教科書補助小6 社会 / 新しい日本、平和な日本へ / 4本中の3本目

高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)と東京(とうきょう)オリンピックとは?三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)・3C(さんしー)・新幹線(しんかんせん)・大阪万博(おおさかばんぱく)をわかりやすく

教科書では:東京書籍「新しい日本、平和な日本へ」の「高度経済成長の中の東京オリンピック・パラリンピック」/教育出版「平和で豊かな暮らしを目ざして」の「東京オリンピック・パラリンピックが開かれる」「産業の発展と国民生活の変化」/日本文教出版「新しい日本へのあゆみ」の「産業の発展と人々のくらしの変化」「国際社会のなかの日本」

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  1. 1950年代(ねんだい)半(なか)ばから1973年(ねん)ごろまで、日本(にほん)の経済(けいざい)は大(おお)きく成長(せいちょう)し続(つづ)けました。これをといいます。
  2. 家庭(かてい)には、白黒(しろくろ)テレビ・電気(でんき)洗(せん)たく機(き)・電気(でんき)冷蔵庫(れいぞうこ)のが広(ひろ)まり、やがてカラーテレビ・クーラー・自動車(じどうしゃ)のも広(ひろ)まりました。
  3. 1964年(ねん)、アジアで初(はじ)めてのが開(ひら)かれました。それに合(あ)わせてや高速道路(こうそくどうろ)がつくられました。
今日(きょう)の問(と)い

東京(とうきょう)オリンピック・パラリンピックが開(ひら)かれたころ、日本(にほん)の産業(さんぎょう)や人々(ひとびと)のくらしは、どのように変(か)わったのだろう。

読(よ)み終(お)えたら、下(した)の「問(と)いへの答(こた)え」を見(み)る前(まえ)に、自分(じぶん)の言葉(ことば)で答(こた)えてみましょう。

経済(けいざい)が大(おお)きく成長(せいちょう)する

戦争(せんそう)のあとの立(た)ち直(なお)り

戦争(せんそう)が終(お)わったころ、日本(にほん)の町(まち)は焼(や)けあとが広(ひろ)がり、人々(ひとびと)のくらしは苦(くる)しいものでした。人々(ひとびと)は、工場(こうじょう)や町(まち)をつくり直(なお)すために働(はたら)きました。

やがて産業(さんぎょう)は立(た)ち直(なお)り、1950年代(ねんだい)の半(なか)ばから、日本(にほん)の経済(けいざい)は大(おお)きく成長(せいちょう)していきます。

高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)

1950年代(ねんだい)半(なか)ばから1973年(ねん)ごろまで、日本(にほん)の経済(けいざい)は、1年(ねん)に平均(へいきん)で10%近(ちか)い速(はや)さで成長(せいちょう)し続(つづ)けました。これを高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)といいます。

工場(こうじょう)では、鉄鋼(てっこう)や電気製品(でんきせいひん)などがたくさんつくられるようになりました。会社(かいしゃ)や工場(こうじょう)で働(はたら)く人(ひと)がふえ、人々(ひとびと)の収入(しゅうにゅう)も多(おお)くなりました。

経済成長率(けいざいせいちょうりつ)(実質(じっしつ))の移(うつ)り変(か)わり1956〜1973年度(ねんど)(単位(たんい):%)
  1. 1956年度(ねんど)6.8
  2. 1957年度(ねんど)8.1
  3. 1958年度(ねんど)6.6
  4. 1959年度(ねんど)11.2
  5. 1960年度(ねんど)12.0
  6. 1961年度(ねんど)11.7
  7. 1962年度(ねんど)7.5
  8. 1963年度(ねんど)10.4
  9. 1964年度(ねんど)9.5
  10. 1965年度(ねんど)6.2
  11. 1966年度(ねんど)11.0
  12. 1967年度(ねんど)11.0
  13. 1968年度(ねんど)12.4
  14. 1969年度(ねんど)12.0
  15. 1970年度(ねんど)8.2
  16. 1971年度(ねんど)5.0
  17. 1972年度(ねんど)9.1
  18. 1973年度(ねんど)5.1

