教科書補助小6 社会 / 戦国の世から天下統一へ / 4本中の2本目

鉄砲(てっぽう)とキリスト教(きょう)とは?種子島(たねがしま)・ザビエル・南蛮貿易(なんばんぼうえき)をわかりやすく

教科書では:東京書籍「戦国の世から天下統一へ」の「ヨーロッパ人の来航」/教育出版「全国統一への動き」/日本文教出版「戦国の世の統一」の「鉄砲とキリスト教が日本に伝わる」

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  1. 1543年(ねん)、種子島(たねがしま)にポルトガル人(にん)が来(き)て、が日本(にほん)に伝(つた)わりました。
  2. 1549年(ねん)、宣教師(せんきょうし)のザビエルが来(き)て、が日本(にほん)に伝(つた)わりました。
  3. 鉄砲(てっぽう)で戦(たたか)い方(かた)が大(おお)きく変(か)わり、で、ヨーロッパの品物(しなもの)やことばも入(はい)ってきました。
今日(きょう)の問(と)い

ヨーロッパから来(き)た鉄砲(てっぽう)とキリスト教(きょう)は、日本(にほん)をどう変(か)えたのだろう。

読(よ)み終(お)えたら、下(した)の「問(と)いへの答(こた)え」を見(み)る前(まえ)に、自分(じぶん)の言葉(ことば)で答(こた)えてみましょう。

戦国(せんごく)の世(よ)と、ヨーロッパの船(ふね)

大名(だいみょう)が争(あらそ)う戦国時代(せんごくじだい)

のあと、日本(にほん)はに入(はい)りました。各地(かくち)のが、自分(じぶん)の力(ちから)で土地(とち)を広(ひろ)げようと争(あらそ)う世(よ)の中(なか)です。

家来(けらい)が主人(しゅじん)をたおして、自分(じぶん)が大名(だいみょう)になることもありました。これをといいます。

世界(せかい)の海(うみ)に乗(の)り出(だ)したヨーロッパ

同(おな)じころ、ヨーロッパの国々(くにぐに)は、船(ふね)で世界(せかい)の海(うみ)に乗(の)り出(だ)していました。

ポルトガルの船(ふね)は、アフリカの南(みなみ)を回(まわ)って、インドや中国(ちゅうごく)までやってきました。そして、その船(ふね)が日本(にほん)にもとどいたのです。

  1. 1467年(ねん)応仁(おうにん)の乱(らん)が始(はじ)まり、戦国(せんごく)の世(よ)へ
  2. 1543年(ねん)種子島(たねがしま)に鉄砲(てっぽう)が伝(つた)わる
  3. 1549年(ねん)ザビエルがキリスト教(きょう)を伝(つた)える
  4. 1582年(ねん)日本(にほん)の少年(しょうねん)たちが、ローマへ向(む)けて出発(しゅっぱつ)する

戦国時代(せんごくじだい)、大名(だいみょう)たちが争(あらそ)っていたころ、ヨーロッパの船(ふね)が日本(にほん)にやってきました。

鉄砲(てっぽう)が伝(つた)わる―1543年(ねん)、種子島(たねがしま)

種子島(たねがしま)に流(なが)れ着(つ)いた船(ふね)

1543年(ねん)、中国(ちゅうごく)の船(ふね)が、今(いま)の鹿児島県(かごしまけん)にある種子島(たねがしま)に流(なが)れ着(つ)きました。その船(ふね)に乗(の)っていたポルトガル人(にん)が、鉄砲(てっぽう)を持(も)っていました。

島(しま)の領主(りょうしゅ)の種子島時尭(たねがしまときたか)は、その威力(いりょく)におどろき、大金(たいきん)を出(だ)して鉄砲(てっぽう)を2丁(ちょう)買(か)いました。そして、島(しま)の刀(かたな)かじ(刀(かたな)をつくる職人(しょくにん))に、同(おな)じものを作(つく)らせました。

