小6社会/町人の文化と新しい学問
町人の文化
今日の問い江戸時代の町人たちは、どのような文化を楽しんでいたのだろう。
3行でわかる
- 江戸時代、ゆたかになった町人が、新しい文化を楽しみ、生み出しました。
- 近松門左衛門はやの台本を、歌川広重や葛飾北斎はをかきました。
- 松尾芭蕉は俳句を芸術に高め、町や村ではで子どもたちが読み書きを学びました。
町人がゆたかになる
江戸時代は、大きな戦いのない世の中が長く続きました。街道や海の交通が整い、全国の品物が、大阪や京都、江戸などの大きな町に集まるようになりました。
こうした町で商売をする町人の中には、ゆたかになる人が増えていきました。
ゆたかになった町人たちは、芝居を見たり、絵を買ったり、本を読んだりして、くらしを楽しむようになりました。こうして、町人が中心となった新しい文化が生まれました。
江戸の芝居町のにぎわい。芝居小屋の前には、のぼりや看板が立ちならび、たくさんの人が集まっています。東都名所 芝居町繁栄之図 歌川広重 江戸時代・19世紀出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)
戦いのない世の中が続いてゆたかになった町人が、芝居や絵、本を楽しむ新しい文化を生み出しました。
歌舞伎と人形浄瑠璃―近松門左衛門
町人が楽しんだ芝居
町人たちが楽しんだのが、歌舞伎と人形浄瑠璃です。歌舞伎は、役者が演じる芝居です。
人形浄瑠璃は、三味線に合わせて語られる物語に合わせ、人形をあやつって演じる芝居です。今の文楽につながっています。
台本を書いた近松門左衛門
大阪や京都で活やくした近松門左衛門は、歌舞伎と人形浄瑠璃の台本をたくさん書きました。人形浄瑠璃では、竹本義太夫などのために、100をこえる作品を書いています。
近松門左衛門の絵。明治時代の本にのせられた、想像でえがいた絵です。『近松門左衛門』(塚越芳太郎、1894年)の口絵出典:国立国会図書館デジタルコレクション(部分)
1703年に大阪の竹本座で初めて上演された「曽根崎心中」は、実際におこった事件をもとにした物語です。たいへんな評判になり、町人の世界をえがいた芝居がはやるようになりました。
近松は、このあとも「国性爺合戦」「心中天網島」など、次々に名作を書きました。
町人は歌舞伎や人形浄瑠璃を楽しみました。近松門左衛門は、町人の世界をえがいた台本をたくさん書きました。
浮世絵―歌川広重と葛飾北斎
たくさん刷られた浮世絵
町の人々のくらしや、役者、名所などをえがいた絵を、浮世絵といいます。
浮世絵の多くは木版画です。同じ絵を何枚も刷ることができたので、たくさんの人が手に入れられました。
広重と北斎
歌川広重は、江戸から京都までの東海道の宿場のようすを、「東海道五十三次」としてえがきました。にわか雨の中を急ぐ旅人など、旅のようすがいきいきとえがかれています。
東海道の庄野の宿の近くで、にわか雨にあった旅人たち。「東海道五十三次」の1枚です。東海道五拾三次之内 庄野 白雨 歌川広重 江戸時代・19世紀出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)
葛飾北斎は、いろいろな場所から見た富士山をえがいた「冨嶽三十六景」で知られています。大きな波の向こうに富士山が見える絵は、今では世界中で知られています。
大きな波の向こうに富士山が見える「神奈川沖浪裏」。「冨嶽三十六景」の1枚です。冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎 江戸時代・19世紀出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)
歌川広重
東海道の
宿場をえがいた「
東海道五十三次」。
旅のようすや、
雨・
雪などの
天気もえがいた。
葛飾北斎
富士山をえがいた「
冨嶽三十六景」。いろいろな
場所から
見た
富士山をえがいた。
浮世絵は木版画で、たくさん刷られました。歌川広重は「東海道五十三次」、葛飾北斎は「冨嶽三十六景」をえがきました。
俳句―松尾芭蕉
五・七・五の17音でよむ(当時は俳諧とよばれました)も、町人たちの間で楽しまれました。松尾芭蕉は、俳句を、自然や人生を深く表す芸術に高めました。
松尾芭蕉の絵。江戸時代の画家、渡辺崋山がえがいた芭蕉の姿をもとにした版画です。「芭蕉肖像真蹟」(渡辺崋山画による) 天保年間(1830〜1844)ごろ出典:東京都立中央図書館(部分)
「おくのほそ道」の旅
芭蕉は1689年、弟子の曽良と、江戸から東北・北陸地方への長い旅に出ました。156日間、ほとんど歩いて旅をしました。
その旅のようすを、俳句と文章で書いたのが「おくのほそ道」です。芭蕉の作品の中で、いちばんよく知られています。
今の山形県の山寺(立石寺)では、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という句をよみました。山の寺の静けさを、岩にしみこんでいくような蝉の声でえがいた句です。
なぜ? 町人の文化は、全国に広がったの?
街道や海の交通が整って、人や品物が行き来しやすくなりました。浮世絵や本は、何枚も刷ることができました。さらに、寺子屋で読み書きを学んだ人が増えて、本を読んだり俳句をつくったりする人が多くなったのです。
松尾芭蕉は俳句を芸術に高め、旅のようすを「おくのほそ道」に書きました。
寺子屋で学ぶ子どもたち
町や村では、子どもたちが寺子屋に通って学びました。寺子屋は、幕末には全国に1万5000以上もあったといわれています。
寺子屋で、書き初め(新年に初めて字を書くこと)をする子どもたち。3枚続きの浮世絵のまん中の1枚です。寺子屋書初 歌川豊国 江戸時代出典:国立国会図書館デジタルコレクション(部分)
寺子屋の先生は、師匠とよばれました。明治時代のはじめに東京府が調べたところでは、江戸の寺子屋の師匠の多くは町人でした。
本を出版して売る商売も広がり、たくさんの人が本にふれるようになりました。読み書きのできる人が増えたことが、町人の文化が全国に広がることを支えました。
- 戦いのない世の中が続き、交通が整う
- 大阪・京都・江戸などの町に品物が集まり、町人がゆたかになる
- 町人が、芝居・浮世絵・俳句などを楽しむ
- 寺子屋で読み書きを学ぶ人が増え、文化が全国に広がる
寺子屋で読み書きを学ぶ人が増え、町人の文化が全国に広がることを支えました。
この時代の人物