国内総生産(GDP)が前の年度とくらべてどれだけふえたか(物のねだんの変化をのぞいた実質)。色のこい棒は、10%をこえた年度。1974年度は-0.5%でした。 出典:内閣府「日本経済2021-2022」長期経済統計 国民経済計算

所得倍増計画(しょとくばいぞうけいかく)

1960年(ねん)、池田勇人(いけだはやと)内閣(ないかく)はを決(き)めました。10年以内(ねんいない)に、国全体(くにぜんたい)の生産(せいさん)(国民総生産(こくみんそうせいさん))を2倍(ばい)にするという目標(もくひょう)です。

経済(けいざい)はこの目標(もくひょう)より速(はや)くのびました。1960年代(ねんだい)の終(お)わりには、国民総生産(こくみんそうせいさん)がアメリカについで、資本主義(しほんしゅぎ)の国(くに)の中(なか)で2番目(ばんめ)になりました。

1950年代(ねんだい)半(なか)ばから1973年(ねん)ごろまで、日本(にほん)の経済(けいざい)は大(おお)きく成長(せいちょう)し続(つづ)けました(高度経済成長(こうどけいざいせいちょう))。人々(ひとびと)の収入(しゅうにゅう)もふえていきました。

くらしが便利(べんり)になる

三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)

日本(にほん)のテレビ放送(ほうそう)は、1953年(ねん)に始(はじ)まりました。はじめのころはテレビのある家庭(かてい)は少(すく)なく、駅前(えきまえ)などに街頭(がいとう)テレビが置(お)かれました。

四角い柱の上に、ひさしのついた箱形のテレビが置かれ、「KRT」「ラジオ東京」の文字が見える白黒の写真
駅前(えきまえ)に立(た)てられた街頭(がいとう)テレビ。柱(はしら)の上(うえ)の箱(はこ)にテレビが入(はい)っていました(1958年(ねん)ごろ、埼玉県(さいたまけん)越谷(こしがや)市(し))。越谷駅前のテレビ塔(街頭テレビ) 昭和33年(1958)ごろ 越谷市教育委員会蔵出典:越谷市デジタルアーカイブ(CC BY 4.0)(部分)(CC BY 4.0)
白い1枚とびらに、たての取っ手がついた、四角い電気冷蔵庫
1960年代(ねんだい)の電気(でんき)冷蔵庫(れいぞうこ)。食(た)べ物(もの)を冷(ひ)やして長(なが)く保存(ほぞん)できるようになり、毎日(まいにち)の買(か)い物(もの)や料理(りょうり)が楽(らく)になりました。電気冷蔵庫 昭和41年(1966) 金沢くらしの博物館蔵出典:金沢ミュージアムプラス(金沢くらしの博物館)(CC0)(CC0)

収入(しゅうにゅう)がふえると、家庭(かてい)でも電気製品(でんきせいひん)を買(か)えるようになりました。1950年代(ねんだい)の終(お)わりごろ、次(つぎ)の3つは「三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)」とよばれ、人々(ひとびと)のあこがれの的(まと)でした。

  • 白黒(しろくろ)テレビ
  • 電気(でんき)洗(せん)たく機(き)
  • 電気(でんき)冷蔵庫(れいぞうこ)

洗(せん)たく機(き)や冷蔵庫(れいぞうこ)のおかげで、家事(かじ)が楽(らく)になり、くらしは便利(べんり)になりました。1970年(ねん)には、この3つが約(やく)9割(わり)の家庭(かてい)に広(ひろ)まりました。

