教科書補助小6 社会 / 新しい日本、平和な日本へ / 4本中の2本目

独立(どくりつ)と国際社会(こくさいしゃかい)への復帰(ふっき)とは?サンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)・日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)・国際連合(こくさいれんごう)への加盟(かめい)をわかりやすく

教科書では:東京書籍「新しい日本、平和な日本へ」の「再び世界の中へ」/教育出版「平和で豊かな暮らしを目ざして」の「日本の独立と国際社会への復帰」/日本文教出版「新しい日本へのあゆみ」の「日本の国際社会への復帰」

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  1. 1951年(ねん)、日本(にほん)は48か国(こく)とを結(むす)び、1952年(ねん)に独立(どくりつ)を回復(かいふく)しました。同(おな)じ日(ひ)にも結(むす)びました。
  2. 1956年(ねん)、でソ連(れん)との国交(こっこう)を回復(かいふく)し、同(おな)じ年(とし)にへの加盟(かめい)が認(みと)められました。
  3. 1965年(ねん)に韓国(かんこく)とを、1972年(ねん)に中国(ちゅうごく)とを結(むす)び、国交(こっこう)を正常化(せいじょうか)しました。
今日(きょう)の問(と)い

世界(せかい)が大(おお)きく変(か)わる中(なか)、日本(にほん)はどのようにして独立(どくりつ)し、国際社会(こくさいしゃかい)にもどったのだろう。

読(よ)み終(お)えたら、下(した)の「問(と)いへの答(こた)え」を見(み)る前(まえ)に、自分(じぶん)の言葉(ことば)で答(こた)えてみましょう。

戦争(せんそう)のあとの世界(せかい)

国際連合(こくさいれんごう)ができる

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)の大(おお)きな被害(ひがい)を、二度(にど)とくり返(かえ)してはいけません。そう考(かんが)えた国々(くにぐに)は、世界(せかい)の平和(へいわ)を守(まも)るための新(あたら)しい組織(そしき)をつくりました。

1945年(ねん)10月(じゅうがつ)、国際連合(こくさいれんごう)(国連(こくれん))ができました。はじめの加盟国(かめいこく)は51か国(こく)で、本部(ほんぶ)はアメリカのニューヨークに置(お)かれました。

大正時代(たいしょうじだい)にできた国際連盟(こくさいれんめい)とは、別(べつ)の組織(そしき)です。日本(にほん)は戦争(せんそう)に負(ま)けて占領(せんりょう)されていたので、まだ加盟(かめい)できませんでした。

アメリカとソ連(れん)の対立(たいりつ)

戦争(せんそう)が終(お)わると、アメリカとソ連(れん)の対立(たいりつ)が深(ふか)まりました。世界(せかい)は、アメリカを中心(ちゅうしん)とする国々(くにぐに)と、ソ連(れん)を中心(ちゅうしん)とする国々(くにぐに)に分(わ)かれました。

二(ふた)つの陣営(じんえい)は、きびしく対立(たいりつ)しました。武器(ぶき)を使(つか)って直接(ちょくせつ)戦(たたか)う戦争(せんそう)ではなかったので、この対立(たいりつ)は(冷(つめ)たい戦争(せんそう))とよばれました。

朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)が起(お)こる

日本(にほん)の植民地(しょくみんち)だった朝鮮半島(ちょうせんはんとう)は、戦争(せんそう)のあと、北(きた)をソ連(れん)が、南(みなみ)をアメリカが占領(せんりょう)しました。1948年(ねん)には、南(みなみ)に大韓民国(だいかんみんこく)(韓国(かんこく))、北(きた)に朝鮮民主主義人民共和国(ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく)(北朝鮮(きたちょうせん))ができました。

1950年(ねん)6月(ろくがつ)、この二(ふた)つの国(くに)の間(あいだ)でが始(はじ)まりました。日本(にほん)にいたアメリカ軍(ぐん)も、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)へ送(おく)られました。

アメリカ軍(ぐん)が使(つか)う品物(しなもの)の注文(ちゅうもん)が、日本(にほん)の会社(かいしゃ)に多(おお)く入(はい)りました。これをといい、日本(にほん)の産業(さんぎょう)が立(た)ち直(なお)るきっかけの一(ひと)つになりました。

戦争(せんそう)のあと国際連合(こくさいれんごう)ができましたが、アメリカとソ連(れん)の対立(たいりつ)(冷戦(れいせん))が深(ふか)まり、1950年(ねん)には朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)が起(お)こりました。

サンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)と独立(どくりつ)の回復(かいふく)

サンフランシスコでの講和会議(こうわかいぎ)

冷戦(れいせん)が深(ふか)まると、アメリカは日本(にほん)の占領(せんりょう)の方針(ほうしん)を変(か)えました。日本(にほん)の経済(けいざい)を立(た)て直(なお)し、自立(じりつ)させることを重(おも)くみるようになったのです。

そして、日本(にほん)との講和(こうわ)(戦争(せんそう)を正式(せいしき)に終(お)わらせる条約(じょうやく)を結(むす)ぶこと)を進(すす)めました。

1951年(ねん)9月(くがつ)、アメリカのサンフランシスコで、講和(こうわ)のための会議(かいぎ)(講和会議(こうわかいぎ))が開(ひら)かれました。日本(にほん)からは、首相(しゅしょう)の吉田茂(よしだしげる)が全権(ぜんけん)として出席(しゅっせき)しました。

各国の旗がならぶ舞台の上で、机に向かって書類に署名する男性と、そのまわりに立つ人々を、客席の上から写した白黒の写真
1951年(ねん)9月(くがつ)8日(ようか)、サンフランシスコのオペラハウスで開(ひら)かれた講和会議(こうわかいぎ)で、平和(へいわ)条約(じょうやく)に署名(しょめい)するアメリカの代表(だいひょう)(国務長官(こくむちょうかん)アチソン)。うしろには、会議(かいぎ)に参加(さんか)した国々(くにぐに)の旗(はた)がならんでいます。Secretary of State Dean Acheson Signing the Document During the Japanese Peace Treaty Conference(1951年9月8日、アメリカ国務省 J.S. Wright 撮影) トルーマン大統領図書館蔵出典:アメリカ国立公文書館(NARA)

9月(くがつ)8日(ようか)、日本(にほん)は48か国(こく)とサンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)を結(むす)びました。会議(かいぎ)に出(で)たソ連(れん)など3か国(こく)は、この条約(じょうやく)に署名(しょめい)しませんでした。

1952年(ねん)、独立(どくりつ)を回復(かいふく)する

平和(へいわ)条約(じょうやく)は、1952年(ねん)4月(しがつ)28日(にじゅうはちにち)に効力(こうりょく)を生(しょう)じました。こうして連合国(れんごうこく)による占領(せんりょう)は終(お)わり、日本(にほん)は独立(どくりつ)を回復(かいふく)しました。

たて書きで「日本国との平和条約及び関係文書をここに公布する。」「昭和二十七年四月二十八日」と書かれ、大きな四角い印がおされた紙
平和(へいわ)条約(じょうやく)が効力(こうりょく)を生(しょう)じた1952年(ねん)4月(しがつ)28日(にじゅうはちにち)に、条約(じょうやく)を国民(こくみん)に知(し)らせた(公布(こうふ)した)ときの文書(ぶんしょ)の原本(げんぽん)です。日本国との平和条約及び関係文書・御署名原本・昭和二十七年・条約第五号(請求番号 御34667100)出典:国立公文書館デジタルアーカイブ(部分)
たて書きの印刷された文章で、「第一章 平和」「第一条」「第二章 領域」などの見出しが見える条約のページ
平和(へいわ)条約(じょうやく)の第(だい)1条(じょう)。日本(にほん)と連合国(れんごうこく)との「戦争状態(せんそうじょうたい)」が終(お)わることと、連合国(れんごうこく)が日本(にほん)の国民(こくみん)の「完全(かんぜん)な主権(しゅけん)」を認(みと)めることが書(か)かれています。日本国との平和条約及び関係文書・御署名原本・昭和二十七年・条約第五号(請求番号 御34667100)出典:国立公文書館デジタルアーカイブ(部分)

この条約(じょうやく)で、日本(にほん)は朝鮮(ちょうせん)の独立(どくりつ)を認(みと)め、台湾(たいわん)や千島列島(ちしまれっとう)などを手放(てばな)しました。沖縄(おきなわ)などは、そのあともアメリカが治(おさ)めることになりました。

日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)

平和(へいわ)条約(じょうやく)と同(おな)じ日(ひ)に、日本(にほん)はアメリカと日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)(日米安保条約(にちべいあんぽじょうやく))を結(むす)びました。