この話(はなし)は、17世紀(せいき)のはじめにまとめられた『鉄炮記(てっぽうき)』という本(ほん)に書(か)かれています。

腰に赤い布を巻いた男の人が、長い鉄砲をかまえて、まっすぐねらいをつけている絵。まわりに説明の文字がある
鉄砲(てっぽう)のうち方(かた)を教(おし)える絵(え)。鉄砲(てっぽう)は、日本(にほん)のかじ職人(しょくにん)によってまねして作(つく)られ、全国(ぜんこく)に広(ひろ)まりました。稲富流鉄砲秘伝書 江戸時代・1613年出典:ColBase(九州国立博物館)(部分)

堺(さかい)と国友(くにとも)で、たくさん作(つく)られる

日本(にほん)のかじ職人(しょくにん)は、鉄砲(てっぽう)を短(みじか)い間(あいだ)にまねして作(つく)れるようになり、工夫(くふう)も加(くわ)えました。あまりに早(はや)く広(ひろ)まったので、「種子島(たねがしま)」という島(しま)の名前(なまえ)が、鉄砲(てっぽう)をさす言葉(ことば)にもなりました。

まもなく、堺(さかい)(今(いま)の大阪府(おおさかふ))や国友(くにとも)(今(いま)の滋賀県(しがけん))などで、鉄砲(てっぽう)がたくさん作(つく)られるようになりました。堺(さかい)と国友(くにとも)は、日本(にほん)の二大産地(にだいさんち)といわれます。

国友(くにとも)では、いまも残(のこ)る日本(にほん)の古(ふる)い鉄砲(てっぽう)の約(やく)3分(ぶん)の1が作(つく)られた、ともいわれています。

1543年(ねん)、種子島(たねがしま)に鉄砲(てっぽう)が伝(つた)わりました。まもなく堺(さかい)や国友(くにとも)で、たくさん作(つく)られるようになりました。

戦(たたか)い方(かた)が変(か)わった

鉄砲(てっぽう)が伝(つた)わるまでの戦(たたか)いは、弓(ゆみ)・やり・刀(かたな)が中心(ちゅうしん)でした。鉄砲(てっぽう)が広(ひろ)まると、鉄砲(てっぽう)を持(も)ったが、集団(しゅうだん)で戦(たたか)うようになりました。

黒い背景に、細長くてするどい、やりのはがね(刃の部分)が1本うかぶ写真
室町時代(むろまちじだい)のやりの刃(は)。鉄砲(てっぽう)が広(ひろ)まるまで、戦(たたか)いでは、弓(ゆみ)・やり・刀(かたな)がよく使(つか)われました。大身槍 室町時代・16世紀出典:ColBase(東京国立博物館)
小舟の上で、一人の男の人が鉄砲をかまえ、もう一人の男の人がかいをもっている絵
舟(ふね)の上(うえ)から鉄砲(てっぽう)をかまえるようす。鉄砲(てっぽう)の使(つか)い方(かた)を教(おし)える本(ほん)の絵(え)です。稲富流鉄砲秘伝書 江戸時代・1613年出典:ColBase(九州国立博物館)(部分)
それまで
弓(ゆみ)・やり・刀(かたな)が中心(ちゅうしん)。
鉄砲(てっぽう)が広(ひろ)まると
鉄砲(てっぽう)を持(も)った足軽(あしがる)が、集団(しゅうだん)で戦(たたか)う。

鉄砲(てっぽう)は、大名(だいみょう)にとって、とても大切(たいせつ)な武器(ぶき)になりました。たくさんの鉄砲(てっぽう)をそろえ、使(つか)いこなせる大名(だいみょう)が、戦(たたか)いで有利(ゆうり)になります。

日本(にほん)の鉄砲(てっぽう)は、その後(あと)も改良(かいりょう)を重(かさ)ねられ、江戸時代(えどじだい)が終(お)わるころまで使(つか)われつづけました。江戸幕府(えどばくふ)ができると、鉄砲(てっぽう)を作(つく)ることも持(も)つことも、きびしく決(き)められました。