三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)の普及率(ふきゅうりつ)(その品物(しなもの)をもっている家庭(かてい)の割合(わりあい))(単位(たんい):%)
  1. 白黒(しろくろ)テレビ1960年(ねん)44.7
  2. 白黒(しろくろ)テレビ1970年(ねん)90.2
  3. 電気(でんき)洗(せん)たく機(き)1960年(ねん)40.6
  4. 電気(でんき)洗(せん)たく機(き)1970年(ねん)91.4
  5. 電気(でんき)冷蔵庫(れいぞうこ)1960年(ねん)10.1
  6. 電気(でんき)冷蔵庫(れいぞうこ)1970年(ねん)89.1

各年2月の調査。1960年は都市の農家でない世帯、1970年は全国の一般世帯の数値。 出典:内閣府「消費動向調査」主要耐久消費財等の普及率(平成16年3月で調査終了した品目)

3C(さんしー)(新三種(しんさんしゅ)の神器(じんぎ))

1960年代(ねんだい)の後半(こうはん)になると、次(つぎ)の3つが新(あたら)しいあこがれになりました。英語(えいご)の頭文字(あたまもじ)をとって「3C」とよばれます。

  • カラーテレビ(Color television)
  • クーラー(Cooler)
  • 自動車(じどうしゃ)(Car)

カラーテレビの放送(ほうそう)は1960年(ねん)に始(はじ)まり、1970年代(ねんだい)には多(おお)くの家庭(かてい)がカラーテレビをもつようになりました。

3C(さんしー)の普及率(ふきゅうりつ)(その品物(しなもの)をもっている家庭(かてい)の割合(わりあい))(単位(たんい):%)
  1. カラーテレビ1970年(ねん)26.3
  2. カラーテレビ1980年(ねん)98.2
  3. クーラー1970年(ねん)5.9
  4. クーラー1980年(ねん)39.2
  5. 自動車(じどうしゃ)1970年(ねん)22.1
  6. 自動車(じどうしゃ)1980年(ねん)57.2

全国の一般世帯。1970年は2月、1980年は3月の調査。クーラーは「ルームエアコン」、自動車は「乗用車」の数値。 出典:内閣府「消費動向調査」主要耐久消費財等の普及率(平成16年3月で調査終了した品目)

収入(しゅうにゅう)がふえて、家庭(かてい)には三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)が、続(つづ)いて3C(さんしー)が広(ひろ)まりました。くらしは便利(べんり)になりました。

1964年(ねん)、東京(とうきょう)オリンピック・パラリンピック

アジアで初(はじ)めてのオリンピック

1964年(ねん)10月(じゅうがつ)10日(とおか)、東京(とうきょう)オリンピックが開幕(かいまく)しました。アジアで初(はじ)めて開(ひら)かれたオリンピックで、90をこえる国(くに)と地域(ちいき)が参加(さんか)しました。

続(つづ)いて11月(じゅういちがつ)には、体(からだ)に障(しょう)がいのある選手(せんしゅ)が競(きそ)う東京(とうきょう)パラリンピックも開(ひら)かれました。

大会(たいかい)の前(まえ)には聖火(せいか)リレーが行(おこな)われ、沿道(えんどう)には大勢(おおぜい)の人(ひと)が集(あつ)まりました。大会(たいかい)は、戦争(せんそう)から立(た)ち直(なお)った日本(にほん)の姿(すがた)を世界(せかい)に示(しめ)すものになりました。

新幹線(しんかんせん)と高速道路(こうそくどうろ)

大会(たいかい)に合(あ)わせて、競技場(きょうぎじょう)や交通(こうつう)がととのえられました。会場(かいじょう)として、国立代々木競技場(こくりつよよぎきょうぎじょう)や日本武道館(にっぽんぶどうかん)などが新(あたら)しく建(た)てられました。

開会(かいかい)の9日前(かまえ)、1964年(ねん)10月(じゅうがつ)1日に(いちにちに)は東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)が開業(かいぎょう)しました。

東京(とうきょう)と新大阪(しんおおさか)の間(あいだ)を、超特急(ちょうとっきゅう)「ひかり」が約(やく)4時間(じかん)で結(むす)びました。東京(とうきょう)では、もつくられました。

