教科書補助小6 社会 / 世界に歩み出した日本 / 6本中の4本目

韓国併合(かんこくへいごう)と第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)とは?朝鮮(ちょうせん)の植民地化(しょくみんちか)・三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)・大戦景気(たいせんけいき)・国際連盟(こくさいれんめい)をわかりやすく

教科書では:東京書籍「世界に歩み出した日本」の「世界へ進出する日本」/教育出版「近代国家を目ざして」の「日露戦争後の日本と世界」/日本文教出版「国力の充実をめざす日本と国際社会」の「日露戦争後の日本のようす」

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  1. 日露戦争(にちろせんそう)のあと、日本(にほん)は韓国(かんこく)を保護国(ほごこく)にし、1910年(ねん)のでにしました。
  2. 朝鮮(ちょうせん)の人々(ひとびと)は、土地(とち)や言葉(ことば)、文化(ぶんか)の面(めん)できびしい支配(しはい)を受(う)け、1919年(ねん)にを起(お)こしました。
  3. 1914年(ねん)に始(はじ)まったで日本(にほん)は好景気(こうけいき)になり、大戦後(たいせんご)のでは新渡戸稲造(にとべいなぞう)が事務局次長(じむきょくじちょう)になりました。
今日(きょう)の問(と)い

日露戦争(にちろせんそう)のあと、日本(にほん)はアジアや世界(せかい)の国々(くにぐに)と、どのように関(かか)わっていったのだろう。

読(よ)み終(お)えたら、下(した)の「問(と)いへの答(こた)え」を見(み)る前(まえ)に、自分(じぶん)の言葉(ことば)で答(こた)えてみましょう。

韓国併合(かんこくへいごう)―韓国(かんこく)が日本(にほん)の植民地(しょくみんち)になる

日露戦争(にちろせんそう)のあとの韓国(かんこく)

そのころの朝鮮半島(ちょうせんはんとう)の国(くに)は、名前(なまえ)を「大韓帝国(だいかんていこく)」としていました。これを略(りゃく)して「韓国(かんこく)」とよびます。

日露戦争(にちろせんそう)に勝(か)った日本(にほん)は、1905年(ねん)に韓国(かんこく)と条約(じょうやく)を結(むす)びました。そして、韓国(かんこく)が外国(がいこく)と話(はな)し合(あ)う外交(がいこう)の権利(けんり)をうばいました。

このように、外交(がいこう)などの権利(けんり)をほかの国(くに)ににぎられた国(くに)をといいます。日本(にほん)は韓国(かんこく)に統監府(とうかんふ)を置(お)き、伊藤博文(いとうひろぶみ)が初代(しょだい)の統監(とうかん)になりました。

1907年(ねん)には、日本(にほん)は韓国(かんこく)の政治全体(せいじぜんたい)にも、強(つよ)い力(ちから)をもつようになりました。

1910年(ねん)、韓国併合(かんこくへいごう)

1910年(ねん)8月(はちがつ)、日本(にほん)は韓国(かんこく)を併合(へいごう)する条約(じょうやく)を結(むす)び、韓国(かんこく)を日本(にほん)の領土(りょうど)にしました。これを韓国併合(かんこくへいごう)といいます。

韓国(かんこく)という国(くに)はなくなり、日本(にほん)の植民地(しょくみんち)になりました。日本(にほん)はこの地域(ちいき)を「朝鮮(ちょうせん)」とよび、を置(お)いて治(おさ)めました。

朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)の長(ちょう)である朝鮮総督(ちょうせんそうとく)には、陸軍(りくぐん)や海軍(かいぐん)の大将(たいしょう)がつきました。総督(そうとく)は、軍隊(ぐんたい)を動(うご)かす力(ちから)と、政治(せいじ)の大(おお)きな権限(けんげん)をもっていました。

