まりました。くらしは便利になりました。
1964年、東京オリンピック・パラリンピック
アジアで初めてのオリンピック
1964年10月10日、東京オリンピックが開幕しました。アジアで初めて開かれたオリンピックで、90をこえる国と地域が参加しました。
続いて11月には、体に障がいのある選手が競う東京パラリンピックも開かれました。
大会の前には聖火リレーが行われ、沿道には大勢の人が集まりました。大会は、戦争から立ち直った日本の姿を世界に示すものになりました。
新幹線と高速道路
大会に合わせて、競技場や交通がととのえられました。会場として、国立代々木競技場や日本武道館などが新しく建てられました。
開会の9日前、1964年10月1日には東海道新幹線が開業しました。
東京と新大阪の間を、超特急「ひかり」が約4時間で結びました。東京では、もつくられました。
同じころ、名古屋の近くと神戸の近くを結ぶ名神高速道路も、少しずつ開通していきました。日本で初めての、自動車専用の高速道路です。
東海道新幹線の工事の予定表(1964年4月)。上に東京駅から新大阪駅までの駅、いちばん下に「開業昭和39年10月1日」とあります。東海道新幹線開業行程表(「東海道新幹線工事進捗状況」の内) 運輸省 昭和39年(1964)4月20日 国立公文書館蔵出典:国立公文書館デジタルアーカイブ(部分)
開通したばかりの名神高速道路(1964年10月、兵庫県西宮市)。日本で初めての自動車専用の高速道路です。名神高速道路 開通後 1964年10月25日 西宮市出典:にしのみやデジタルアーカイブ(CC BY 4.0)(CC BY 4.0)
高度経済成長のころのできごとの場所地図は、指やマウスで動かしたり、+・−で拡大・縮小したりできます。印か、下の場所の名前をタップすると、説明が出ます。
- 東京都。1964年の東京オリンピックの会場として建てられた競技場。日本武道館などとともに、その後の日本を代表するスポーツ施設になった。
- 東京都。1964年10月1日に開業した東海道新幹線の東京側の駅。新大阪駅まで、超特急「ひかり」が約4時間で結んだ。
- 大阪府。1964年10月1日に開業した東海道新幹線の大阪側の駅。
- 兵庫県。日本で初めての自動車専用の高速道路、名神高速道路が1964年9月に西宮まで開通した。小牧〜西宮の全線が開通したのは1965年。
- 大阪府。1970年に日本万国博覧会(大阪万博)が開かれた場所。いまは万博記念公園になっていて、「太陽の塔」が残っている。
●緑は都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)
なぜ?オリンピックは国民にとって大きなできごとだったの?
戦争に負けてから、まだ20年もたっていませんでした。世界中の人をむかえて大会を成功させたことは、人々の自信になり、産業がさらに発展するきっかけにもなりました。
1964年、アジアで初めてのオリンピック・パラリンピックが東京で開かれました。東海道新幹線や首都高速道路もつくられました。
大阪万博と、成長のかげ
1970年、大阪万博
1970年、大阪で(大阪万博)が開かれました。テーマは「人類の進歩と調和」で、77か国が参加しました。
会場には約6,400万人がおとずれました。大阪万博は、高度経済成長の時代の最後をかざる、大きなできごとになりました。
大阪万博に出るため、国道171号を歩くタイのゾウ(1970年、兵庫県西宮市)。道路には自動車がたくさん走っています。万国博覧会ゾウの行進 タイから来たゾウ、171号を歩く 1970年8月 西宮市出典:にしのみやデジタルアーカイブ(CC BY 4.0)(CC BY 4.0)
成長のかげで
いっぽうで、工場から出るけむりやよごれた水によって、が各地で起こりました。くわしくは、次のページで学びます。
1970年には大阪万博が開かれました。いっぽうで、経済の成長のかげで公害などの問題も起こりました。
年の流れでふり返る
- 1953年テレビ放送が始まる
- 1950年代半ば高度経済成長が始まる。三種の神器が広まる
- 1960年所得倍増計画が決まる。カラーテレビ放送が始まる
- 1964年東海道新幹線が開業する。東京オリンピック・パラリンピックが開かれる
- 1960年代後半3C(カラーテレビ・クーラー・自動車)が広まり始める
- 1970年大阪で日本万国博覧会が開かれる
- 1973年ごろ高度経済成長が終わる
