教科書補助小6 社会 / 新しい日本、平和な日本へ / 4本中の1本目

戦後(せんご)の改革(かいかく)と日本国憲法(にほんこくけんぽう)とは?終戦直後(しゅうせんちょくご)のくらし・GHQ・女性(じょせい)の選挙権(せんきょけん)・農地改革(のうちかいかく)をわかりやすく

教科書では:東京書籍「新しい日本、平和な日本へ」の「終戦直後の人々のくらし」「民主主義による国を目指して」/教育出版「平和で豊かな暮らしを目ざして」の「もう戦争はしない」/日本文教出版「新しい日本へのあゆみ」の「終戦直後の人々のくらし」「新しい国づくりがはじまる」

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  1. 戦争(せんそう)が終(お)わったあと、人々(ひとびと)は食(た)べ物(もの)の不足(ふそく)に苦(くる)しみ、で物(もの)を買(か)ったり、青空教室(あおぞらきょうしつ)で学(まな)んだりしました。
  2. 日本(にほん)はに占領(せんりょう)され、女性(じょせい)の選挙権(せんきょけん)・・財閥(ざいばつ)の解体(かいたい)・6・3制(せい)など、民主主義(みんしゅしゅぎ)の国(くに)を目指(めざ)す改革(かいかく)が進(すす)みました。
  3. が1946年(ねん)11月(じゅういちがつ)3日(みっか)に公布(こうふ)され、1947年(ねん)5月(ごがつ)3日(みっか)から施行(しこう)されました。
今日(きょう)の問(と)い

戦争(せんそう)のあと、日本(にほん)ではどのような改革(かいかく)が行(おこな)われたのだろう。

読(よ)み終(お)えたら、下(した)の「問(と)いへの答(こた)え」を見(み)る前(まえ)に、自分(じぶん)の言葉(ことば)で答(こた)えてみましょう。

終戦直後(しゅうせんちょくご)の人々(ひとびと)のくらし

焼(や)けあとからの出発(しゅっぱつ)

1945年(ねん)8月(はちがつ)、戦争(せんそう)が終(お)わりました。空襲(くうしゅう)を受(う)けた都市(とし)の多(おお)くは焼(や)けあとになり、家(いえ)を失(うしな)った人(ひと)がたくさんいました。

人々(ひとびと)は、焼(や)けあとに小(ちい)さな小屋(こや)を建(た)てたりして、少(すこ)しずつくらしを立(た)て直(なお)していきました。

こわれたビルや、トタン屋根の小屋、くずれたれんがの間の道を、大勢の人や子どもが歩いている、横に長い色つきの絵
戦争(せんそう)が終(お)わった翌年(よくねん)(1946年(ねん))に、漫画家(まんがか)の麻生豊(あそうゆたか)がえがいた焼(や)けあとの町(まち)。焼(や)け残(のこ)ったビルのまわりに小屋(こや)が建(た)ち、人々(ひとびと)が行(い)き来(き)しています。麻生豊「戦後焼跡賑わい風景 2」昭和21年(1946) 紙本彩色 東京都現代美術館蔵出典:Tokyo Museum Collection(東京都現代美術館、パブリック・ドメイン)

食(た)べ物(もの)が足(た)りない

戦争(せんそう)が終(お)わっても、食(た)べ物(もの)はとても不足(ふそく)していました。米(こめ)などは配給(はいきゅう)で、決(き)められた量(りょう)しか手(て)に入(はい)りませんでした。

配給(はいきゅう)だけでは足(た)りず、人々(ひとびと)は農村(のうそん)へ買(か)い出(だ)しに出(で)かけたり、やみ市(いち)で高(たか)い食(た)べ物(もの)を買(か)ったりしました。

