明治の改革とは?廃藩置県・四民平等・徴兵令・地租改正・学制をわかりやすく
教科書では:東京書籍「明治の国づくりを進めた人々」の「大久保利通と明治新政府の改革」/教育出版「明治の新しい国づくり」の「新政府による国づくりの始まり」「欧米の国々に追いつけ」/日本文教出版「明治の新しい国づくり」の「新しい政府による政治」「明治政府の改革」
- 新しい政府は、1871年にを行い、全国を政府が直接治めるしくみにしました。
- 欧米に負けない国をつくるため、で軍隊をつくり、で税のしくみを変え、で学校をつくりました。
- が欧米を見て回り、政府は富岡製糸場などの工場を建てて産業をさかんにしました()。
明治の新しい政府は、どのような国づくりを進めたのだろう。
読み終えたら、下の「問いへの答え」を見る前に、自分の言葉で答えてみましょう。藩をなくして県を置く―廃藩置県
版籍奉還
明治維新のあとも、しばらくは、それぞれの藩で元の大名が土地と人々を治めていました。
そこで新しい政府は、1869年、大名が治めていた土地(版)と人々(籍)を天皇に返させました。これをといいます。
しかし、元の大名はそのまま「知藩事」として、自分の藩を治め続けました。藩は税を集め、軍隊ももっていたため、政府の力は全国にゆきわたりませんでした。
1871年、廃藩置県
そこで政府は、1871年7月14日、藩をすべてやめて、かわりに県を置きました。これを廃藩置県といいます。
知藩事はやめさせられて、東京に住むことになりました。府や県は、政府が直接治めることになりました。こうして、政府が全国を直接治める、中央集権のしくみができあがりました。
政府は、反対があったときにそなえて、薩摩・長州・土佐の3藩から兵を集め、天皇を守る軍隊(御親兵)をつくっておきました。そして、一度に廃藩置県を行いました。この計画は、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允らが中心になって進めました。
四民平等
1871年には、えた・ひにんとよばれた人々の身分を廃止する布告も出されました。江戸時代の身分による区別をなくし、すべての人を平等とする考え方をといいます。
ただし、差別されてきた人々への、結婚や仕事、住む場所などでのきびしい差別は、そのあとも残りました。
1871年の廃藩置県で藩をやめて県を置き、政府が全国を直接治めるしくみができました。
欧米に負けない国をつくる
新しい政府は、欧米の国々に負けない国をつくろうとしました。国を豊かにし、強い軍隊をもつことをめざしたのです。これをといいます。
そのために、軍隊・税・教育のしくみを大きく改めました。
| 改革 | 年 | おもな内容 |
|---|---|---|
| 学制 | 1872年 | 小学校から大学までの学校のしくみを定めた。6歳以上の男女すべてが小学校で学ぶことをめざした |
| 徴兵令 | 1873年 | 20歳になった男性は、身分に関係なく、3年間軍隊に入ることになった |
| 地租改正 | 1873年 | 土地の価格(地価)を決め、その3%を、土地の持ち主が現金で納めることになった |
地租改正 ― 米から現金へ
江戸時代の年貢は、米でおさめるもので、その年のとれ具合によって量が変わることもありました。
政府は、収入を安定させるため、1872年に土地の売り買いを認め、土地の持ち主にをわたしました。そして1873年からの地租改正で、豊作の年も不作の年も、地価の3%を現金で納めることにしました。

しかし、税の重さは江戸時代とあまり変わらず、1876年には、各地で地租改正に反対する一揆が起こりました。
政府は、1877年に地租を地価の2.5%に引き下げました。上の地券にも、明治10年(1877年)から「百分ノ二ヶ半」(2.5%)に変わったことが書かれています。
上の地券の土地は、地価が9円90銭です。地租が3%のときは、9円90銭×0.03=約30銭です。2.5%のときは、9円90銭×0.025=約25銭になります(地券に書かれた額は、29銭7厘と24銭8厘)。
徴兵令と学制
政府は、それまで武士が受けもっていた軍隊を、国民が支える軍隊に変えようとしました。1873年に徴兵令を出しました。
しかし、働き手をとられる家にとっては大きな負担で、反対する一揆も起こりました。
1872年には学制が出され、全国に小学校がつくられることになりました。6歳以上の男女が等しく学ぶことをめざしました。
はじめのうちは、寺子屋で使っていた手習いの本もまだ使われていました。民家を校舎にして始まった小学校もありました。
政府は富国強兵をめざし、学制・徴兵令・地租改正で、教育・軍隊・税のしくみを改めました。
欧米に学ぶ―岩倉使節団と殖産興業
岩倉使節団
1871年11月、政府は、岩倉具視を代表とする岩倉使節団を、欧米に送りました。木戸孝允・大久保利通・伊藤博文らも加わりました。
一行は留学生などもふくめて約100人で、1年10か月をかけて、アメリカやヨーロッパの12か国を回りました。