近松門左衛門
大阪や京都で活やくした、歌舞伎と人形浄瑠璃の台本作者。「曽根崎心中」など、町人のくらしをえがいた作品を多く書いた。

松尾芭蕉
俳句(俳諧)を芸術に高めた人。1689年に東北・北陸を旅して「おくのほそ道」を書いた。

歌川広重
浮世絵師。東海道の宿場をえがいた「東海道五十三次」で知られる。

葛飾北斎
浮世絵師。富士山をえがいた「冨嶽三十六景」で知られる。
重要なところ
「東海道五十三次」をえがいたのは歌川広重、「冨嶽三十六景」をえがいたのは葛飾北斎です。
「広重=東海道」「北斎=富士山」と、組で覚えましょう。
近松門左衛門は、歌舞伎や人形浄瑠璃の台本を書きました。
「曽根崎心中」は、近松の代表的な作品です。
松尾芭蕉は、旅をして「おくのほそ道」を書きました。
芭蕉は俳句、近松は芝居の台本、と分けて覚えましょう。
たしかめ問題1/5
「曽根崎心中」など、歌舞伎や人形浄瑠璃の台本を書いた人はだれですか。
たしかめ問題2/5
「東海道五十三次」をえがいた浮世絵師はだれですか。
たしかめ問題3/5
「冨嶽三十六景」をえがいた浮世絵師はだれですか。
たしかめ問題4/5
旅をして「おくのほそ道」を書いた人はだれですか。
たしかめ問題5/5
江戸時代、子どもたちが読み書きやそろばんを学んだところを何といいますか。
問いへの答え
江戸時代の町人たちは、どのような文化を楽しんでいたのだろう。
大きな戦いのない世の中が続き、商売でゆたかになった町人たちは、芝居や絵、文学などを楽しむようになりました。町人は、歌舞伎や人形浄瑠璃の芝居を見に行き、旅や名所をえがいた浮世絵を買い、俳句をよみました。寺子屋で読み書きを学ぶ子どもも増え、本を読む人も多くなりました。こうして、町人が中心となった文化が、大阪や京都、江戸などの町から全国に広がっていったのです。
画像の出典
- 東都名所 芝居町繁栄之図 歌川広重 江戸時代・19世紀(ColBase(東京国立博物館))
- 『近松門左衛門』(塚越芳太郎、1894年)の口絵(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 東海道五拾三次之内 庄野 白雨 歌川広重 江戸時代・19世紀(ColBase(東京国立博物館))
- 冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎 江戸時代・19世紀(ColBase(東京国立博物館))
- 「芭蕉肖像真蹟」(渡辺崋山画による) 天保年間(1830〜1844)ごろ(東京都立中央図書館)
- 寺子屋書初 歌川豊国 江戸時代(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 歌川広重 死絵 歌川国貞(三代豊国)筆 1858年(ColBase(東京国立博物館))
- Hokusai as an old man(年をとった北斎。北斎のえがいた絵を明治時代に版画で写したもの)(Smithsonian National Museum of Asian Art(フリーア美術館))