大勢の女性や子どもが集まる前で、はかりの上の袋に、男の人が米を入れている白黒の写真
配給(はいきゅう)の米(こめ)を受(う)け取(と)る人々(ひとびと)(1946年(ねん)、埼玉県大宮市(さいたまけんおおみやし))。はかりで量(はか)って、決(き)められた量(りょう)だけが配(くば)られました。配給米を受ける人びとの行列(大宮市) 昭和21年(1946) 埼玉県立図書館蔵出典:埼玉県立図書館デジタルライブラリー(CC BY 4.0)(CC BY 4.0)
こわれた飛行機の部品が山のように積まれた前に、屋根をはった店が並び、人々が歩いている白黒の写真
埼玉県(さいたまけん)の蕨駅(わらびえき)前(まえ)にできたやみ市(いち)(1946年(ねん))。店(みせ)のうしろには、軍用機(ぐんようき)の残(ざん)がいが積(つ)まれています。蕨駅前の闇市と軍用機の残がい 昭和21年(1946) 埼玉県立図書館蔵出典:埼玉県立図書館デジタルライブラリー(CC BY 4.0)(CC BY 4.0)
なぜ? やみ市(いち)って、どんなところ?
駅前(えきまえ)の焼(や)けあとなどにできた市場(いちば)です。国(くに)の決(き)まりの外(そと)で、配給(はいきゅう)より高(たか)いねだんで、食(た)べ物(もの)や品物(しなもの)が売(う)られていました。

引(ひ)きあげと青空教室(あおぞらきょうしつ)

戦争(せんそう)が終(お)わったとき、海外(かいがい)には兵士(へいし)や、移(うつ)り住(す)んでいた人(ひと)など、多(おお)くの日本(にほん)人(ひと)がいました。その人(ひと)たちは、船(ふね)などで日本(にほん)にてきました。

引(ひ)きあげてきた人(ひと)は、600万人(まんにん)をこえました。家族(かぞく)と再会(さいかい)できた人(ひと)もいれば、帰(かえ)りを待(ま)ち続(つづ)けた家族(かぞく)もいました。

学校(がっこう)も、空襲(くうしゅう)で多(おお)くの校舎(こうしゃ)を失(うしな)いました。教室(きょうしつ)が足(た)りず、校庭(こうてい)などで授業(じゅぎょう)をする「青空教室(あおぞらきょうしつ)」も見(み)られました。

終戦直後(しゅうせんちょくご)、人々(ひとびと)は家(いえ)や食(た)べ物(もの)の不足(ふそく)に苦(くる)しみながら、焼(や)けあとからくらしを立(た)て直(なお)していきました。

連合国軍(れんごうこくぐん)による占領(せんりょう)

戦争(せんそう)に負(ま)けた日本(にほん)は、アメリカを中心(ちゅうしん)とする連合国軍(れんごうこくぐん)に占領(せんりょう)されました。東京(とうきょう)には、連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ)(GHQ)が置(お)かれました。

最高司令官(さいこうしれいかん)は、アメリカのマッカーサーです。1945年(ねん)8月(はちがつ)30日(さんじゅうにち)、神奈川県(かながわけん)の厚木(あつぎ)飛行場(ひこうじょう)に到着(とうちゃく)しました。

日本(にほん)の政府(せいふ)は、GHQの指示(しじ)のもとで、軍隊(ぐんたい)をなくし、国(くに)のしくみを民主的(みんしゅてき)に改(あらた)める改革(かいかく)を進(すす)めていきました。

日本(にほん)は連合国軍(れんごうこくぐん)に占領(せんりょう)され、GHQの指示(しじ)のもとで、民主化(みんしゅか)のための改革(かいかく)が始(はじ)まりました。

民主主義(みんしゅしゅぎ)の国(くに)を目指(めざ)す改革(かいかく)

女性(じょせい)が初(はじ)めて選挙権(せんきょけん)をもつ

1945年(ねん)12月(じゅうにがつ)、選挙(せんきょ)の法律(ほうりつ)が改(あらた)められました。20歳以上(さいいじょう)のすべての男女(だんじょ)が、をもつようになったのです。

1946年(ねん)4月(しがつ)10日(とおか)の衆議院(しゅうぎいん)議員(ぎいん)の選挙(せんきょ)で、女性(じょせい)は初(はじ)めて投票(とうひょう)しました。この選挙(せんきょ)で、39人(にん)の女性議員(じょせいぎいん)が生(う)まれました。

選挙権(せんきょけん)をもつ人(ひと)が全人口(ぜんじんこう)にしめる割合(わりあい)(衆議院(しゅうぎいん)議員(ぎいん)の選挙(せんきょ))
  1. 1.1%1890年(ねん)
  2. 2.2%1902年(ねん)
  3. 5.5%1920年(ねん)
  4. 20.0%1928年(ねん)
  5. 48.7%1946年(ねん)

