鎖国とは? キリスト教の禁止から出島・4つの窓口まで、江戸幕府の外国とのつきあい方をわかりやすく
教科書では:東京書籍「江戸幕府と政治の安定」の「キリスト教の禁止と鎖国」/教育出版「幕府の政治と人々の暮らし」の「鎖国への道」「鎖国のもとでの交流」/日本文教出版「武士による政治の安定」の「キリスト教の禁止と貿易の取りしまり」「江戸時代の外国との交流」
- 江戸幕府はキリスト教を禁止し、日本人が海外へ行き来することも禁じました。
- ヨーロッパの国ではオランダだけが、長崎ので貿易を許されました。
- 外国とのつきあいは、長崎・対馬・薩摩・松前の4つの窓口にかぎられました。このような体制を、のちにとよびます。
江戸幕府は、なぜ外国とのつきあいを、かぎられた場所だけにしたのだろう。
読み終えたら、下の「問いへの答え」を見る前に、自分の言葉で答えてみましょう。キリスト教の禁止
信者が増えることをおそれた幕府
戦国時代の終わりごろから、日本ではの信者が増えていました。
しかし江戸幕府は、信者たちが神を大切にして団結し、幕府の命令に従わなくなることをおそれました。
キリスト教の禁止と絵踏
そこで幕府は、1612年に幕府の領地でキリスト教を禁止し、まもなく全国でも禁止しました。
教会はこわされ、は国外へ追放されました。信者たちは、信仰を捨てるよう、きびしくせまられました。
長崎などでは、人々にキリストやマリアの像をふませて、信者でないことを確かめました。これをといいます。

幕府は、信者が団結して命令に従わなくなることをおそれ、キリスト教を禁止しました。絵踏で信者を見つけ出しました。
島原・天草一揆
1637年、九州の島原(今の長崎県)と天草(今の熊本県)で、人々がいっせいに立ち上がりました。重い年貢の取り立てと、キリスト教の信者へのきびしい取りしまりに苦しんだのです。これをといいます。
一揆の人々は、少年の天草四郎(益田時貞)を大将にして、原城に立てこもりました。
地図を読みこんでいます…
地図は、指やマウスで動かしたり、+・−で拡大・縮小したりできます。印か、下の場所の名前をタップすると、説明が出ます。
- 長崎県。島原・天草一揆で、一揆の人々が立てこもった城。今の長崎県南島原市。
- 長崎県。長崎の港の人工の島。オランダの商館が置かれた。長崎では中国とも貿易をした。
- 長崎県。朝鮮との窓口。対馬藩(宗氏)が朝鮮との交流を受け持った。
- 鹿児島県。琉球(今の沖縄県)との窓口。薩摩藩(島津氏)が受け持った。
- 北海道。蝦夷地(今の北海道)のアイヌの人々との窓口。松前藩(松前氏)が受け持った。
●赤は戦いの場所、●緑は都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)
幕府は大軍を送り、4か月ほどかかって、ようやく一揆をしずめました。この一揆のあと、幕府はキリスト教を、いっそうきびしく取りしまるようになりました。
1637年、重い年貢とキリスト教の取りしまりに苦しんだ人々が、島原・天草一揆をおこしました。
出島とオランダ
日本人の海外渡航とポルトガル船の禁止
幕府は1635年、日本人が海外へ行くことと、海外にいる日本人が帰ってくることを禁止しました。
そして島原・天草一揆のあとの1639年、キリスト教を広めようとするポルトガルの船が来ることを禁止しました。
出島で貿易を続けたオランダ
ヨーロッパの国で、日本との貿易を許されたのは、キリスト教を広めないオランダだけでした。
1641年、オランダの商館(貿易のための役所)は、平戸(今の長崎県)から長崎の出島に移されました。出島は、長崎の港につくられた人工の島です。

長崎では、中国(明、のちの清)の船も来て、貿易をしました。
- 1612年幕府の領地でキリスト教を禁止する(まもなく全国でも禁止)
- 1635年日本人が海外へ行くことと、帰国を禁止する
- 1637年島原・天草一揆がおこる
- 1639年ポルトガルの船が来ることを禁止する
- 1641年オランダの商館を、長崎の出島に移す
オランダは、キリスト教を広めることより、貿易でもうけることを大切にしていました。幕府にとっては、キリスト教が入ってくる心配がなく、貿易の利益や海外の情報も手に入る相手だったのです。
ポルトガル船の来航を禁止し、ヨーロッパではオランダだけが、長崎の出島で貿易を許されました。
4つの窓口
幕府は、外国とのつきあいを、まったくやめたわけではありません。長崎・対馬・薩摩・松前の4つの窓口を通じて、外国やまわりの地域の人々と交流を続けました。
| 窓口 | 相手 | 担当 |
|---|---|---|
| 長崎 | オランダ・中国 | 幕府が直接 |
| 対馬 | 朝鮮 | 対馬藩(宗氏) |
| 薩摩 | 琉球(今の沖縄県) | 薩摩藩(島津氏) |
| 松前 | 蝦夷地(今の北海道)のアイヌの人々 | 松前藩(松前氏) |
朝鮮通信使と琉球の使節
朝鮮からは、おもに将軍がかわるたびに、とよばれる使節が、全部で12回やってきました。一行は、多いときには500人にもなりました。


