小6社会/戦国の世から天下統一へ
鉄砲とキリスト教
今日の問いヨーロッパから来た鉄砲とキリスト教は、日本をどう変えたのだろう。
3行でわかる
- 1543年、種子島にポルトガル人が来て、が日本に伝わりました。
- 1549年、宣教師のザビエルが来て、が日本に伝わりました。
- 鉄砲で戦い方が大きく変わり、で、ヨーロッパの品物やことばも入ってきました。
戦国の世と、ヨーロッパの船
大名が争う戦国時代
のあと、日本はに入りました。各地のが、自分の力で土地を広げようと争う世の中です。
家来が主人をたおして、自分が大名になることもありました。これをといいます。
世界の海に乗り出したヨーロッパ
同じころ、ヨーロッパの国々は、船で世界の海に乗り出していました。
ポルトガルの船は、アフリカの南を回って、インドや中国までやってきました。そして、その船が日本にもとどいたのです。
- 1467年応仁の乱が始まり、戦国の世へ
- 1543年種子島に鉄砲が伝わる
- 1549年ザビエルがキリスト教を伝える
- 1582年日本の少年たちが、ローマへ向けて出発する
戦国時代、大名たちが争っていたころ、ヨーロッパの船が日本にやってきました。
鉄砲が伝わる―1543年、種子島
種子島に流れ着いた船
1543年、中国の船が、今の鹿児島県にある種子島に流れ着きました。その船に乗っていたポルトガル人が、鉄砲を持っていました。
島の領主の種子島時尭は、その威力におどろき、大金を出して鉄砲を2丁買いました。そして、島の刀かじ(刀をつくる職人)に、同じものを作らせました。
この話は、17世紀のはじめにまとめられた『鉄炮記』という本に書かれています。
鉄砲のうち方を教える絵。鉄砲は、日本のかじ職人によってまねして作られ、全国に広まりました。稲富流鉄砲秘伝書 江戸時代・1613年出典:ColBase(九州国立博物館)(部分)
堺と国友で、たくさん作られる
日本のかじ職人は、鉄砲を短い間にまねして作れるようになり、工夫も加えました。あまりに早く広まったので、「種子島」という島の名前が、鉄砲をさす言葉にもなりました。
まもなく、堺(今の大阪府)や国友(今の滋賀県)などで、鉄砲がたくさん作られるようになりました。堺と国友は、日本の二大産地といわれます。
国友では、いまも残る日本の古い鉄砲の約3分の1が作られた、ともいわれています。
1543年、種子島に鉄砲が伝わりました。まもなく堺や国友で、たくさん作られるようになりました。
戦い方が変わった
鉄砲が伝わるまでの戦いは、弓・やり・刀が中心でした。鉄砲が広まると、鉄砲を持ったが、集団で戦うようになりました。
室町時代のやりの刃。鉄砲が広まるまで、戦いでは、弓・やり・刀がよく使われました。大身槍 室町時代・16世紀出典:ColBase(東京国立博物館)
舟の上から鉄砲をかまえるようす。鉄砲の使い方を教える本の絵です。稲富流鉄砲秘伝書 江戸時代・1613年出典:ColBase(九州国立博物館)(部分)
それまで
弓・やり・
刀が
中心。
鉄砲が広まると
鉄砲を
持った
足軽が、
集団で
戦う。
鉄砲は、大名にとって、とても大切な武器になりました。たくさんの鉄砲をそろえ、使いこなせる大名が、戦いで有利になります。
日本の鉄砲は、その後も改良を重ねられ、江戸時代が終わるころまで使われつづけました。江戸幕府ができると、鉄砲を作ることも持つことも、きびしく決められました。
なぜ? 鉄砲は、そんなに早く広まったの?