1928年までは男子だけ(1928年は25歳以上のすべての男子)。1946年は、20歳以上のすべての男女が選挙権をもって初めての選挙。 出典:総務省 広報誌「総務省」2025年12月号「選挙のあゆみと今」

農地改革(のうちかいかく)

戦争(せんそう)の前(まえ)、農地(のうち)のおよそ半分(はんぶん)は、地主(じぬし)から借(か)りて耕(たがや)す小作地(こさくち)でした。小作農(こさくのう)は、収穫(しゅうかく)の半分(はんぶん)ほどにもなる高(たか)い小作料(こさくりょう)を、地主(じぬし)におさめていました。

そこで国(くに)は、地主(じぬし)の土地(とち)の多(おお)くを買(か)い上(あ)げて、小作農(こさくのう)に売(う)りわたしました。これを農地改革(のうちかいかく)といいます。

この結果(けっか)、農地(のうち)の約(やく)9割(わり)が、自分(じぶん)の土地(とち)を耕(たがや)す自作農(じさくのう)のものになりました。

青い地に「二百万町歩解放え」と大きく書かれ、改革前と改革後の自作地と小作地の広さを、二つの円グラフで表したポスター
農地改革(のうちかいかく)を知(し)らせる農林省(のうりんしょう)のポスター。改革前(かいかくまえ)(右(みぎ))は小作地(こさくち)が260万(まん)町歩(ちょうぶ)でしたが、改革後(かいかくご)(左(ひだり))は60万(まん)町歩(ちょうぶ)になり、「全農地(ぜんのうち)の九割(きゅうわり)が自作地(じさくち)となる」と書(か)かれています。農林省ポスター「二百万町歩解放え」昭和22年(1947)ごろ 国立公文書館蔵(請求番号 平19農水90026100)出典:国立公文書館デジタルアーカイブ(CC0)(部分)

財閥(ざいばつ)の解体(かいたい)と労働組合(ろうどうくみあい)

戦前(せんぜん)の日本(にほん)では、三井(みつい)や三菱(みつびし)などのが、多(おお)くの会社(かいしゃ)を従(したが)えて強(つよ)い力(ちから)をもっていました。戦後(せんご)、経済(けいざい)を民主的(みんしゅてき)にするため、これらの財閥(ざいばつ)は解体(かいたい)されました。

1945年(ねん)には労働組合(ろうどうくみあい)法(ほう)ができました。働(はたら)く人々(ひとびと)がをつくり、給料(きゅうりょう)などの条件(じょうけん)を話(はな)し合(あ)えるようになりました。

新(あたら)しい教育(きょういく)と学校給食(がっこうきゅうしょく)

1947年(ねん)3月(さんがつ)、と学校教育法(がっこうきょういくほう)ができました。4月(しがつ)からは小学校(しょうがっこう)6年(ねん)・中学校(ちゅうがっこう)3年(ねん)の6・3制(せい)が始(はじ)まり、義務教育(ぎむきょういく)は9年(ねん)になりました。

新(あたら)しい中学校(ちゅうがっこう)の校舎(こうしゃ)は足(た)りませんでした。地域(ちいき)の人々(ひとびと)も、お金(かね)を出(だ)し合(あ)って校舎(こうしゃ)づくりを進(すす)めました。

「六三制」「促進運動」と書かれた大きな紙や、「貯蓄促進」と書かれたのぼりを持った人々が、店の前に立っている白黒の写真
新(あたら)しい中学校(ちゅうがっこう)の校舎(こうしゃ)を建(た)てるために、貯金(ちょきん)をよびかける人々(ひとびと)(1948年(ねん)、埼玉県(さいたまけん))。「六三制(ろくさんせい)」の文字(もじ)が見(み)えます。新制中学校建設のために貯金を呼びかける人びと 昭和23年(1948) 埼玉県立図書館蔵出典:埼玉県立図書館デジタルライブラリー(CC BY 4.0)(CC BY 4.0)