なぜ? 日本(にほん)は韓国(かんこく)を支配(しはい)しようとしたの?
日本(にほん)は、日清戦争(にっしんせんそう)も日露戦争(にちろせんそう)も、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)をめぐって戦(たたか)いました。ほかの国(くに)に朝鮮半島(ちょうせんはんとう)をおさえられないよう、日本(にほん)が支配(しはい)を強(つよ)めようとしたのです。いっぽう、韓国(かんこく)の人々(ひとびと)にとっては、自分(じぶん)たちの国(くに)をうばわれることでした。
韓国併合(かんこくへいごう)と第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)に関係(かんけい)する場所(ばしょ)

地図(ちず)を読(よ)みこんでいます…

地図(ちず)は、指(ゆび)やマウスで動(うご)かしたり、+・−で拡大(かくだい)・縮小(しゅくしょう)したりできます。印(しるし)か、下(した)の場所(ばしょ)の名前(なまえ)をタップすると、説明(せつめい)が出(で)ます。

  • 大韓民国(だいかんみんこく)。韓国(かんこく)の都(みやこ)。韓国併合(かんこくへいごう)のあと日本(にほん)は「京城(けいじょう)」とよび、朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)を置(お)いた。1919年(ねん)3月(さんがつ)1日(ついたち)、三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)がここから始(はじ)まった。
  • 台湾(たいわん)。日本(にほん)が台湾(たいわん)を治(おさ)めるために置(お)いた台湾総督府(たいわんそうとくふ)があった町(まち)。
  • 中国(ちゅうごく)。中国(ちゅうごく)の山東半島(さんとうはんとう)にあった、ドイツの拠点(きょてん)の港町(みなとまち)。第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)で日本(にほん)がせめて占領(せんりょう)した。

●赤は戦いの場所、●緑は都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)

台湾(たいわん)も、日清戦争(にっしんせんそう)のあとの1895年(ねん)から、日本(にほん)の植民地(しょくみんち)になっていました。台湾(たいわん)には台湾総督府(たいわんそうとくふ)が置(お)かれました。

日本(にほん)は1905年(ねん)に韓国(かんこく)を保護国(ほごこく)にし、1910年(ねん)の韓国併合(かんこくへいごう)で植民地(しょくみんち)にしました。朝鮮(ちょうせん)には朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)を置(お)いて治(おさ)めました。

植民地(しょくみんち)になった朝鮮(ちょうせん)の人々(ひとびと)

植民地(しょくみんち)になった朝鮮(ちょうせん)では、日本(にほん)の支配(しはい)のもとで、人々(ひとびと)のくらしが大(おお)きく変(か)わりました。

土地(とち)・学校(がっこう)・言葉(ことば)

  • 土地(とち):朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)は、土地(とち)の持(も)ち主(ぬし)を調(しら)べて、税(ぜい)を確実(かくじつ)に集(あつ)めようとしました。この調査(ちょうさ)のなかで、それまで耕(たがや)してきた土地(とち)を失(うしな)った農民(のうみん)もいたといわれています。
  • 学校(がっこう)と言葉(ことば):学校(がっこう)では、日本語(にほんご)を「国語(こくご)」として教(おし)え、広(ひろ)めようとしました。
  • くらし方(かた):朝鮮(ちょうせん)の人々(ひとびと)を、日本(にほん)人(ひと)と同(おな)じ考(かんが)え方(かた)やくらし方(かた)にさせようとしました。

ほかの民族(みんぞく)を、自分(じぶん)たちと同(おな)じようにさせようとする政策(せいさく)を、といいます。朝鮮(ちょうせん)の人々(ひとびと)は、自分(じぶん)たちの言葉(ことば)や文化(ぶんか)を受(う)けついでいこうとしました。

夜の青い空の下に、二重の屋根をもつ大きな門と、つたのからまる石の城壁がある木版画。門の下を、人と馬が通っている
1920年(ねん)の京城(けいじょう)(今(いま)のソウル)の東大門(とうだいもん)。昔(むかし)からの都(みやこ)を囲(かこ)む城壁(じょうへき)と門(もん)がえがかれています。スコットランド生(う)まれの画家(がか)が、朝鮮(ちょうせん)の町(まち)や人々(ひとびと)をえがいた作品(さくひん)の1つです。京城東門夜 エリザベス・キース 1920年 東京国立博物館蔵出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)