なぜ? 鉄砲(てっぽう)は、そんなに早(はや)く広(ひろ)まったの?
戦国(せんごく)の世(よ)で、大名(だいみょう)たちは、争(あらそ)いに勝(か)てる新(あたら)しい武器(ぶき)をほしがっていました。それに日本(にほん)には、刀(かたな)をつくる腕(うで)のいいかじ職人(しょくにん)がたくさんいました。だから、鉄砲(てっぽう)を作(つく)る技術(ぎじゅつ)にすぐ対応(たいおう)できたのです。

鉄砲(てっぽう)が広(ひろ)まると、足軽(あしがる)が集団(しゅうだん)で戦(たたか)うようになり、戦国(せんごく)の世(よ)の戦(たたか)い方(かた)が大(おお)きく変(か)わりました。

キリスト教(きょう)が伝(つた)わる―1549年(ねん)、ザビエル

鹿児島(かごしま)に来(き)たザビエル

フランシスコ・ザビエルは、キリスト教(きょう)の教(おし)えを広(ひろ)めるでした。1549年(ねん)、ザビエルは鹿児島(かごしま)にやってきて、日本(にほん)に初(はじ)めてキリスト教(きょう)を伝(つた)えました。

その後(ご)、山口(やまぐち)や京都(きょうと)、今(いま)の大分県(おおいたけん)などを回(まわ)って、教(おし)えを広(ひろ)めました。京都(きょうと)では、天皇(てんのう)や将軍(しょうぐん)には会(あ)えなかったといわれます。

1551年(ねん)には、豊後(ぶんご)(今(いま)の大分県(おおいたけん))の大名(だいみょう)・大友宗麟(おおともそうりん)に招(まね)かれ、大分(おおいた)でも教(おし)えを広(ひろ)めました。ザビエルは、2年(ねん)あまりで日本(にほん)をはなれました。

ザビエルが回(まわ)ったところ

地図(ちず)を読(よ)みこんでいます…

地図(ちず)は、指(ゆび)やマウスで動(うご)かしたり、+・−で拡大(かくだい)・縮小(しゅくしょう)したりできます。印(しるし)か、下(した)の場所(ばしょ)の名前(なまえ)をタップすると、説明(せつめい)が出(で)ます。

  • 鹿児島県(かごしまけん)。ザビエルが日本(にほん)で最初(さいしょ)に上陸(じょうりく)した場所(ばしょ)。
  • 山口県(やまぐちけん)。ザビエルが教(おし)えを広(ひろ)めた町(まち)の一(ひと)つ。
  • 京都府(きょうとふ)。天皇(てんのう)と朝廷(ちょうてい)がある都(みやこ)。承久(じょうきゅう)の乱(らん)のあと、幕府(ばくふ)はここに朝廷(ちょうてい)を見(み)はる役所(やくしょ)(六波羅探題(ろくはらたんだい))を置(お)いた。
  • 大分県(おおいたけん)。大名(だいみょう)の大友宗麟(おおともそうりん)のもと、キリスト教(きょう)が広(ひろ)まった地方(ちほう)。ザビエルも訪(おとず)れた。

●緑は都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)

丸いわくの中に、ひげのある男の人が胸に手を当てている、白黒のこい版画の肖像
ザビエルの肖像(しょうぞう)。ヨーロッパで出(だ)された、ザビエルの伝記(でんき)の中(なか)の絵(え)です。『東洋の使徒フランシスコ・ザビエルの生涯』(1597年再刊)の肖像出典:大分市歴史資料館所蔵(「大分市デジタルアーカイブ」より)(部分)(CC BY)

キリシタン大名(きりしただいみょう)があらわれる

ザビエルのあとも、宣教師(せんきょうし)は次々(つぎつぎ)にやってきました。宣教師(せんきょうし)たちは、教会(きょうかい)や学校(がっこう)をつくって、教(おし)えを広(ひろ)めました。

大名(だいみょう)の中(なか)にも、信者(しんじゃ)になる人(ひと)があらわれました。これをといいます。大友宗麟(おおともそうりん)・大村純忠(おおむらすみただ)・有馬晴信(ありまはるのぶ)などが知(し)られています。