学校給食(がっこうきゅうしょく)も始(はじ)まりました。1946年(ねん)12月(じゅうにがつ)に東京(とうきょう)などで試(ため)しに始(はじ)まり、1947年(ねん)1月(いちがつ)からは全国(ぜんこく)の都市(とし)の子(こ)どもに広(ひろ)がりました。

なぜ?短(みじか)い間(あいだ)に、たくさんの改革(かいかく)が行(おこな)われたの?
軍隊(ぐんたい)が力(ちから)をもっていた国(くに)のしくみを改(あらた)め、民主主義(みんしゅしゅぎ)の国(くに)として出発(しゅっぱつ)し直(なお)すためです。GHQの指示(しじ)のもとで、政治(せいじ)・経済(けいざい)・教育(きょういく)の改革(かいかく)が次々(つぎつぎ)に進(すす)められました。

女性(じょせい)の選挙権(せんきょけん)、農地改革(のうちかいかく)、財閥(ざいばつ)の解体(かいたい)、労働組合(ろうどうくみあい)、6・3制(せい)など、民主主義(みんしゅしゅぎ)の国(くに)を目指(めざ)す改革(かいかく)が進(すす)められました。

日本国憲法(にほんこくけんぽう)の制定(せいてい)

1946年(ねん)11月(じゅういちがつ)3日(みっか)に公布(こうふ)

改革(かいかく)の中心(ちゅうしん)となったのが、新(あたら)しい憲法(けんぽう)づくりです。帝国議会(ていこくぎかい)での話(はな)し合(あ)いをへて、日本国憲法(にほんこくけんぽう)が1946年(ねん)11月(じゅういちがつ)3日(みっか)に公布(こうふ)されました。

そして、半年後(はんとしご)の1947年(ねん)5月(ごがつ)3日(みっか)から施行(しこう)されました。施行(しこう)とは、法律(ほうりつ)などが実際(じっさい)に使(つか)われ始(はじ)めることです。

右はしに「日本國憲法」と題があり、「日本國民は、正當に選擧された國會における代表者を通じて行動し」で始まる文が縦書きで印刷された紙
日本国憲法(にほんこくけんぽう)の原本(げんぽん)の前文(ぜんぶん)のはじめ。「日本國憲法(にほんこくけんぽう)」の題(だい)が見(み)えます。日本国憲法・御署名原本 昭和21年(1946)11月3日 国立公文書館蔵(請求番号 御30168100)出典:国立公文書館デジタルアーカイブ(CC0)(部分)
赤いけいの紙に、大きな赤い印がおされ、「昭和二十一年十一月三日」の日付と、吉田茂などの名前が筆で書かれた紙
同(おな)じ原本(げんぽん)の、公布(こうふ)の日付(ひづけ)「昭和二十一年十一月三日(しょうわにじゅういちねんじゅういちがつみっか)」のページ。天皇(てんのう)の名前(なまえ)と印(しるし)、首相(しゅしょう)の吉田茂(よしだしげる)たち大臣(だいじん)の名前(なまえ)が書(か)かれています。日本国憲法・御署名原本 昭和21年(1946)11月3日 国立公文書館蔵(請求番号 御30168100)出典:国立公文書館デジタルアーカイブ(CC0)(部分)

三(みっ)つの原則(げんそく)

日本国憲法(にほんこくけんぽう)には、国(くに)の土台(どだい)となる三(みっ)つの原則(げんそく)があります。

  • 国民主権(こくみんしゅけん)
  • 基本的人権(きほんてきじんけん)の尊重(そんちょう)
  • 平和主義(へいわしゅぎ)

では、主権(しゅけん)は天皇(てんのう)にありました。日本国憲法(にほんこくけんぽう)では、主権(しゅけん)は国民(こくみん)にあると定(さだ)められました。三(みっ)つの原則(げんそく)のくわしい中身(なかみ)は、政治(せいじ)の学習(がくしゅう)で学(まな)びます。

新(あたら)しい憲法(けんぽう)は、広(ひろ)く国民(こくみん)に知(し)らされました。文部省(もんぶしょう)は1947年(ねん)8月(はちがつ)、新(あたら)しい中学校(ちゅうがっこう)の社会科(しゃかいか)で使(つか)う本(ほん)『あたらしい憲法(けんぽう)のはなし』を出(だ)しています。