1919年(ねん)、三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)

1919年(ねん)3月(さんがつ)1日(ついたち)、京城(けいじょう)(今(いま)のソウル)の公園(こうえん)で、朝鮮(ちょうせん)の独立(どくりつ)を宣言(せんげん)する文(ぶん)が発表(はっぴょう)されました。集(あつ)まった人々(ひとびと)は「独立万歳(どくりつばんざい)」とさけんで、町(まち)へ出(で)ました。

この動(うご)きは、朝鮮全体(ちょうせんぜんたい)に広(ひろ)がりました。これを三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)といいます。

朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)は、軍隊(ぐんたい)や警察(けいさつ)の力(ちから)でこの運動(うんどう)をおさえ、多(おお)くの死傷者(ししょうしゃ)が出(で)ました。それでも、独立(どくりつ)を求(もと)める運動(うんどう)は、そのあとも長(なが)く続(つづ)けられました。

朝鮮(ちょうせん)では、土地(とち)を失(うしな)う人(ひと)が出(で)たり、学校(がっこう)で日本語(にほんご)を学(まな)ばされたりしました。1919年(ねん)には、独立(どくりつ)を求(もと)める三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)が広(ひろ)がりました。

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)と日本(にほん)

ヨーロッパで始(はじ)まった戦争(せんそう)

1914年(ねん)、ヨーロッパで第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)が始(はじ)まりました。イギリス・フランス・ロシアなどの連合国(れんごうこく)と、ドイツなどの国々(くにぐに)が戦(たたか)いました。

この戦争(せんそう)では、国(くに)の人々(ひとびと)やお金(かね)、科学(かがく)の力(ちから)などのすべてを使(つか)って戦(たたか)いました。植民地(しょくみんち)の人々(ひとびと)もまきこんだ、それまでにない大(おお)きな戦争(せんそう)になりました。

鉄のかぶとをかぶり、長いコートを着て、かばんを下げた3人の兵士が立ち話をしている、黒一色の絵
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)のころのフランスの兵士(へいし)たち。戦争(せんそう)の最中(さいちゅう)に、フランスの画家(がか)がえがきました。ヨーロッパでは、多(おお)くの人々(ひとびと)が兵士(へいし)として戦争(せんそう)に加(くわ)わりました。世界大戦写生図(5面のうち1面) テオフィル=アレクサンドル・スタンラン 1915〜16年 東京国立博物館蔵出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)

日本(にほん)の参戦(さんせん)

日本(にほん)は、を理由(りゆう)に、連合国(れんごうこく)の側(がわ)で参戦(さんせん)しました。中国(ちゅうごく)にあったドイツの拠点(きょてん)の青島(ちんたお)や、太平洋(たいへいよう)のドイツ領(りょう)の島々(しまじま)をせめました。

戦争(せんそう)は1918年(ねん)に終(お)わり、連合国(れんごうこく)の側(がわ)が勝(か)ちました。

大戦中(たいせんちゅう)の好景気(こうけいき)

ヨーロッパの国々(くにぐに)は、戦争(せんそう)のために、品物(しなもの)を十分(じゅうぶん)につくって売(う)ることができなくなりました。そのかわりに、日本(にほん)の品物(しなもの)が多(おお)く輸出(ゆしゅつ)されるようになりました。

日本(にほん)の輸出(ゆしゅつ)額(がく)は、1914年(ねん)から1919年(ねん)の間(あいだ)に、約(やく)3.5倍(ばい)にふえました。1915年(ねん)から1918年(ねん)までは、輸出(ゆしゅつ)額(がく)が輸入(ゆにゅう)額(がく)を上回(うわまわ)りました。