同(おな)じころ、名古屋(なごや)の近(ちか)くと神戸(こうべ)の近(ちか)くを結(むす)ぶ名神高速道路(めいしんこうそくどうろ)も、少(すこ)しずつ開通(かいつう)していきました。日本(にほん)で初(はじ)めての、自動車専用(じどうしゃせんよう)の高速道路(こうそくどうろ)です。

上に東京駅から新大阪駅までの駅名とキロ数がならび、その下に工事の進み方を線で表した手書きの表。いちばん下の段に「開業 昭和39年10月1日」と書かれている
東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)の工事(こうじ)の予定表(よていひょう)(1964年(ねん)4月(しがつ))。上(うえ)に東京駅(とうきょうえき)から新大阪(しんおおさか)駅(えき)までの駅(えき)、いちばん下(した)に「開業昭和(かいぎょうしょうわ)39年(ねん)10月(じゅうがつ)1日(ついたち)」とあります。東海道新幹線開業行程表(「東海道新幹線工事進捗状況」の内) 運輸省 昭和39年(1964)4月20日 国立公文書館蔵出典:国立公文書館デジタルアーカイブ(部分)
広い高速道路の上を自動車が走り、横に高架の道がのびている、山を背にした町の白黒の写真
開通(かいつう)したばかりの名神高速道路(めいしんこうそくどうろ)(1964年(ねん)10月(じゅうがつ)、兵庫県(ひょうごけん)西宮(にしのみや)市(し))。日本(にほん)で初(はじ)めての自動車専用(じどうしゃせんよう)の高速道路(こうそくどうろ)です。名神高速道路 開通後 1964年10月25日 西宮市出典:にしのみやデジタルアーカイブ(CC BY 4.0)(CC BY 4.0)
高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)のころのできごとの場所(ばしょ)

地図(ちず)を読(よ)みこんでいます…

地図(ちず)は、指(ゆび)やマウスで動(うご)かしたり、+・−で拡大(かくだい)・縮小(しゅくしょう)したりできます。印(しるし)か、下(した)の場所(ばしょ)の名前(なまえ)をタップすると、説明(せつめい)が出(で)ます。

  • 東京都(とうきょうと)。1964年(ねん)の東京(とうきょう)オリンピックの会場(かいじょう)として建(た)てられた競技場(きょうぎじょう)。日本武道館(にっぽんぶどうかん)などとともに、その後(あと)の日本(にほん)を代表(だいひょう)するスポーツ施設(しせつ)になった。
  • 東京都(とうきょうと)。1964年(ねん)10月(じゅうがつ)1日に(いちにちに)開業(かいぎょう)した東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)の東京側(とうきょうがわ)の駅(えき)。新大阪(しんおおさか)駅(えき)まで、超特急(ちょうとっきゅう)「ひかり」が約(やく)4時間(じかん)で結(むす)んだ。
  • 大阪府(おおさかふ)。1964年(ねん)10月(じゅうがつ)1日に(いちにちに)開業(かいぎょう)した東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)の大阪側(おおさかがわ)の駅(えき)。
  • 兵庫県(ひょうごけん)。日本(にほん)で初(はじ)めての自動車専用(じどうしゃせんよう)の高速道路(こうそくどうろ)、名神高速道路(めいしんこうそくどうろ)が1964年(ねん)9月(くがつ)に西宮(にしのみや)まで開通(かいつう)した。小牧(こまき)〜西宮(にしのみや)の全線(ぜんせん)が開通(かいつう)したのは1965年(ねん)。
  • 大阪府(おおさかふ)。1970年(ねん)に日本万国博覧会(大阪万博)(にほんばんこくはくらんかい)が開(ひら)かれた場所(ばしょ)。いまは万博(ばんぱく)記念公園(きねんこうえん)になっていて、「太陽(たいよう)の塔(とう)」が残(のこ)っている。

●緑は都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)