「あたらしい憲法のはなし」「文部省」と縦に書かれ、下に国会議事堂と「法」の字から光が出ている丸い絵がある本の表紙
文部省(もんぶしょう)が1947年(ねん)8月(はちがつ)に出(だ)した『あたらしい憲法(けんぽう)のはなし』の表紙(ひょうし)。新(あたら)しい憲法(けんぽう)の考(かんが)え方(かた)を、子(こ)どもたちに語(かた)りかける文(ぶん)で説明(せつめい)しています。文部省 編『あたらしい憲法のはなし』実業教科書 昭和22年(1947)出典:国立国会図書館デジタルコレクション(部分)

日本国憲法(にほんこくけんぽう)は1946年(ねん)11月(じゅういちがつ)3日(みっか)に公布(こうふ)され、1947年(ねん)5月(ごがつ)3日(みっか)から施行(しこう)されました。日本(にほん)は、平和(へいわ)で民主的(みんしゅてき)な国(くに)として出発(しゅっぱつ)しました。

年(ねん)の流(なが)れでふり返(かえ)る

  1. 1945年(ねん)8月(はちがつ)戦争(せんそう)が終(お)わる。連合国軍(れんごうこくぐん)による占領(せんりょう)が始(はじ)まる
  2. 1945年(ねん)12月(じゅうにがつ)20歳以上(さいいじょう)の男女(だんじょ)に選挙権(せんきょけん)。労働組合(ろうどうくみあい)法(ほう)ができる
  3. 1946年(ねん)4月(しがつ)女性(じょせい)が初(はじ)めて投票(とうひょう)し、39人(にん)の女性議員(じょせいぎいん)が生(う)まれる
  4. 1946年(ねん)10月(じゅうがつ)農地改革(のうちかいかく)の法律(ほうりつ)ができる
  5. 1946年(ねん)11月(じゅういちがつ)3日(みっか)日本国憲法(にほんこくけんぽう)が公布(こうふ)される
  6. 1947年(ねん)4月(しがつ)6・3制(せい)の新(あたら)しい学校(がっこう)が始(はじ)まる
  7. 1947年(ねん)5月(ごがつ)3日(みっか)日本国憲法(にほんこくけんぽう)が施行(しこう)される

中学(ちゅうがく)ではここがくわしくなる

中学(ちゅうがく)の歴史(れきし)では、戦後(せんご)の改革(かいかく)の進(すす)み方(かた)を、もう少(すこ)しくわしく習(なら)います。

小学校(しょうがっこう)中学校(ちゅうがっこう)で加(くわ)わること
改革(かいかく)の始(はじ)まりGHQの指示(しじ)で改革(かいかく)が進(すす)む1945年(ねん)10月(じゅうがつ)、マッカーサーは幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相(しゅしょう)に、女性(じょせい)の参政権(さんせいけん)・労働組合(ろうどうくみあい)・教育(きょういく)の自由主義化(じゆうしゅぎか)・経済(けいざい)の民主化(みんしゅか)などの改革(かいかく)を求(もと)めた(五大改革指令(ごだいかいかくしれい))。日本(にほん)の政府(せいふ)は、GHQの指示(しじ)を受(う)けて政治(せいじ)を行(おこな)った(間接統治(かんせつとうち))
農地改革(のうちかいかく)地主(じぬし)の土地(とち)を小作農(こさくのう)に売(う)りわたす1946年(ねん)10月(じゅうがつ)の自作農(じさくのう)創設特別措置法(そうせつとくべつそちほう)による。村(むら)に住(す)んでいない地主(じぬし)の小作地(こさくち)と、村(むら)に住(す)む地主(じぬし)の小作地(こさくち)のうち一定(いってい)の広(ひろ)さ(都府県(とふけん)は平均(へいきん)1町歩(ちょうぶ)、北海道(ほっかいどう)は4町歩(ちょうぶ))をこえる分(ぶん)を、国(くに)が買(か)い上(あ)げた
財閥(ざいばつ)の解体(かいたい)財閥(ざいばつ)が解体(かいたい)された1946年(ねん)4月(しがつ)に持株会社(もちかぶがいしゃ)整理(せいり)委員会(いいんかい)ができ、三井(みつい)・三菱(みつびし)・住友(すみとも)・安田(やすだ)などの本社(ほんしゃ)が持(も)っていた株(かぶ)を処分(しょぶん)させた
憲法(けんぽう)づくり日本国憲法(にほんこくけんぽう)の公布(こうふ)1946年(ねん)2月(にがつ)、GHQが憲法(けんぽう)の草案(そうあん)を日本(にほん)の政府(せいふ)にわたした。政府(せいふ)はそれをもとに改正案(かいせいあん)をつくり、帝国議会(ていこくぎかい)で修正(しゅうせい)を加(くわ)えて成立(せいりつ)させた
選挙(せんきょ)女性(じょせい)が初(はじ)めて投票(とうひょう)した1946年(ねん)4月(しがつ)の選挙(せんきょ)の投票率(とうひょうりつ)は7割(わり)をこえた。参議院(さんぎいん)の最初(さいしょ)の選挙(せんきょ)は、1947年(ねん)4月(しがつ)20日(か)に行(おこな)われた