この条約(じょうやく)で、日本(にほん)が独立(どくりつ)したあとも、アメリカ軍(ぐん)が日本(にほん)にとどまることになりました。日本(にほん)は、アメリカとの結(むす)びつきを深(ふか)めていきました。

1951年(ねん)、日本(にほん)はサンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)を48か国(こく)と結(むす)び、1952年(ねん)に独立(どくりつ)を回復(かいふく)しました。同(おな)じ日(ひ)に、日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)も結(むす)びました。

国際連合(こくさいれんごう)への加盟(かめい)

ソ連(れん)との国交(こっこう)の回復(かいふく)

独立(どくりつ)した日本(にほん)は、1952年(ねん)に国際連合(こくさいれんごう)への加盟(かめい)を申(もう)しこみました。しかし、平和(へいわ)条約(じょうやく)に署名(しょめい)しなかったソ連(れん)が反対(はんたい)し、加盟(かめい)はすぐには実現(じつげん)しませんでした。

1956年(ねん)10月(じゅうがつ)、首相(しゅしょう)の鳩山一郎(はとやまいちろう)がソ連(れん)の首都(しゅと)モスクワをおとずれ、日(にっ)ソ共同宣言(きょうどうせんげん)に署名(しょめい)しました。これで、ソ連(れん)との国交(こっこう)が回復(かいふく)しました。

1956年(ねん)、80番目(ばんめ)の加盟国(かめいこく)に

ソ連(れん)の反対(はんたい)がなくなり、1956年(ねん)12月(じゅうにがつ)18日(じゅうはちにち)、日本(にほん)の国際連合(こくさいれんごう)への加盟(かめい)が認(みと)められました。日本(にほん)は、80番目(ばんめ)の加盟国(かめいこく)になりました。

たて書きで「国際連合憲章及び国際司法裁判所規程をここに公布する。」「昭和三十一年十二月十九日」と書かれ、大きな四角い印がおされた紙
日本(にほん)が国際連合(こくさいれんごう)に加盟(かめい)した次(つぎ)の日(ひ)、1956年(ねん)12月(じゅうにがつ)19日(じゅうくにち)に、国際連合(こくさいれんごう)憲章(けんしょう)を国民(こくみん)に知(し)らせた(公布(こうふ)した)ときの文書(ぶんしょ)の原本(げんぽん)です。国際連合憲章及び国際司法裁判所規程・御署名原本・昭和三十一年・条約第二六号(請求番号 御37162100)出典:国立公文書館デジタルアーカイブ(部分)

こうして日本(にほん)は、国際社会(こくさいしゃかい)に復帰(ふっき)しました。そのあと日本(にほん)は、国際連合(こくさいれんごう)を中心(ちゅうしん)に、世界(せかい)の国々(くにぐに)と協力(きょうりょく)していく道(みち)を歩(あゆ)んでいきます。

国際連合(こくさいれんごう)の加盟国(かめいこく)の数(かず)
  1. 51か国(こく)1945年(ねん)
  2. 60か国(こく)1950年(ねん)
  3. 76か国(こく)1955年(ねん)
  4. 80か国(こく)1956年(ねん)
  5. 99か国(こく)1960年(ねん)
  6. 127か国(こく)1970年(ねん)
  7. 154か国(こく)1980年(ねん)
  8. 159か国(こく)1990年(ねん)
  9. 189か国(こく)2000年(ねん)
  10. 193か国(こく)2011年(ねん)

それぞれの年に加盟国が新しく加わったあとの数。日本は1956年に80番目の加盟国になった。2011年からは193か国。 出典:国際連合「Growth in United Nations membership」、国連広報センター「日本と国連」

「FLAGS OF THE UNITED NATIONS」という題の下に、たくさんの国の旗がならび、まん中に水色の国際連合の旗があるポスター
1960年代(ねんだい)に、国際連合(こくさいれんごう)の加盟国(かめいこく)の旗(はた)を集(あつ)めてつくられたポスター。右(みぎ)はしの列(れつ)のまん中(なか)あたりに、日本(にほん)の旗(はた)(JAPAN)も見(み)えます。Flags of the United Nations(アメリカ情報局 USIS 配布、1960年代)出典:アメリカ国立公文書館(NARA)

1956年(ねん)、日(にっ)ソ共同宣言(きょうどうせんげん)でソ連(れん)との国交(こっこう)を回復(かいふく)し、同(おな)じ年(とし)に国際連合(こくさいれんごう)への加盟(かめい)が認(みと)められました。日本(にほん)は国際社会(こくさいしゃかい)に復帰(ふっき)しました。