中学ではここがくわしくなる
中学の歴史では、高度経済成長の始まりと終わりを、もう少しくわしく習います。
| 小学校 | 中学校で加わること |
| 所得倍増計画 | 池田内閣が決めた | 1960年12月27日に閣議決定。10年以内に国民総生産(GNP)を2倍にし、国民の生活水準を大きく引き上げることを目的とした |
| 経済の大きさ | 大きく成長した | 1960年代の終わりに、国民総生産がアメリカについで資本主義国で第2位になった |
| 高度経済成長の終わり | 1973年ごろまで | 1973年、中東での戦争をきっかけに石油のねだんが急に上がった(石油危機)。物のねだんが大きく上がり、1974年度には戦後初めてのマイナス成長になった |
| 名神高速道路 | 高速道路がつくられた | 日本で初めての自動車専用の高速道路。小牧(愛知県)〜西宮(兵庫県)の全線が1965年に開通した |
この時代の人物

池田勇人
1960年に首相となり、3回にわたって内閣をつくった。所得倍増計画を決め、高度経済成長を進める政治を行った。
重要なところ
三種の神器は、白黒テレビ・電気洗たく機・電気冷蔵庫の3つです。
1950年代の終わりごろに広まりました。
3Cは、カラーテレビ・クーラー・自動車(カー)の3つです。
1960年代の後半から広まりました。三種の神器より後の時代です。
東海道新幹線は、東京オリンピックの開会の直前(1964年10月1日)に開業しました。
東京と新大阪を結びました。
たしかめ問題1/8
1950年代半ばから1973年ごろまで、日本の経済が大きく成長し続けたことを何といいますか。
たしかめ問題2/8
1950年代の終わりごろ「三種の神器」とよばれた3つの電気製品を答えましょう。
白黒テレビ・電気洗たく機・電気冷蔵庫
たしかめ問題3/8
1960年代の後半から広まった、カラーテレビ・クーラー・自動車をまとめて何といいますか。
3C(新三種の神器)
たしかめ問題4/8
1964年に東京で開かれた、アジアで初めてのスポーツの国際大会は何ですか。
東京オリンピック(東京オリンピック・パラリンピック)
たしかめ問題5/8
東京オリンピックの開会の直前に開業し、東京と新大阪を結んだ鉄道を何といいますか。
たしかめ問題6/8
1960年、池田勇人内閣が決めた、10年以内に国民総生産を2倍にする計画を何といいますか。
たしかめ問題7/8
1970年に大阪で開かれ、77か国が参加した博覧会を何といいますか。
日本万国博覧会(大阪万博)
たしかめ問題8/8
経済の成長のかげで、工場のけむりやよごれた水などによって各地で起こった問題を何といいますか。
問いへの答え
東京オリンピック・パラリンピックが開かれたころ、日本の産業や人々のくらしは、どのように変わったのだろう。
1950年代半ばから1973年ごろまで、日本の経済は大きく成長し続けました(高度経済成長)。人々の収入がふえ、家庭には白黒テレビ・電気洗たく機・電気冷蔵庫の「三種の神器」が広まりました。1960年代の後半からは、カラーテレビ・クーラー・自動車の「3C」も広まりました。1964年には、アジアで初めてのオリンピック・パラリンピックが東京で開かれました。開会の直前に東海道新幹線が開業し、首都高速道路などもつくられました。大会は、戦争から立ち直った日本の姿を世界に示し、産業をさらに発展させるきっかけになりました。1970年には大阪で万国博覧会が開かれました。いっぽうで、成長のかげで公害などの問題も起こりました。
画像の出典
- 越谷駅前のテレビ塔(街頭テレビ) 昭和33年(1958)ごろ 越谷市教育委員会蔵(越谷市デジタルアーカイブ(CC BY 4.0))
- 電気冷蔵庫 昭和41年(1966) 金沢くらしの博物館蔵(金沢ミュージアムプラス(金沢くらしの博物館)(CC0))
- 東海道新幹線開業行程表(「東海道新幹線工事進捗状況」の内) 運輸省 昭和39年(1964)4月20日 国立公文書館蔵(国立公文書館デジタルアーカイブ)
- 名神高速道路 開通後 1964年10月25日 西宮市(にしのみやデジタルアーカイブ(CC BY 4.0))
- 万国博覧会ゾウの行進 タイから来たゾウ、171号を歩く 1970年8月 西宮市(にしのみやデジタルアーカイブ(CC BY 4.0))
- 池田勇人(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)