なぜ?オリンピックは国民(こくみん)にとって大(おお)きなできごとだったの?
戦争(せんそう)に負(ま)けてから、まだ20年(ねん)もたっていませんでした。世界中(せかいちゅう)の人(ひと)をむかえて大会(たいかい)を成功(せいこう)させたことは、人々(ひとびと)の自信(じしん)になり、産業(さんぎょう)がさらに発展(はってん)するきっかけにもなりました。

1964年(ねん)、アジアで初(はじ)めてのオリンピック・パラリンピックが東京(とうきょう)で開(ひら)かれました。東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)や首都高速道路(しゅとこうそくどうろ)もつくられました。

大阪万博(おおさかばんぱく)と、成長(せいちょう)のかげ

1970年(ねん)、大阪万博(おおさかばんぱく)

1970年(ねん)、大阪(おおさか)で(大阪万博(おおさかばんぱく))が開(ひら)かれました。テーマは「人類(じんるい)の進歩(しんぽ)と調和(ちょうわ)」で、77か国(こく)が参加(さんか)しました。

会場(かいじょう)には約(やく)6,400万人(まんにん)がおとずれました。大阪万博(おおさかばんぱく)は、高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)の時代(じだい)の最後(さいご)をかざる、大(おお)きなできごとになりました。

自動車やトラックがならぶ広い道路の右側を、人を乗せたゾウの列が歩き、歩道に大勢の見物人がいる白黒の写真
大阪万博(おおさかばんぱく)に出(で)るため、国道171号(こくどうひゃくななじゅういちごう)を歩(ある)くタイのゾウ(1970年(ねん)、兵庫県(ひょうごけん)西宮(にしのみや)市(し))。道路(どうろ)には自動車(じどうしゃ)がたくさん走(はし)っています。万国博覧会ゾウの行進 タイから来たゾウ、171号を歩く 1970年8月 西宮市出典:にしのみやデジタルアーカイブ(CC BY 4.0)(CC BY 4.0)

成長(せいちょう)のかげで

いっぽうで、工場(こうじょう)から出(で)るけむりやよごれた水(みず)によって、が各地(かくち)で起(お)こりました。くわしくは、次(つぎ)のページで学(まな)びます。

1970年(ねん)には大阪万博(おおさかばんぱく)が開(ひら)かれました。いっぽうで、経済(けいざい)の成長(せいちょう)のかげで公害(こうがい)などの問題(もんだい)も起(お)こりました。

年(ねん)の流(なが)れでふり返(かえ)る

  1. 1953年(ねん)テレビ放送(ほうそう)が始(はじ)まる
  2. 1950年代(ねんだい)半(なか)ば高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)が始(はじ)まる。三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)が広(ひろ)まる
  3. 1960年(ねん)所得倍増計画(しょとくばいぞうけいかく)が決(き)まる。カラーテレビ放送(ほうそう)が始(はじ)まる
  4. 1964年(ねん)東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)が開業(かいぎょう)する。東京(とうきょう)オリンピック・パラリンピックが開(ひら)かれる
  5. 1960年代後半(ねんだいこうはん)3C(さんしー)(カラーテレビ・クーラー・自動車(じどうしゃ))が広(ひろ)まり始(はじ)める
  6. 1970年(ねん)大阪(おおさか)で日本万国博覧会(にほんばんこくはくらんかい)が開(ひら)かれる
  7. 1973年(ねん)ごろ高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)が終(お)わる

中学(ちゅうがく)ではここがくわしくなる

中学(ちゅうがく)の歴史(れきし)では、高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)の始(はじ)まりと終(お)わりを、もう少(すこ)しくわしく習(なら)います。

