小6社会/世界に歩み出した日本
韓国併合と第一次世界大戦
今日の問い日露戦争のあと、日本はアジアや世界の国々と、どのように関わっていったのだろう。
3行でわかる
- 日露戦争のあと、日本は韓国を保護国にし、1910年のでにしました。
- 朝鮮の人々は、土地や言葉、文化の面できびしい支配を受け、1919年にを起こしました。
- 1914年に始まったで日本は好景気になり、大戦後のでは新渡戸稲造が事務局次長になりました。
韓国併合―韓国が日本の植民地になる
日露戦争のあとの韓国
そのころの朝鮮半島の国は、名前を「大韓帝国」としていました。これを略して「韓国」とよびます。
日露戦争に勝った日本は、1905年に韓国と条約を結びました。そして、韓国が外国と話し合う外交の権利をうばいました。
このように、外交などの権利をほかの国ににぎられた国をといいます。日本は韓国に統監府を置き、伊藤博文が初代の統監になりました。
1907年には、日本は韓国の政治全体にも、強い力をもつようになりました。
1910年、韓国併合
1910年8月、日本は韓国を併合する条約を結び、韓国を日本の領土にしました。これを韓国併合といいます。
韓国という国はなくなり、日本の植民地になりました。日本はこの地域を「朝鮮」とよび、を置いて治めました。
朝鮮総督府の長である朝鮮総督には、陸軍や海軍の大将がつきました。総督は、軍隊を動かす力と、政治の大きな権限をもっていました。
なぜ? 日本は韓国を支配しようとしたの?
日本は、日清戦争も日露戦争も、朝鮮半島をめぐって戦いました。ほかの国に朝鮮半島をおさえられないよう、日本が支配を強めようとしたのです。いっぽう、韓国の人々にとっては、自分たちの国をうばわれることでした。
韓国併合と第一次世界大戦に関係する場所地図は、指やマウスで動かしたり、+・−で拡大・縮小したりできます。印か、下の場所の名前をタップすると、説明が出ます。
- 大韓民国。韓国の都。韓国併合のあと日本は「京城」とよび、朝鮮総督府を置いた。1919年3月1日、三・一独立運動がここから始まった。
- 台湾。日本が台湾を治めるために置いた台湾総督府があった町。
- 中国。中国の山東半島にあった、ドイツの拠点の港町。第一次世界大戦で日本がせめて占領した。
●赤は戦いの場所、●緑は都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)
台湾も、日清戦争のあとの1895年から、日本の植民地になっていました。台湾には台湾総督府が置かれました。
日本は1905年に韓国を保護国にし、1910年の韓国併合で植民地にしました。朝鮮には朝鮮総督府を置いて治めました。
植民地になった朝鮮の人々
植民地になった朝鮮では、日本の支配のもとで、人々のくらしが大きく変わりました。
土地・学校・言葉
- 土地:朝鮮総督府は、土地の持ち主を調べて、税を確実に集めようとしました。この調査のなかで、それまで耕してきた土地を失った農民もいたといわれています。
- 学校と言葉:学校では、日本語を「国語」として教え、広めようとしました。
- くらし方:朝鮮の人々を、日本人と同じ考え方やくらし方にさせようとしました。
ほかの民族を、自分たちと同じようにさせようとする政策を、といいます。朝鮮の人々は、自分たちの言葉や文化を受けついでいこうとしました。
1920年の京城(今のソウル)の東大門。昔からの都を囲む城壁と門がえがかれています。スコットランド生まれの画家が、朝鮮の町や人々をえがいた作品の1つです。京城東門夜 エリザベス・キース 1920年 東京国立博物館蔵出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)
1919年、三・一独立運動
1919年3月1日、京城(今のソウル)の公園で、朝鮮の独立を宣言する文が発表されました。集まった人々は「独立万歳」とさけんで、町へ出ました。
この動きは、朝鮮全体に広がりました。これを三・一独立運動といいます。
朝鮮総督府は、軍隊や警察の力でこの運動をおさえ、多くの死傷者が出ました。それでも、独立を求める運動は、そのあとも長く続けられました。
朝鮮では、土地を失う人が出たり、学校で日本語を学ばされたりしました。1919年には、独立を求める三・一独立運動が広がりました。
第一次世界大戦と日本
ヨーロッパで始まった戦争
1914年、ヨーロッパで第一次世界大戦が始まりました。イギリス・フランス・ロシアなどの連合国と、ドイツなどの国々が戦いました。
この戦争では、国の人々やお金、科学の力などのすべてを使って戦いました。植民地の人々もまきこんだ、それまでにない大きな戦争になりました。
第一次世界大戦のころのフランスの兵士たち。戦争の最中に、フランスの画家がえがきました。ヨーロッパでは、多くの人々が兵士として戦争に加わりました。世界大戦写生図(5面のうち1面) テオフィル=アレクサンドル・スタンラン 1915〜16年 東京国立博物館蔵出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)
日本の参戦
日本は、を理由に、連合国の側で参戦しました。中国にあったドイツの拠点の青島や、太平洋のドイツ領の島々をせめました。
戦争は1918年に終わり、連合国の側が勝ちました。
大戦中の好景気
ヨーロッパの国々は、戦争のために、品物を十分につくって売ることができなくなりました。そのかわりに、日本の品物が多く輸出されるようになりました。
日本の輸出額は、1914年から1919年の間に、約3.5倍にふえました。1915年から1918年までは、輸出額が輸入額を上回りました。
日本の輸出額の移り変わり(1914〜1919年)- 5.9億円1914年
- 7.1億円1915年
- 11.3億円1916年
- 16.0億円1917年