使節団の目的の1つは、を改める話し合いでしたが、これはうまくいきませんでした。
しかし、欧米の進んだ政治のしくみや工場、学校などを自分の目で見たことは、そのあとの国づくりに大きく役立ちました。
殖産興業と富岡製糸場
政府は、産業をさかんにするため、国が自分で工場を建てて、民間の手本にしました。これを殖産興業といいます。
その代表が、1872年に群馬県に建てられた富岡製糸場です。外国に売る生糸の品質を高めるため、フランス人の技術者を招き、フランスの機械を入れました。
全国から集まった工女たちが、技術を学びました。技術を身につけた工女は、出身地にもどって、器械製糸の指導者になることが期待されました。

地図を読みこんでいます…
地図は、指やマウスで動かしたり、+・−で拡大・縮小したりできます。印か、下の場所の名前をタップすると、説明が出ます。
- 群馬県。政府がつくった製糸工場。フランスの技術を取り入れた。2014年に世界遺産になった。
- 兵庫県。廃城令のあとも、取りこわされずに残されたお城の1つ。
- 滋賀県。廃城令のあとも、取りこわされずに残されたお城の1つ。
●緑はおもな産地や都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)
富岡製糸場は、2014年に世界遺産になり、建物の一部は国宝になっています。
- 1869年版籍奉還
- 1871年廃藩置県。身分の廃止。岩倉使節団が出発する
- 1872年学制が出される。富岡製糸場が開業する
- 1873年徴兵令が出される。地租改正が始まる。岩倉使節団が帰国する
- 1877年地租を2.5%に引き下げる
岩倉使節団は欧米の進んだしくみを見て学びました。政府は富岡製糸場などの工場を建て、殖産興業を進めました。
この時代の人物




重要なところ
版籍奉還のあとも元の大名が藩を治めていたので、廃藩置県で政府が直接治めるようになりました。
江戸時代の年貢は、米でおさめていました。1877年に2.5%に引き下げられました。
殖産興業の代表的な工場で、フランスの技術を取り入れました。
教科書では、この単元名です
- 東京書籍:「明治の国づくりを進めた人々」の授業「大久保利通と明治新政府の改革」
- 教育出版:「明治の新しい国づくり」の授業「新政府による国づくりの始まり」「欧米の国々に追いつけ」
- 日本文教出版:「明治の新しい国づくり」の授業「新しい政府による政治」「明治政府の改革」
学習指導要領(平成29年告示)では
第6学年の内容(2)ア(ケ):黒船の来航、廃藩置県や四民平等などの改革、文明開化から、明治維新で近代化が進んだことを理解する。(学習指導要領コード 0263219000000)
たしかめ問題
1871年に、藩をやめて県を置いた改革を何といいますか。
廃藩置県1873年に出された、20歳になった男性に兵役を義務づけた法令を何といいますか。
徴兵令地租改正で、税は地価の何%を現金で納めることになりましたか。
3%1872年に出された、全国に小学校をつくることなどを定めたきまりを何といいますか。
学制1872年に群馬県につくられた、政府の製糸工場を何といいますか。
富岡製糸場新しい政府は、欧米の国々に負けない強い国をつくることをめざしました。まず、大名が治めていた土地と人々を天皇に返させ(版籍奉還)、1871年には藩をやめて県を置き(廃藩置県)、政府が全国を直接治めるようにしました。江戸時代の身分制度もなくしました(四民平等)。さらに、20歳になった男性に兵役を義務づける徴兵令、土地の価格(地価)の3%を現金で納めさせる地租改正、6歳以上の子どもを学校で学ばせる学制など、軍隊・税・教育のしくみを次々と改めました。また、岩倉使節団を欧米に送って進んだ制度を学び、富岡製糸場のような官営の工場を建てて、産業をさかんにしようとしました。
出典
- 山口県文書館「新政府の成立 五箇条の誓文・政体書」(版籍奉還)
- 山口県文書館「新政府の成立 藩から県へ(木戸孝允)」
- 山口県文書館「新政府の成立 廃藩置県」
- 山口県文書館「新政府の成立 身分制度の廃止」
- 山口県文書館「明治維新の三大改革 近代的軍制の成立(徴兵告諭)」
- 山口県文書館「明治維新の三大改革 地租改正(地券)」
- 山口県文書館「明治維新の三大改革 学制の公布(学制公布当初の教科書)」
- 山口県文書館「明治維新の三大改革 学制の公布(小学校の開設)」
- 山口県文書館「近代のおとずれと城跡」(廃城令)
- 山口県文書館「岩倉使節団と殖産興業 岩倉使節団」
- 山口県文書館「岩倉使節団と殖産興業 殖産興業(富岡製糸場伝習生の募集)」
- 富岡製糸場(富岡市)「歴史を学ぶ」
- 国立公文書館「近代国家 日本の登場 明治の産業」
- 文化遺産オンライン「地券「砺波郡本領八百村」」(地券の解説)
画像
- 地券「砺波郡本領八百村」 石川県 明治11年(1878年)9月 高岡市立博物館蔵(文化遺産オンライン(CC BY))
- 岩倉大使一行(永見徳太郎編『珍らしい写真』粋古堂、1932年)(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 上州富岡製糸場之図 歌川国輝(2世) 1873年(東京都立図書館 TOKYOアーカイブ)
- 岩倉具視(『近世名士写真』其1、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
- 大久保利通(『近世名士写真』其1、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
- 木戸孝允(『近世名士写真』其1、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
- 西郷隆盛(『近世名士写真』其1、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)