戦国の世で、大名たちは、争いに勝てる新しい武器をほしがっていました。それに日本には、刀をつくる腕のいいかじ職人がたくさんいました。だから、鉄砲を作る技術にすぐ対応できたのです。
鉄砲が広まると、足軽が集団で戦うようになり、戦国の世の戦い方が大きく変わりました。
キリスト教が伝わる―1549年、ザビエル
鹿児島に来たザビエル
フランシスコ・ザビエルは、キリスト教の教えを広めるでした。1549年、ザビエルは鹿児島にやってきて、日本に初めてキリスト教を伝えました。
その後、山口や京都、今の大分県などを回って、教えを広めました。京都では、天皇や将軍には会えなかったといわれます。
1551年には、豊後(今の大分県)の大名・大友宗麟に招かれ、大分でも教えを広めました。ザビエルは、2年あまりで日本をはなれました。
ザビエルが回ったところ地図は、指やマウスで動かしたり、+・−で拡大・縮小したりできます。印か、下の場所の名前をタップすると、説明が出ます。
- 鹿児島県。ザビエルが日本で最初に上陸した場所。
- 山口県。ザビエルが教えを広めた町の一つ。
- 京都府。天皇と朝廷がある都。承久の乱のあと、幕府はここに朝廷を見はる役所(六波羅探題)を置いた。
- 大分県。大名の大友宗麟のもと、キリスト教が広まった地方。ザビエルも訪れた。
●緑は都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)
ザビエルの肖像。ヨーロッパで出された、ザビエルの伝記の中の絵です。『東洋の使徒フランシスコ・ザビエルの生涯』(1597年再刊)の肖像出典:大分市歴史資料館所蔵(「大分市デジタルアーカイブ」より)(部分)(CC BY)
キリシタン大名があらわれる
ザビエルのあとも、宣教師は次々にやってきました。宣教師たちは、教会や学校をつくって、教えを広めました。
大名の中にも、信者になる人があらわれました。これをといいます。大友宗麟・大村純忠・有馬晴信などが知られています。
南蛮屏風にえがかれた、宣教師たち。黒い長い服を着ています。南蛮屏風 江戸時代・17世紀出典:ColBase(九州国立博物館)(部分)
1549年、ザビエルがキリスト教を伝えました。信者になる大名(キリシタン大名)もあらわれました。
南蛮貿易―新しい品物と、新しいことば
当時の日本では、ポルトガル人やスペイン人を南蛮人とよびました。南蛮人の船が来て行われた貿易が、南蛮貿易です。
南蛮船が港に着いた場面。南蛮人たちが、船から荷物をおろしています。南蛮屏風 江戸時代・17世紀出典:ColBase(九州国立博物館)
日本が買ったもの
鉄砲・
火薬、
中国産の
生糸、ガラス
製品など。
港で荷物をおろす南蛮人たち。このように、いろいろな品物が日本に運ばれてきました。南蛮屏風 江戸時代・17世紀出典:ColBase(九州国立博物館)(部分)
ポルトガル語から来たことば
南蛮人が来たことで、日本語にも新しいことばが入ってきました。
「ボタン」「カッパ(雨がっぱ)」「カルタ」「シャボン(せっけん)」は、ポルトガル語から来たことばです。「パン」や「カステラ」も、そのなかまです。
南蛮貿易で、日本は鉄砲や生糸などを買い、銀などを売りました。ポルトガル語から来たことばも、今に残っています。
この時代の人物
種種子島時尭
種子島の領主。ポルトガル人から鉄砲を2丁買い、島のかじに作らせた。

フランシスコ・ザビエル
キリスト教の宣教師。1549年に鹿児島に来て、日本に初めてキリスト教を伝えた。
大大友宗麟
豊後(今の大分県)の大名。ザビエルを招いた。のちにキリシタン大名として知られた。
重要なところ
鉄砲が日本に伝わったのは、1543年の種子島です。伝えたのはポルトガル人です。
「1543年・種子島・ポルトガル人」を組で覚えましょう。
日本にキリスト教を伝えたのは、1549年に鹿児島に来たザビエルです。
「ザビエル=1549年=キリスト教」と覚えましょう。
ポルトガル人やスペイン人は南蛮人とよばれ、南蛮貿易で、鉄砲や生糸などが日本に入ってきました。
日本からは、銀などが売られました。
鉄砲は、堺(大阪府)や国友(滋賀県)でたくさん作られました。
鉄砲を持った足軽が集団で戦うようになり、戦い方が大きく変わりました。
たしかめ問題1/5
1543年に、鉄砲が伝わった島はどこですか。
たしかめ問題2/5
1549年に、日本にキリスト教を伝えた宣教師はだれですか。
たしかめ問題3/5
ポルトガル人やスペイン人を、当時の日本では何とよびましたか。
たしかめ問題4/5
鉄砲がたくさん作られた、大阪府の町はどこですか。
たしかめ問題5/5
鉄砲が広まって、戦い方はどう変わりましたか。
鉄砲を持った足軽が、集団で戦うようになった。
問いへの答え
ヨーロッパから来た鉄砲とキリスト教は、日本をどう変えたのだろう。
鉄砲は、またたくまに全国に広まりました。鉄砲を持った足軽が集団で戦うようになり、戦い方が大きく変わりました。多くの鉄砲を使いこなした大名が、天下統一へと近づいていきます。また、キリスト教が広まり、南蛮貿易によって新しい品物やことばが日本に入ってきました。
画像の出典
- 稲富流鉄砲秘伝書 江戸時代・1613年(ColBase(九州国立博物館))
- 大身槍 室町時代・16世紀(ColBase(東京国立博物館))
- 『東洋の使徒フランシスコ・ザビエルの生涯』(1597年再刊)の肖像(大分市歴史資料館所蔵(「大分市デジタルアーカイブ」より))
- 南蛮屏風 江戸時代・17世紀(ColBase(九州国立博物館))
- 南蛮屏風 江戸時代・17世紀(ColBase(九州国立博物館))
- チャッピ『グレゴリオ13世伝』(1596年、イタリア)の挿絵(ColBase(九州国立博物館))