黒い長い服を着た宣教師たちと、色あざやかな服のヨーロッパ人たちが、日本風の建物の前に立っている屏風の絵
南蛮屏風(なんばんびょうぶ)にえがかれた、宣教師(せんきょうし)たち。黒(くろ)い長(なが)い服(ふく)を着(き)ています。南蛮屏風 江戸時代・17世紀出典:ColBase(九州国立博物館)(部分)

1549年(ねん)、ザビエルがキリスト教(きょう)を伝(つた)えました。信者(しんじゃ)になる大名(だいみょう)(キリシタン大名(きりしただいみょう))もあらわれました。

南蛮貿易(なんばんぼうえき)―新(あたら)しい品物(しなもの)と、新(あたら)しいことば

当時(とうじ)の日本(にほん)では、ポルトガル人(にん)やスペイン人(にん)を南蛮人(なんばんにん)とよびました。南蛮人(なんばんにん)の船(ふね)が来(き)て行(おこな)われた貿易(ぼうえき)が、南蛮貿易(なんばんぼうえき)です。

大きな船が金色の雲のあいだの海を進み、右の岸では、ふくらんだズボンをはいた人たちが荷物のそばに集まっている屏風の絵
南蛮船(なんばんせん)が港(みなと)に着(つ)いた場面(ばめん)。南蛮人(なんばんにん)たちが、船(ふね)から荷物(にもつ)をおろしています。南蛮屏風 江戸時代・17世紀出典:ColBase(九州国立博物館)
日本(にほん)が買(か)ったもの
鉄砲(てっぽう)・火薬(かやく)、中国産(ちゅうごくさん)の生糸(きいと)、ガラス製品(せいひん)など。
日本(にほん)が売(う)ったもの
銀(ぎん)など。
小舟にのった人と、岸で箱や荷物のまわりに集まるヨーロッパ風の服の人たちを、金色の背景にえがいた屏風の絵
港(みなと)で荷物(にもつ)をおろす南蛮人(なんばんにん)たち。このように、いろいろな品物(しなもの)が日本(にほん)に運(はこ)ばれてきました。南蛮屏風 江戸時代・17世紀出典:ColBase(九州国立博物館)(部分)

ポルトガル語(ご)から来(き)たことば

南蛮人(なんばんにん)が来(き)たことで、日本語(にほんご)にも新(あたら)しいことばが入(はい)ってきました。

「ボタン」「カッパ(雨(あま)がっぱ)」「カルタ」「シャボン(せっけん)」は、ポルトガル語(ご)から来(き)たことばです。「パン」や「カステラ」も、そのなかまです。

南蛮貿易(なんばんぼうえき)で、日本(にほん)は鉄砲(てっぽう)や生糸(きいと)などを買(か)い、銀(ぎん)などを売(う)りました。ポルトガル語(ご)から来(き)たことばも、今(いま)に残(のこ)っています。

この時代(じだい)の人物(じんぶつ)

種子島時尭(たねがしまときたか)
種子島(たねがしま)の領主(りょうしゅ)。ポルトガル人(にん)から鉄砲(てっぽう)を2丁(ちょう)買(か)い、島(しま)のかじに作(つく)らせた。
丸いわくの中に、ひげのある男の人が胸に手を当てている、白黒のこい版画の肖像
フランシスコ・ザビエル
キリスト教(きょう)の宣教師(せんきょうし)。1549年(ねん)に鹿児島(かごしま)に来(き)て、日本(にほん)に初(はじ)めてキリスト教(きょう)を伝(つた)えた。
『東洋の使徒フランシスコ・ザビエルの生涯』(1597年再刊)の肖像。出典:大分市歴史資料館所蔵(「大分市デジタルアーカイブ」より)(部分)
大友宗麟(おおともそうりん)
豊後(ぶんご)(今(いま)の大分県(おおいたけん))の大名(だいみょう)。ザビエルを招(まね)いた。のちにキリシタン大名(きりしただいみょう)として知(し)られた。