この時代(じだい)の人物(じんぶつ)

飾りのついた軍の帽子をかぶり、軍服を着た男性
マッカーサー
アメリカの軍人(ぐんじん)。連合国軍最高司令官(れんごうこくぐんさいこうしれいかん)として1945年(ねん)8月(はちがつ)に日本(にほん)に来(き)て、GHQの長(ちょう)として日本(にほん)の政府(せいふ)に民主化(みんしゅか)の改革(かいかく)を指示(しじ)した。
マッカーサー(1945年ごろ、アメリカ国防総省の写真)。出典:アメリカ国立公文書館(トルーマン大統領図書館)(部分)
めがねをかけ、口ひげをはやした、スーツにネクタイの男性
幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)
1945年(ねん)10月(じゅうがつ)に首相(しゅしょう)となった。マッカーサーから民主化(みんしゅか)の改革(かいかく)を求(もと)められ、選挙(せんきょ)の法律(ほうりつ)の改正(かいせい)などを進(すす)めた。
幣原喜重郎(若いころの写真)。出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(部分)
めがねをかけ、スーツにネクタイの年配の男性
吉田茂(よしだしげる)
1946年(ねん)5月(ごがつ)に首相(しゅしょう)となった。日本国憲法(にほんこくけんぽう)が公布(こうふ)されたときの首相(しゅしょう)で、憲法(けんぽう)の原本(げんぽん)にも名前(なまえ)を記(しる)している。

重要(じゅうよう)なところ

日本国憲法(にほんこくけんぽう)は、1946年(ねん)11月(じゅういちがつ)3日(みっか)に公布(こうふ)され、1947年(ねん)5月(ごがつ)3日(みっか)に施行(しこう)されました。
公布(こうふ)は国民(こくみん)に知(し)らせること、施行(しこう)は実際(じっさい)に使(つか)われ始(はじ)めることです。
女性(じょせい)が初(はじ)めて選挙権(せんきょけん)をもったのは、戦後(せんご)の1945年(ねん)に選挙(せんきょ)の法律(ほうりつ)が改(あらた)められてからです。
1925年(ねん)の普通選挙法(ふつうせんきょほう)で選挙権(せんきょけん)をもったのは、25歳以上(さいいじょう)の男子(だんし)だけでした。
農地改革(のうちかいかく)では、国(くに)が地主(じぬし)の土地(とち)を買(か)い上(あ)げ、小作農(こさくのう)に売(う)りわたしました。
その結果(けっか)、農地(のうち)の約(やく)9割(わり)が自作農(じさくのう)の土地(とち)になりました。

教科書(きょうかしょ)では、この単元名(たんげんめい)です

  • 東京書籍:「新しい日本、平和な日本へ」の授業「終戦直後の人々のくらし」「民主主義による国を目指して」
  • 教育出版:「平和で豊かな暮らしを目ざして」の授業「もう戦争はしない」
  • 日本文教出版:「新しい日本へのあゆみ」の授業「終戦直後の人々のくらし」「新しい国づくりがはじまる」