琉球からは、将軍がかわったときにはお祝いの使節が、琉球の国王がかわったときにはお礼の使節が、江戸へやってきました。
外国とのつきあいは、長崎・対馬・薩摩・松前の4つの窓口にかぎられました。この体制を、のちに鎖国とよびます。
中学ではここがくわしくなる
オランダ風説書
幕府は、貿易だけでなく、海外の情報も手に入れました。オランダの船が長崎に入るたびに、海外のようすを報告させたのです。
それを通訳が日本語に訳して、江戸へ送りました。これを「オランダ風説書」といいます。幕府は、こうして得た海外の情報を、自分たちだけで管理しました。
オランダ商館長の江戸参府
出島のオランダ商館長は、貿易を許されたお礼に、江戸へ行って将軍にあいさつしました。これを江戸参府といいます。
はじめは毎年、のちに4年に1回となり、全部で166回も行われました。江戸では、蘭学者などがオランダ人の宿をたずねて、いろいろな質問をしました。
この時代の人物

重要なところ
ヨーロッパの国で貿易を許されたのはオランダだけです。
出島は、もともとポルトガル人を住まわせるためにつくられた人工の島です。
対馬は朝鮮、薩摩は琉球、松前はアイヌの人々との窓口です。
教科書では、この単元名です
- 東京書籍:「江戸幕府と政治の安定」の授業「キリスト教の禁止と鎖国」
- 教育出版:「幕府の政治と人々の暮らし」の授業「鎖国への道」「鎖国のもとでの交流」
- 日本文教出版:「武士による政治の安定」の授業「キリスト教の禁止と貿易の取りしまり」「江戸時代の外国との交流」
学習指導要領(平成29年告示)では
第6学年の内容(2)ア(キ):江戸幕府の始まり、参勤交代や鎖国、身分のしくみから、武士による政治が安定したことを理解する。(学習指導要領コード 0263217000000)
たしかめ問題
キリスト教の信者でないことを確かめるため、キリストやマリアの像をふませたことを何といいますか。
絵踏1637年に、九州でおこった大きな一揆を何といいますか。
島原・天草一揆ヨーロッパの国で、鎖国のあいだも日本との貿易を許された国はどこですか。
オランダオランダの商館が置かれた、長崎の人工の島を何といいますか。
出島朝鮮から日本にやってきた使節を何といいますか。
朝鮮通信使幕府は、キリスト教の信者が団結して幕府に従わなくなることをおそれ、キリスト教を禁止しました。そのため、キリスト教を広めようとするポルトガルの船が来ることを禁じ、日本人が海外へ行き来することも禁じました。一方で、外国との貿易や交流は大切だったので、キリスト教を広めないオランダと中国とは長崎で貿易を続けました。朝鮮・琉球・アイヌの人々とは、対馬・薩摩・松前を通じて交流しました。こうして幕府は、外国とのつきあいを自分で管理し、貿易の利益や海外の情報を手にしたのです。
出典
- 国立国会図書館「日蘭交流の歴史を辿る」第1部 2. 出島の商館
- 国立国会図書館「江戸時代の日蘭交流」第1部 2. 出島の商館(風説書・江戸参府・貿易品)
- 長崎市「平戸から出島へお引っ越し」
- 荒野泰典「『四つの口』と長崎貿易」(nippon.com、2012年)
- 仙台市博物館「支倉常長に関する資料」(禁教令の年)
- 長崎県「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(原城跡)
- 長崎市「絵踏」(長崎の歴史)
- ColBase「板踏絵 キリスト像(エッケ・ホモ)」の解説(東京国立博物館)
- 山口県文書館「鎖国下の対外関係 朝鮮と琉球王国(朝鮮通信使)」
- 琉球大学附属図書館 琉球・沖縄関係貴重資料デジタルアーカイブ「琉球聘使畧」の解説
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