日本(にほん)の輸出(ゆしゅつ)額(がく)の移(うつ)り変(か)わり(1914〜1919年(ねん))
  1. 5.9億円(おくえん)1914年(ねん)
  2. 7.1億円(おくえん)1915年(ねん)
  3. 11.3億円(おくえん)1916年(ねん)
  4. 16.0億円(おくえん)1917年(ねん)
  5. 19.6億円(おくえん)1918年(ねん)
  6. 21.0億円(おくえん)1919年(ねん)

内地(今の日本の範囲にあたる地域)の輸出額。統計年鑑の千円単位の数字を、億円にして小数第1位まで表した。当時のお金の価値で、今とはくらべられない。 出典:内閣統計局『第55回 日本帝国統計年鑑』(1936年)表141「輸移出入品総額及貿易外収支」

糸(いと)や布(ぬの)などのせんい製品(せいひん)の輸出(ゆしゅつ)がとくにのび、機械(きかい)の輸出(ゆしゅつ)も大(おお)きくふえました。この大戦中(たいせんちゅう)の好景気(こうけいき)を、といいます。

1914年(ねん)に第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)が始(はじ)まり、日本(にほん)も連合国(れんごうこく)の側(がわ)で参戦(さんせん)しました。大戦中(たいせんちゅう)は輸出(ゆしゅつ)がのびて、好景気(こうけいき)になりました。

国際連盟(こくさいれんめい)と新渡戸稲造(にとべいなぞう)

平和(へいわ)を守(まも)るための国際連盟(こくさいれんめい)

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)で、多(おお)くの国(くに)が大(おお)きな被害(ひがい)を受(う)けました。そこで、世界(せかい)の平和(へいわ)を守(まも)るための組織(そしき)がつくられました。

1920年(ねん)1月(いちがつ)、国際連盟(こくさいれんめい)が生(う)まれました。世界(せかい)の平和(へいわ)を守(まも)るために、多(おお)くの国々(くにぐに)が集(あつ)まってつくった組織(そしき)です。

日本(にほん)は、はじめから国際連盟(こくさいれんめい)に加(くわ)わりました。そして、中心(ちゅうしん)となる常任理事国(じょうにんりじこく)の1つになりました。

事務局次長(じむきょくじちょう)になった新渡戸稲造(にとべいなぞう)

国際連盟(こくさいれんめい)の仕事(しごと)を進(すす)める事務局(じむきょく)では、新渡戸稲造(にとべいなぞう)が事務局次長(じむきょくじちょう)(事務次長(じむじちょう))になりました。事務局(じむきょく)を動(うご)かす中心(ちゅうしん)の役(やく)の1つです。

新渡戸(にとべ)は、今(いま)の岩手県(いわてけん)の出身(しゅっしん)です。アメリカに留学(りゅうがく)し、日本(にほん)と世界(せかい)をつなぐことに力(ちから)をつくしました。1919年(ねん)から1926年(ねん)まで、国際連盟(こくさいれんめい)で働(はたら)きました。

  1. 1905年(ねん)韓国(かんこく)を保護国(ほごこく)にする
  2. 1910年(ねん)韓国併合(かんこくへいごう)。朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)を置(お)く
  3. 1914年(ねん)第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)が始(はじ)まる。日本(にほん)も参戦(さんせん)する
  4. 1918年(ねん)第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)が終(お)わる
  5. 1919年(ねん)朝鮮(ちょうせん)で三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)が起(お)こる
  6. 1920年(ねん)国際連盟(こくさいれんめい)ができる。日本(にほん)は常任理事国(じょうにんりじこく)になる

大戦(たいせん)のあと、1920年(ねん)に国際連盟(こくさいれんめい)ができ、日本(にほん)は常任理事国(じょうにんりじこく)になりました。新渡戸稲造(にとべいなぞう)は事務局次長(じむきょくじちょう)として活(かつ)やくしました。