学習指導要領(がくしゅうしどうようりょう)(平成(へいせい)29年告示(ねんこくじ))では

第(だい)6学年(がくねん)の内容(ないよう)(2)ア(サ):日華事変(にっかじへん)(日中戦争(にっちゅうせんそう))、日本(にほん)が関(かか)わった第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)、日本国憲法(にほんこくけんぽう)の制定(せいてい)、オリンピック・パラリンピックの開催(かいさい)などから、戦後(せんご)に民主的(みんしゅてき)な国家(こっか)として出発(しゅっぱつ)し、国民生活(こくみんせいかつ)が向上(こうじょう)して国際社会(こくさいしゃかい)で重要(じゅうよう)な役割(やくわり)を果(は)たしてきたことを理解(りかい)する。(学習指導要領コード 026321B000000)

「新(あたら)しい日本(にほん)、平和(へいわ)な日本(にほん)へ」の授業(じゅぎょう)の順(じゅん)と、ほかの時間(じかん)の解説(かいせつ)へ

たしかめ問題(もんだい)

戦後(せんご)、駅前(えきまえ)の焼(や)けあとなどにできて、配給(はいきゅう)より高(たか)いねだんで食(た)べ物(もの)などが売(う)られた市場(いちば)を何(なん)といいますか。やみ市(いち)
戦後(せんご)の日本(にほん)を占領(せんりょう)した連合国軍(れんごうこくぐん)の最高司令官(さいこうしれいかん)はだれですか。マッカーサー
1945年(ねん)に選挙(せんきょ)の法律(ほうりつ)が改(あらた)められ、選挙権(せんきょけん)をもつようになったのは、何歳以上(なんさいいじょう)のどのような人(ひと)ですか。20歳以上(さいいじょう)のすべての男女(だんじょ)
1946年(ねん)4月(しがつ)の衆議院(しゅうぎいん)議員(ぎいん)の選挙(せんきょ)で生(う)まれた女性議員(じょせいぎいん)は何人(なんにん)ですか。39人(にん)
国(くに)が地主(じぬし)の土地(とち)を買(か)い上(あ)げ、小作農(こさくのう)に売(う)りわたした改革(かいかく)を何(なん)といいますか。農地改革(のうちかいかく)
1947年(ねん)4月(しがつ)から始(はじ)まった、小学校(しょうがっこう)6年(ねん)・中学校(ちゅうがっこう)3年(ねん)の学校(がっこう)のしくみを何(なん)といいますか。6・3制(せい)
日本国憲法(にほんこくけんぽう)が公布(こうふ)されたのは何年何月何日(なんねんなんがつなんにち)ですか。1946年(ねん)11月(じゅういちがつ)3日(みっか)
日本国憲法(にほんこくけんぽう)の三(みっ)つの原則(げんそく)は、国民主権(こくみんしゅけん)・平和主義(へいわしゅぎ)と、もう一(ひと)つは何(なん)ですか。基本的人権(きほんてきじんけん)の尊重(そんちょう)
問(と)いへの答(こた)え

戦争(せんそう)が終(お)わったころ、多(おお)くの人(ひと)が家(いえ)を失(うしな)い、食(た)べ物(もの)も不足(ふそく)していました。日本(にほん)はアメリカを中心(ちゅうしん)とする連合国軍(れんごうこくぐん)に占領(せんりょう)され、GHQの指示(しじ)のもとで、民主主義(みんしゅしゅぎ)の国(くに)を目指(めざ)す改革(かいかく)が進(すす)められました。20歳以上(さいいじょう)のすべての男女(だんじょ)が選挙権(せんきょけん)をもち、1946年(ねん)の選挙(せんきょ)では39人(にん)の女性議員(じょせいぎいん)が生(う)まれました。農地改革(のうちかいかく)で多(おお)くの小作農(こさくのう)が自分(じぶん)の土地(とち)をもつようになり、財閥(ざいばつ)の解体(かいたい)や労働組合(ろうどうくみあい)づくり、6・3制(せい)の新(あたら)しい教育(きょういく)も始(はじ)まりました。そして、1946年(ねん)11月(じゅういちがつ)3日(みっか)に日本国憲法(にほんこくけんぽう)が公布(こうふ)され、1947年(ねん)5月(ごがつ)3日(みっか)から施行(しこう)されました。

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