韓国(かんこく)・中国(ちゅうごく)との国交(こっこう)正常化(せいじょうか)

韓国(かんこく)との日韓基本条約(にっかんきほんじょうやく)

サンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)では、アジアの多(おお)くの国々(くにぐに)との講和(こうわ)は実現(じつげん)しませんでした。近(ちか)くの国々(くにぐに)と、どう関係(かんけい)を結(むす)び直(なお)すかが、日本(にほん)の課題(かだい)として残(のこ)りました。

1965年(ねん)、日本(にほん)は、かつて植民地(しょくみんち)として支配(しはい)した韓国(かんこく)と日韓基本条約(にっかんきほんじょうやく)を結(むす)びました。これで、韓国(かんこく)との国交(こっこう)が正常化(せいじょうか)しました。

中国(ちゅうごく)との日中共同声明(にっちゅうきょうどうせいめい)と平和友好(へいわゆうこう)条約(じょうやく)

1972年(ねん)、首相(しゅしょう)の田中角栄(たなかかくえい)が中国(ちゅうごく)の首都(しゅと)北京(ぺきん)をおとずれ、日中共同声明(にっちゅうきょうどうせいめい)に調印(ちょういん)しました。戦争(せんそう)で大(おお)きな被害(ひがい)をあたえた中国(ちゅうごく)との国交(こっこう)が、正常化(せいじょうか)しました。

さらに1978年(ねん)には、を結(むす)びました。両国(りょうこく)の平和(へいわ)で友好的(ゆうこうてき)な関係(かんけい)を、いっそう強(つよ)めるための条約(じょうやく)です。

日本(にほん)が国交(こっこう)を正常化(せいじょうか)した近(ちか)くの国(くに)の首都(しゅと)

地図(ちず)を読(よ)みこんでいます…

地図(ちず)は、指(ゆび)やマウスで動(うご)かしたり、+・−で拡大(かくだい)・縮小(しゅくしょう)したりできます。印(しるし)か、下(した)の場所(ばしょ)の名前(なまえ)をタップすると、説明(せつめい)が出(で)ます。

  • 大韓民国(だいかんみんこく)。大韓民国(だいかんみんこく)(韓国(かんこく))の首都(しゅと)。1965年(ねん)、日本(にほん)は韓国(かんこく)と日韓基本条約(にっかんきほんじょうやく)を結(むす)び、国交(こっこう)を正常化(せいじょうか)した。
  • 中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)。中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)(中国(ちゅうごく))の首都(しゅと)。1972年(ねん)に日中共同声明(にっちゅうきょうどうせいめい)、1978年(ねん)に日中平和友好条約(にっちゅうへいわゆうこうじょうやく)が、ここで調印(ちょういん)された。

●緑は都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)

1965年(ねん)に韓国(かんこく)と日韓基本条約(にっかんきほんじょうやく)を、1972年(ねん)に中国(ちゅうごく)と日中共同声明(にっちゅうきょうどうせいめい)を結(むす)び、国交(こっこう)を正常化(せいじょうか)しました。1978年(ねん)には日中平和友好条約(にっちゅうへいわゆうこうじょうやく)を結(むす)びました。

年(ねん)の流(なが)れでふり返(かえ)る

  1. 1945年(ねん)国際連合(こくさいれんごう)ができる
  2. 1950年(ねん)朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)が始(はじ)まる
  3. 1951年(ねん)サンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)・日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)を結(むす)ぶ
  4. 1952年(ねん)平和(へいわ)条約(じょうやく)が効力(こうりょく)を生(しょう)じ、日本(にほん)が独立(どくりつ)を回復(かいふく)する
  5. 1956年(ねん)日(にっ)ソ共同宣言(きょうどうせんげん)。国際連合(こくさいれんごう)への加盟(かめい)が認(みと)められる
  6. 1965年(ねん)韓国(かんこく)と日韓基本条約(にっかんきほんじょうやく)を結(むす)ぶ
  7. 1972年(ねん)中国(ちゅうごく)と日中共同声明(にっちゅうきょうどうせいめい)を結(むす)ぶ
  8. 1978年(ねん)中国(ちゅうごく)と日中平和友好条約(にっちゅうへいわゆうこうじょうやく)を結(むす)ぶ