重要(じゅうよう)なところ

鉄砲(てっぽう)が日本(にほん)に伝(つた)わったのは、1543年(ねん)の種子島(たねがしま)です。伝(つた)えたのはポルトガル人(にん)です。
「1543年(ねん)・種子島(たねがしま)・ポルトガル人(にん)」を組(くみ)で覚(おぼ)えましょう。
日本(にほん)にキリスト教(きょう)を伝(つた)えたのは、1549年(ねん)に鹿児島(かごしま)に来(き)たザビエルです。
「ザビエル=1549年(ねん)=キリスト教(きょう)」と覚(おぼ)えましょう。
ポルトガル人(にん)やスペイン人(にん)は南蛮人(なんばんにん)とよばれ、南蛮貿易(なんばんぼうえき)で、鉄砲(てっぽう)や生糸(きいと)などが日本(にほん)に入(はい)ってきました。
日本(にほん)からは、銀(ぎん)などが売(う)られました。
鉄砲(てっぽう)は、堺(さかい)(大阪府(おおさかふ))や国友(くにとも)(滋賀県(しがけん))でたくさん作(つく)られました。
鉄砲(てっぽう)を持(も)った足軽(あしがる)が集団(しゅうだん)で戦(たたか)うようになり、戦(たたか)い方(かた)が大(おお)きく変(か)わりました。

教科書(きょうかしょ)では、この単元名(たんげんめい)です

  • 東京書籍:「戦国の世から天下統一へ」の授業「ヨーロッパ人の来航」
  • 教育出版:「全国統一への動き」
  • 日本文教出版:「戦国の世の統一」の授業「鉄砲とキリスト教が日本に伝わる」

学習指導要領(がくしゅうしどうようりょう)(平成(へいせい)29年告示(ねんこくじ))では

第(だい)6学年(がくねん)の内容(ないよう)(2)ア(カ):キリスト教(きょう)の伝来(でんらい)、織田(おだ)・豊臣(とよとみ)の天下統一(てんかとういつ)から、戦国(せんごく)の世(よ)が統一(とういつ)されたことを理解(りかい)する。(学習指導要領コード 0263216000000)

「戦国(せんごく)の世(よ)から天下統一(てんかとういつ)へ」の授業(じゅぎょう)の順(じゅん)と、ほかの時間(じかん)の解説(かいせつ)へ

たしかめ問題(もんだい)

1543年(ねん)に、鉄砲(てっぽう)が伝(つた)わった島(しま)はどこですか。種子島(たねがしま)
1549年(ねん)に、日本(にほん)にキリスト教(きょう)を伝(つた)えた宣教師(せんきょうし)はだれですか。ザビエル
ポルトガル人(にん)やスペイン人(にん)を、当時(とうじ)の日本(にほん)では何(なん)とよびましたか。南蛮人(なんばんにん)
鉄砲(てっぽう)がたくさん作(つく)られた、大阪府(おおさかふ)の町(まち)はどこですか。堺(さかい)
鉄砲(てっぽう)が広(ひろ)まって、戦(たたか)い方(かた)はどう変(か)わりましたか。鉄砲(てっぽう)を持(も)った足軽(あしがる)が、集団(しゅうだん)で戦(たたか)うようになった。
問(と)いへの答(こた)え

鉄砲(てっぽう)は、またたくまに全国(ぜんこく)に広(ひろ)まりました。鉄砲(てっぽう)を持(も)った足軽(あしがる)が集団(しゅうだん)で戦(たたか)うようになり、戦(たたか)い方(かた)が大(おお)きく変(か)わりました。多(おお)くの鉄砲(てっぽう)を使(つか)いこなした大名(だいみょう)が、天下統一(てんかとういつ)へと近(ちか)づいていきます。また、キリスト教(きょう)が広(ひろ)まり、南蛮貿易(なんばんぼうえき)によって新(あたら)しい品物(しなもの)やことばが日本(にほん)に入(はい)ってきました。

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出典

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