中学(ちゅうがく)ではここがくわしくなる

中学(ちゅうがく)の歴史(れきし)では、この時代(じだい)をもう少(すこ)しくわしく習(なら)います。

小学校(しょうがっこう)中学校(ちゅうがっこう)で加(くわ)わること
韓国(かんこく)の保護国化(ほごこくか)1905年(ねん)に保護国(ほごこく)にする1905年(ねん)と1907年(ねん)の日韓協約(にっかんきょうやく)で、外交(がいこう)の権利(けんり)、つぎに政治全体(せいじぜんたい)の権利(けんり)を、少(すこ)しずつにぎっていった
大戦(たいせん)の講和(こうわ)1918年(ねん)に大戦(たいせん)が終(お)わる1919年(ねん)のベルサイユ条約(じょうやく)で、日本(にほん)は、ドイツが中国(ちゅうごく)の山東省(さんとうしょう)にもっていた権利(けんり)と、赤道(せきどう)より北(きた)の南洋諸島(なんようしょとう)を治(おさ)める権利(けんり)を得(え)た
ロシアの革命(かくめい)(習(なら)わない)大戦中(たいせんちゅう)にロシアで革命(かくめい)が起(お)こった。日本(にほん)は1918年(ねん)からシベリアに軍(ぐん)を送(おく)り(シベリア出兵(しゅっぺい))、1922年(ねん)に引(ひ)きあげた
三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)のあと運動(うんどう)はそのあとも続(つづ)いた朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)は、武力(ぶりょく)による支配(しはい)をゆるめ、言論(げんろん)や集会(しゅうかい)の自由(じゆう)を一部(いちぶ)認(みと)めるなどした(「文化政治(ぶんかせいじ)」)

この時代(じだい)の人物(じんぶつ)

白いあごひげをはやした、黒い服の男性の顔
伊藤博文(いとうひろぶみ)
長州藩(ちょうしゅうはん)(山口県(やまぐちけん))の出身(しゅっしん)。初代(しょだい)の内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)。1905年(ねん)に韓国(かんこく)が保護国(ほごこく)になると、初代(しょだい)の韓国(かんこく)統監(とうかん)になった。
伊藤博文(『近世名士写真』其1、1935年)。出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(部分)
丸いめがねをかけ、白い髪で口ひげのある、洋服の男性の顔
新渡戸稲造(にとべいなぞう)
岩手県(いわてけん)の出身(しゅっしん)。アメリカなどに留学(りゅうがく)し、教育者(きょういくしゃ)として活(かつ)やくした。1919年(ねん)に国際連盟(こくさいれんめい)の事務局次長(じむきょくじちょう)になり、1926年(ねん)まで務(つと)めた。1984年(ねん)から発行(はっこう)された五千円札(ごせんえんさつ)の肖像(しょうぞう)にもなった。
新渡戸稲造(前田多門・高木八尺編『新渡戸博士追憶集』1936年)。出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(部分)

重要(じゅうよう)なところ

1905年(ねん)に韓国(かんこく)を保護国(ほごこく)にし、1910年(ねん)に韓国(かんこく)を併合(へいごう)して植民地(しょくみんち)にしました。
「保護国(ほごこく)」と「併合(へいごう)」の年(とし)を区別(くべつ)しましょう。併合(へいごう)のあと、朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)が置(お)かれました。
三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)は、1919年(ねん)3月(さんがつ)1日に(いちにちに)京城(けいじょう)(今(いま)のソウル)から始(はじ)まり、朝鮮全体(ちょうせんぜんたい)に広(ひろ)がった、独立(どくりつ)を求(もと)める運動(うんどう)です。
朝鮮(ちょうせん)の人々(ひとびと)が、日本(にほん)の植民地(しょくみんち)支配(しはい)からの独立(どくりつ)を求(もと)めました。
国際連盟(こくさいれんめい)ができたのは1920年(ねん)です。新渡戸稲造(にとべいなぞう)は、その事務局次長(じむきょくじちょう)として活(かつ)やくしました。
第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)のあとにできた「国際連合(こくさいれんごう)」とは、別(べつ)の組織(そしき)です。