小学校(しょうがっこう)中学校(ちゅうがっこう)で加(くわ)わること
所得倍増計画(しょとくばいぞうけいかく)池田(いけだ)内閣(ないかく)が決(き)めた1960年(ねん)12月(じゅうにがつ)27日(なのか)に閣議(かくぎ)決定(けってい)。10年以内(ねんいない)に国民総生産(こくみんそうせいさん)(GNP)を2倍(ばい)にし、国民(こくみん)の生活水準(せいかつすいじゅん)を大(おお)きく引(ひ)き上(あ)げることを目的(もくてき)とした
経済(けいざい)の大(おお)きさ大(おお)きく成長(せいちょう)した1960年代(ねんだい)の終(お)わりに、国民総生産(こくみんそうせいさん)がアメリカについで資本主義(しほんしゅぎ)国(くに)で第(だい)2位(い)になった
高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)の終(お)わり1973年(ねん)ごろまで1973年(ねん)、中東(ちゅうとう)での戦争(せんそう)をきっかけに石油(せきゆ)のねだんが急(きゅう)に上(あ)がった(石油危機(せきゆきき))。物(もの)のねだんが大(おお)きく上(あ)がり、1974年度(ねんど)には戦後(せんご)初(はじ)めてのマイナス成長(せいちょう)になった
名神高速道路(めいしんこうそくどうろ)高速道路(こうそくどうろ)がつくられた日本(にほん)で初(はじ)めての自動車専用(じどうしゃせんよう)の高速道路(こうそくどうろ)。小牧(こまき)(愛知県(あいちけん))〜西宮(にしのみや)(兵庫県(ひょうごけん))の全線(ぜんせん)が1965年(ねん)に開通(かいつう)した

この時代(じだい)の人物(じんぶつ)

めがねをかけ、スーツにネクタイの男性
池田勇人(いけだはやと)
1960年(ねん)に首相(しゅしょう)となり、3回(かい)にわたって内閣(ないかく)をつくった。所得倍増計画(しょとくばいぞうけいかく)を決(き)め、高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)を進(すす)める政治(せいじ)を行(おこな)った。

重要(じゅうよう)なところ

三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)は、白黒(しろくろ)テレビ・電気(でんき)洗(せん)たく機(き)・電気(でんき)冷蔵庫(れいぞうこ)の3つです。
1950年代(ねんだい)の終(お)わりごろに広(ひろ)まりました。
3C(さんしー)は、カラーテレビ・クーラー・自動車(じどうしゃ)(カー)の3つです。
1960年代(ねんだい)の後半(こうはん)から広(ひろ)まりました。三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)より後(あと)の時代(じだい)です。
東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)は、東京(とうきょう)オリンピックの開会(かいかい)の直前(ちょくぜん)(1964年(ねん)10月(じゅうがつ)1日(ついたち))に開業(かいぎょう)しました。
東京(とうきょう)と新大阪(しんおおさか)を結(むす)びました。

教科書(きょうかしょ)では、この単元名(たんげんめい)です

  • 東京書籍:「新しい日本、平和な日本へ」の授業「高度経済成長の中の東京オリンピック・パラリンピック」
  • 教育出版:「平和で豊かな暮らしを目ざして」の授業「東京オリンピック・パラリンピックが開かれる」「産業の発展と国民生活の変化」
  • 日本文教出版:「新しい日本へのあゆみ」の授業「産業の発展と人々のくらしの変化」「国際社会のなかの日本」

学習指導要領(がくしゅうしどうようりょう)(平成(へいせい)29年告示(ねんこくじ))では

第(だい)6学年(がくねん)の内容(ないよう)(2)ア(サ):日華事変(にっかじへん)(日中戦争(にっちゅうせんそう))、日本(にほん)が関(かか)わった第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)、日本国憲法(にほんこくけんぽう)の制定(せいてい)、オリンピック・パラリンピックの開催(かいさい)などから、戦後(せんご)に民主的(みんしゅてき)な国家(こっか)として出発(しゅっぱつ)し、国民生活(こくみんせいかつ)が向上(こうじょう)して国際社会(こくさいしゃかい)で重要(じゅうよう)な役割(やくわり)を果(は)たしてきたことを理解(りかい)する。(学習指導要領コード 026321B000000)