- 19.6億円1918年
- 21.0億円1919年
内地(今の日本の範囲にあたる地域)の輸出額。統計年鑑の千円単位の数字を、億円にして小数第1位まで表した。当時のお金の価値で、今とはくらべられない。 出典:内閣統計局『第55回 日本帝国統計年鑑』(1936年)表141「輸移出入品総額及貿易外収支」
糸や布などのせんい製品の輸出がとくにのび、機械の輸出も大きくふえました。この大戦中の好景気を、といいます。
1914年に第一次世界大戦が始まり、日本も連合国の側で参戦しました。大戦中は輸出がのびて、好景気になりました。
国際連盟と新渡戸稲造
平和を守るための国際連盟
第一次世界大戦で、多くの国が大きな被害を受けました。そこで、世界の平和を守るための組織がつくられました。
1920年1月、国際連盟が生まれました。世界の平和を守るために、多くの国々が集まってつくった組織です。
日本は、はじめから国際連盟に加わりました。そして、中心となる常任理事国の1つになりました。
事務局次長になった新渡戸稲造
国際連盟の仕事を進める事務局では、新渡戸稲造が事務局次長(事務次長)になりました。事務局を動かす中心の役の1つです。
新渡戸は、今の岩手県の出身です。アメリカに留学し、日本と世界をつなぐことに力をつくしました。1919年から1926年まで、国際連盟で働きました。
- 1905年韓国を保護国にする
- 1910年韓国併合。朝鮮総督府を置く
- 1914年第一次世界大戦が始まる。日本も参戦する
- 1918年第一次世界大戦が終わる
- 1919年朝鮮で三・一独立運動が起こる
- 1920年国際連盟ができる。日本は常任理事国になる
大戦のあと、1920年に国際連盟ができ、日本は常任理事国になりました。新渡戸稲造は事務局次長として活やくしました。
中学ではここがくわしくなる
中学の歴史では、この時代をもう少しくわしく習います。
| 小学校 | 中学校で加わること |
| 韓国の保護国化 | 1905年に保護国にする | 1905年と1907年の日韓協約で、外交の権利、つぎに政治全体の権利を、少しずつにぎっていった |
| 大戦の講和 | 1918年に大戦が終わる | 1919年のベルサイユ条約で、日本は、ドイツが中国の山東省にもっていた権利と、赤道より北の南洋諸島を治める権利を得た |
| ロシアの革命 | (習わない) | 大戦中にロシアで革命が起こった。日本は1918年からシベリアに軍を送り(シベリア出兵)、1922年に引きあげた |
| 三・一独立運動のあと | 運動はそのあとも続いた | 朝鮮総督府は、武力による支配をゆるめ、言論や集会の自由を一部認めるなどした(「文化政治」) |
この時代の人物

伊藤博文
長州藩(山口県)の出身。初代の内閣総理大臣。1905年に韓国が保護国になると、初代の韓国統監になった。

新渡戸稲造
岩手県の出身。アメリカなどに留学し、教育者として活やくした。1919年に国際連盟の事務局次長になり、1926年まで務めた。1984年から発行された五千円札の肖像にもなった。
重要なところ
1905年に韓国を保護国にし、1910年に韓国を併合して植民地にしました。
「保護国」と「併合」の年を区別しましょう。併合のあと、朝鮮総督府が置かれました。
三・一独立運動は、1919年3月1日に京城(今のソウル)から始まり、朝鮮全体に広がった、独立を求める運動です。
朝鮮の人々が、日本の植民地支配からの独立を求めました。
国際連盟ができたのは1920年です。新渡戸稲造は、その事務局次長として活やくしました。
第二次世界大戦のあとにできた「国際連合」とは、別の組織です。
たしかめ問題1/7
1910年に、日本が韓国を併合して植民地にしたことを何といいますか。
たしかめ問題2/7
韓国併合のあと、日本が朝鮮を治めるために置いた役所を何といいますか。
たしかめ問題3/7
1919年3月1日に朝鮮で始まり、全体に広がった、独立を求める運動を何といいますか。
たしかめ問題4/7
1914年にヨーロッパで始まった、多くの国をまきこんだ戦争を何といいますか。
たしかめ問題5/7
日本が第一次世界大戦に参戦する理由にした、イギリスとの同盟を何といいますか。
たしかめ問題6/7
第一次世界大戦のあと、1920年に、世界の平和を守るためにつくられた組織を何といいますか。
たしかめ問題7/7
国際連盟の事務局次長として活やくした、岩手県出身の人物はだれですか。
問いへの答え
日露戦争のあと、日本はアジアや世界の国々と、どのように関わっていったのだろう。
日露戦争に勝った日本は、1905年に韓国を保護国にし、1910年には韓国を併合して植民地にしました。朝鮮総督府が置かれ、朝鮮では土地を失う人が出たり、学校で日本語を「国語」として学ばされたりしました。1919年には、独立を求める三・一独立運動が朝鮮全体に広がりました。いっぽう、1914年に第一次世界大戦が始まると、日本は日英同盟を理由に連合国の側で参戦しました。大戦中は輸出が大きくのびて好景気になりました。大戦のあと、1920年に国際連盟ができ、日本は常任理事国となり、新渡戸稲造が事務局次長として活やくしました。
画像の出典
- 京城東門夜 エリザベス・キース 1920年 東京国立博物館蔵(ColBase(東京国立博物館))
- 世界大戦写生図(5面のうち1面) テオフィル=アレクサンドル・スタンラン 1915〜16年 東京国立博物館蔵(ColBase(東京国立博物館))
- 伊藤博文(『近世名士写真』其1、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
- 新渡戸稲造(前田多門・高木八尺編『新渡戸博士追憶集』1936年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)