中学(ちゅうがく)ではここがくわしくなる

中学(ちゅうがく)の歴史(れきし)では、独立(どくりつ)までの動(うご)きと、そのあとの外交(がいこう)を、もう少(すこ)しくわしく習(なら)います。

小学校(しょうがっこう)中学校(ちゅうがっこう)で加(くわ)わること
占領政策(せんりょうせいさく)の転換(てんかん)冷戦(れいせん)が深(ふか)まり、占領(せんりょう)の方針(ほうしん)が変(か)わるアメリカ政府(せいふ)は、日本(にほん)にきびしい罰(ばつ)をあたえない講和(こうわ)や、日本(にほん)の政治(せいじ)・経済(けいざい)の自立(じりつ)をうながす方針(ほうしん)をかかげた。日本(にほん)の警察(けいさつ)の力(ちから)を強(つよ)めることなども提案(ていあん)された
警察予備隊(けいさつよびたい)(習(なら)わない)朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)が始(はじ)まり、日本(にほん)にいたアメリカ軍(ぐん)が朝鮮半島(ちょうせんはんとう)へ送(おく)られると、1950年(ねん)8月(はちがつ)、警察予備隊(けいさつよびたい)がつくられた
特需(とくじゅ)アメリカ軍(ぐん)からの注文(ちゅうもん)朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)の特需(とくじゅ)は1952年(ねん)ごろに最(もっと)も多(おお)くなった。生産(せいさん)や消費(しょうひ)が大(おお)きくのびる一方(いっぽう)、物(もの)のねだんも上(あ)がった
講和会議(こうわかいぎ)48か国(こく)と平和(へいわ)条約(じょうやく)を結(むす)ぶ署名(しょめい)したのは、日本(にほん)をふくめて49か国(こく)。日本(にほん)側(がわ)は吉田茂(よしだしげる)ら6人(にん)の全権(ぜんけん)が署名(しょめい)した。日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)は、吉田茂(よしだしげる)が1人(にん)で署名(しょめい)した
日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)アメリカ軍(ぐん)が日本(にほん)にとどまる1960年(ねん)、岸信介(きしのぶすけ)内閣(ないかく)のもとで新(あたら)しい条約(じょうやく)が結(むす)ばれた。国会(こっかい)の内外(ないがい)で、はげしい反対運動(はんたいうんどう)が起(お)こった

この時代(じだい)の人物(じんぶつ)

めがねをかけ、スーツにネクタイをしめた年配の男性
吉田茂(よしだしげる)
外交官(がいこうかん)から首相(しゅしょう)になった。1951年(ねん)、首相(しゅしょう)として全権(ぜんけん)となり、サンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)と日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)に署名(しょめい)した。1954年(ねん)まで、5度(ど)にわたって内閣(ないかく)をつくった。
丸いめがねをかけ、口ひげをはやした、スーツの男性
鳩山一郎(はとやまいちろう)
1954年(ねん)に首相(しゅしょう)となった。1956年(ねん)、ソ連(れん)の首都(しゅと)モスクワで日(にっ)ソ共同宣言(きょうどうせんげん)に署名(しょめい)し、ソ連(れん)との国交(こっこう)を回復(かいふく)した。これにより、日本(にほん)の国際連合(こくさいれんごう)への加盟(かめい)が実現(じつげん)した。

重要(じゅうよう)なところ

サンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)は1951年(ねん)に結(むす)ばれ、1952年(ねん)に効力(こうりょく)を生(しょう)じて、日本(にほん)は独立(どくりつ)を回復(かいふく)しました。
条約(じょうやく)を結(むす)んだ年(とし)(1951年(ねん))と、独立(どくりつ)を回復(かいふく)した年(とし)(1952年(ねん))を区別(くべつ)しましょう。
日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)は、サンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)と同(おな)じ日(ひ)(1951年(ねん)9月(くがつ)8日(ようか))に結(むす)ばれました。
独立(どくりつ)したあとも、アメリカ軍(ぐん)が日本(にほん)にとどまることになりました。
日本(にほん)の国際連合(こくさいれんごう)への加盟(かめい)は1956年(ねん)です。その前(まえ)に、日(にっ)ソ共同宣言(きょうどうせんげん)でソ連(れん)との国交(こっこう)を回復(かいふく)しました。
1920年(ねん)にできて日本(にほん)も加(くわ)わっていたのは「国際連盟(こくさいれんめい)」で、別(べつ)の組織(そしき)です。