教科書(きょうかしょ)では、この単元名(たんげんめい)です

  • 東京書籍:「世界に歩み出した日本」の授業「世界へ進出する日本」
  • 教育出版:「近代国家を目ざして」の授業「日露戦争後の日本と世界」
  • 日本文教出版:「国力の充実をめざす日本と国際社会」の授業「日露戦争後の日本のようす」

学習指導要領(がくしゅうしどうようりょう)(平成(へいせい)29年告示(ねんこくじ))では

第(だい)6学年(がくねん)の内容(ないよう)(2)ア(コ):大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう)の発布(はっぷ)、日清(にっしん)・日露(にちろ)の戦争(せんそう)、条約(じょうやく)改正(かいせい)、科学(かがく)の発展(はってん)から、日本(にほん)の国力(こくりょく)が充実(じゅうじつ)し国際的(こくさいてき)な地位(ちい)が上(あ)がったことを理解(りかい)する。(学習指導要領コード 026321A000000)

「世界(せかい)に歩(あゆ)み出(だ)した日本(にほん)」の授業(じゅぎょう)の順(じゅん)と、ほかの時間(じかん)の解説(かいせつ)へ

たしかめ問題(もんだい)

1910年(ねん)に、日本(にほん)が韓国(かんこく)を併合(へいごう)して植民地(しょくみんち)にしたことを何(なん)といいますか。韓国併合(かんこくへいごう)
韓国併合(かんこくへいごう)のあと、日本(にほん)が朝鮮(ちょうせん)を治(おさ)めるために置(お)いた役所(やくしょ)を何(なん)といいますか。朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)
1919年(ねん)3月(さんがつ)1日に(いちにちに)朝鮮(ちょうせん)で始(はじ)まり、全体(ぜんたい)に広(ひろ)がった、独立(どくりつ)を求(もと)める運動(うんどう)を何(なん)といいますか。三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)
1914年(ねん)にヨーロッパで始(はじ)まった、多(おお)くの国(くに)をまきこんだ戦争(せんそう)を何(なん)といいますか。第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)
日本(にほん)が第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)に参戦(さんせん)する理由(りゆう)にした、イギリスとの同盟(どうめい)を何(なん)といいますか。日英同盟(にちえいどうめい)
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)のあと、1920年(ねん)に、世界(せかい)の平和(へいわ)を守(まも)るためにつくられた組織(そしき)を何(なん)といいますか。国際連盟(こくさいれんめい)
国際連盟(こくさいれんめい)の事務局次長(じむきょくじちょう)として活(かつ)やくした、岩手県出身(いわてけんしゅっしん)の人物(じんぶつ)はだれですか。新渡戸稲造(にとべいなぞう)
問(と)いへの答(こた)え

日露戦争(にちろせんそう)に勝(か)った日本(にほん)は、1905年(ねん)に韓国(かんこく)を保護国(ほごこく)にし、1910年(ねん)には韓国(かんこく)を併合(へいごう)して植民地(しょくみんち)にしました。朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)が置(お)かれ、朝鮮(ちょうせん)では土地(とち)を失(うしな)う人(ひと)が出(で)たり、学校(がっこう)で日本語(にほんご)を「国語(こくご)」として学(まな)ばされたりしました。1919年(ねん)には、独立(どくりつ)を求(もと)める三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)が朝鮮全体(ちょうせんぜんたい)に広(ひろ)がりました。いっぽう、1914年(ねん)に第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)が始(はじ)まると、日本(にほん)は日英同盟(にちえいどうめい)を理由(りゆう)に連合国(れんごうこく)の側(がわ)で参戦(さんせん)しました。大戦中(たいせんちゅう)は輸出(ゆしゅつ)が大(おお)きくのびて好景気(こうけいき)になりました。大戦(たいせん)のあと、1920年(ねん)に国際連盟(こくさいれんめい)ができ、日本(にほん)は常任理事国(じょうにんりじこく)となり、新渡戸稲造(にとべいなぞう)が事務局次長(じむきょくじちょう)として活(かつ)やくしました。

この単元(たんげん)のプリントで確(たし)かめる(25枚(まい)・答(こた)えつき)

出典

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