「新(あたら)しい日本(にほん)、平和(へいわ)な日本(にほん)へ」の授業(じゅぎょう)の順(じゅん)と、ほかの時間(じかん)の解説(かいせつ)へ

たしかめ問題(もんだい)

1950年代(ねんだい)半(なか)ばから1973年(ねん)ごろまで、日本(にほん)の経済(けいざい)が大(おお)きく成長(せいちょう)し続(つづ)けたことを何(なん)といいますか。高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)
1950年代(ねんだい)の終(お)わりごろ「三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)」とよばれた3つの電気製品(でんきせいひん)を答(こた)えましょう。白黒(しろくろ)テレビ・電気(でんき)洗(せん)たく機(き)・電気(でんき)冷蔵庫(れいぞうこ)
1960年代(ねんだい)の後半(こうはん)から広(ひろ)まった、カラーテレビ・クーラー・自動車(じどうしゃ)をまとめて何(なん)といいますか。3C(さんしー)(新三種(しんさんしゅ)の神器(じんぎ))
1964年(ねん)に東京(とうきょう)で開(ひら)かれた、アジアで初(はじ)めてのスポーツの国際大会(こくさいたいかい)は何(なん)ですか。東京(とうきょう)オリンピック(東京(とうきょう)オリンピック・パラリンピック)
東京(とうきょう)オリンピックの開会(かいかい)の直前(ちょくぜん)に開業(かいぎょう)し、東京(とうきょう)と新大阪(しんおおさか)を結(むす)んだ鉄道(てつどう)を何(なん)といいますか。東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)
1960年(ねん)、池田勇人(いけだはやと)内閣(ないかく)が決(き)めた、10年以内(ねんいない)に国民総生産(こくみんそうせいさん)を2倍(ばい)にする計画(けいかく)を何(なん)といいますか。所得倍増計画(しょとくばいぞうけいかく)
1970年(ねん)に大阪(おおさか)で開(ひら)かれ、77か国(こく)が参加(さんか)した博覧会(はくらんかい)を何(なん)といいますか。日本万国博覧会(大阪万博)(にほんばんこくはくらんかい)
経済(けいざい)の成長(せいちょう)のかげで、工場(こうじょう)のけむりやよごれた水(みず)などによって各地(かくち)で起(お)こった問題(もんだい)を何(なん)といいますか。公害(こうがい)
問(と)いへの答(こた)え

1950年代(ねんだい)半(なか)ばから1973年(ねん)ごろまで、日本(にほん)の経済(けいざい)は大(おお)きく成長(せいちょう)し続(つづ)けました(高度経済成長(こうどけいざいせいちょう))。人々(ひとびと)の収入(しゅうにゅう)がふえ、家庭(かてい)には白黒(しろくろ)テレビ・電気(でんき)洗(せん)たく機(き)・電気(でんき)冷蔵庫(れいぞうこ)の「三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)」が広(ひろ)まりました。1960年代(ねんだい)の後半(こうはん)からは、カラーテレビ・クーラー・自動車(じどうしゃ)の「3C(さんしー)」も広(ひろ)まりました。1964年(ねん)には、アジアで初(はじ)めてのオリンピック・パラリンピックが東京(とうきょう)で開(ひら)かれました。開会(かいかい)の直前(ちょくぜん)に東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)が開業(かいぎょう)し、首都高速道路(しゅとこうそくどうろ)などもつくられました。大会(たいかい)は、戦争(せんそう)から立(た)ち直(なお)った日本(にほん)の姿(すがた)を世界(せかい)に示(しめ)し、産業(さんぎょう)をさらに発展(はってん)させるきっかけになりました。1970年(ねん)には大阪(おおさか)で万国博覧会(ばんこくはくらんかい)が開(ひら)かれました。いっぽうで、成長(せいちょう)のかげで公害(こうがい)などの問題(もんだい)も起(お)こりました。

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出典

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