教科書(きょうかしょ)では、この単元名(たんげんめい)です

  • 東京書籍:「新しい日本、平和な日本へ」の授業「再び世界の中へ」
  • 教育出版:「平和で豊かな暮らしを目ざして」の授業「日本の独立と国際社会への復帰」
  • 日本文教出版:「新しい日本へのあゆみ」の授業「日本の国際社会への復帰」

学習指導要領(がくしゅうしどうようりょう)(平成(へいせい)29年告示(ねんこくじ))では

第(だい)6学年(がくねん)の内容(ないよう)(2)ア(サ):日華事変(にっかじへん)(日中戦争(にっちゅうせんそう))、日本(にほん)が関(かか)わった第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)、日本国憲法(にほんこくけんぽう)の制定(せいてい)、オリンピック・パラリンピックの開催(かいさい)などから、戦後(せんご)に民主的(みんしゅてき)な国家(こっか)として出発(しゅっぱつ)し、国民生活(こくみんせいかつ)が向上(こうじょう)して国際社会(こくさいしゃかい)で重要(じゅうよう)な役割(やくわり)を果(は)たしてきたことを理解(りかい)する。(学習指導要領コード 026321B000000)

「新(あたら)しい日本(にほん)、平和(へいわ)な日本(にほん)へ」の授業(じゅぎょう)の順(じゅん)と、ほかの時間(じかん)の解説(かいせつ)へ

たしかめ問題(もんだい)

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)のあとに強(つよ)まった、アメリカを中心(ちゅうしん)とする国々(くにぐに)とソ連(れん)を中心(ちゅうしん)とする国々(くにぐに)の対立(たいりつ)を何(なん)といいますか。冷戦(れいせん)(冷(つめ)たい戦争(せんそう))
1950年(ねん)に朝鮮半島(ちょうせんはんとう)で始(はじ)まった戦争(せんそう)を何(なん)といいますか。朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)
1951年(ねん)、日本(にほん)が48か国(こく)と結(むす)び、翌年(よくねん)に独立(どくりつ)を回復(かいふく)した条約(じょうやく)を何(なん)といいますか。サンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)
サンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)に、首相(しゅしょう)として全権(ぜんけん)となって署名(しょめい)した人(ひと)はだれですか。吉田茂(よしだしげる)
サンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)と同(おな)じ日(ひ)に結(むす)ばれ、アメリカ軍(ぐん)が日本(にほん)にとどまることを決(き)めた条約(じょうやく)を何(なん)といいますか。日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)
1956年(ねん)、ソ連(れん)との国交(こっこう)を回復(かいふく)した宣言(せんげん)を何(なん)といいますか。日(にっ)ソ共同宣言(きょうどうせんげん)
日本(にほん)が国際連合(こくさいれんごう)への加盟(かめい)を認(みと)められたのは何年(なんねん)ですか。1956年(ねん)
1972年(ねん)、日本(にほん)と中国(ちゅうごく)の国交(こっこう)を正常化(せいじょうか)した文書(ぶんしょ)を何(なん)といいますか。日中共同声明(にっちゅうきょうどうせいめい)
問(と)いへの答(こた)え

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)のあと、世界(せかい)の平和(へいわ)を守(まも)るために国際連合(こくさいれんごう)ができました。いっぽう、アメリカとソ連(れん)の対立(たいりつ)(冷戦(れいせん))が深(ふか)まり、1950年(ねん)には朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)が起(お)こりました。こうした中(なか)、日本(にほん)は1951年(ねん)にサンフランシスコ平和条約(へいわじょうやく)を48か国(こく)と結(むす)び、翌(よく)1952年(ねん)に独立(どくりつ)を回復(かいふく)しました。同(おな)じ日(ひ)に日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)を結(むす)び、独立(どくりつ)したあともアメリカ軍(ぐん)が日本(にほん)にとどまることになりました。1956年(ねん)には日(にっ)ソ共同宣言(きょうどうせんげん)でソ連(れん)との国交(こっこう)を回復(かいふく)し、国際連合(こくさいれんごう)への加盟(かめい)が認(みと)められて、国際社会(こくさいしゃかい)に復帰(ふっき)しました。そのあと、1965年(ねん)に韓国(かんこく)と、1972年(ねん)に中国(ちゅうごく)と国交(こっこう)を正常化(せいじょうか)しました。

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