明治維新とは? 薩長同盟・大政奉還・戊辰戦争・五箇条の御誓文をわかりやすく
教科書では:東京書籍「明治の国づくりを進めた人々」の「若い武士たちが幕府をたおす」/教育出版「明治の新しい国づくり」の「江戸幕府がたおれる」/日本文教出版「明治の新しい国づくり」の「高まる人々の不満」
- 外国の強さを知った薩摩藩と長州藩は、1866年にを結び、幕府をたおす動きを強めました。
- 1867年、15代将軍の徳川慶喜が政権を朝廷に返し()、260年あまり続いた江戸幕府が終わりました。
- 1868年、新しい政府はで政治の方針を示し、で旧幕府軍に勝って、天皇中心の国づくりを進めました。
江戸幕府は、どのようにしてたおれ、明治の新しい政府ができたのだろう。
読み終えたら、下の「問いへの答え」を見る前に、自分の言葉で答えてみましょう。「外国を追いはらえ」から「幕府をたおせ」へ
外国の強さを知った長州藩と薩摩藩
開国のあと、天皇を尊び、外国を追いはらおうとするの考えが広まりました。その中心になったのが、長州藩(今の山口県)と薩摩藩(今の鹿児島県)です。
しかし両藩は、外国の艦隊と戦って、その軍事力の強さを目の当たりにしました。外国を追いはらうことはできないと知ったのです。
そして、幕府をたおして、天皇を中心とする強い国をつくろうと考えるようになりました。
地図を読みこんでいます…
地図は、指やマウスで動かしたり、+・−で拡大・縮小したりできます。印か、下の場所の名前をタップすると、説明が出ます。
- 山口県。長州藩が外国の船を砲撃した関門海峡の町。翌年、4か国の艦隊に砲台を占領された。
- 鹿児島県。薩摩藩がイギリスの艦隊と戦った場所(薩英戦争)。
- 京都府。徳川慶喜が、大政奉還について諸藩の重臣の意見を聞いた城。二の丸御殿は国宝。
- 京都府。戊辰戦争の始まりとなった、旧幕府軍と新政府軍の戦いの場所。京都の南。
- 東京都。勝海舟と西郷隆盛の話し合いで、戦わずに明けわたされた城。のちに天皇の住まいになった。
- 福島県。会津藩が若松城(鶴ヶ城)にたてこもって新政府軍と戦った場所。
- 北海道。旧幕府の軍が最後にたてこもった、星の形をした西洋式の城。ここでの戦いで戊辰戦争が終わった。
●赤は戦いの場所、●緑は都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)
坂本龍馬と薩長同盟
もともと対立していた薩摩藩と長州藩を結びつけたのが、土佐藩(今の高知県)出身の坂本龍馬です。
1866年、龍馬の仲立ちで、薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允が約束をかわしました。これを薩長同盟といいます。
外国の強さを知った長州藩と薩摩藩は、幕府をたおそうと考えました。1866年、坂本龍馬の仲立ちで薩長同盟が結ばれました。
大政奉還 ― 江戸幕府の終わり
徳川慶喜が政権を返す
1866年に15代将軍になった徳川慶喜のころ、幕府をたおそうとする動きは強まりました。京都では、武力でぶつかることも心配されていました。
土佐藩は、幕府が政権を朝廷に返すようすすめる意見書を、慶喜に出しました。

1867年10月13日、慶喜は、京都の二条城に京都にいた40藩の重臣を集め、政権を返すことについて意見を聞きました。そして14日に朝廷に申し出て、15日に許されました。
これを大政奉還といいます。こうして、家康から260年あまり続いた江戸幕府は終わりました。
武力でぶつかるのをさけるためでした。慶喜は、政権を返したあとも、新しい政治の中で徳川家が力をもち続けることをねらったとも考えられています。
王政復古の大号令
しかし、薩摩藩や長州藩、公家の岩倉具視たちは、それを許しませんでした。
1867年12月、朝廷はを出して、天皇を中心とする新しい政府をつくることを宣言しました。その夜の会議で、慶喜には官職と領地を返させることが決められました。
1867年、15代将軍の徳川慶喜が大政奉還をして、江戸幕府は終わりました。朝廷は王政復古の大号令を出しました。
戊辰戦争と江戸城の明けわたし
鳥羽・伏見の戦い
これに反発した旧幕府の軍は、1868年1月、京都に向けて兵を進めました。そして京都の南の鳥羽・伏見で、薩摩藩・長州藩の軍とぶつかりました(鳥羽・伏見の戦い)。
旧幕府軍は約1万5千人、新政府軍は約4千5百人でした。それでも、戦う気持ちと武器でまさる新政府軍が勝ちました。慶喜は、江戸にもどりました。

戦わずに江戸城を明けわたす
新政府軍は、江戸に向けて軍を進めました。1868年3月、旧幕府の勝海舟と、新政府軍の西郷隆盛が江戸で話し合いました。そして、江戸城を戦わずに明けわたすことが決まりました。
4月11日、新政府軍は戦うことなく江戸城に入りました。こうして、江戸の町は戦いの場にならずにすみました。


その後も、東北地方などで戦いが続きましたが、1869年に旧幕府の軍は敗れました。この新政府軍と旧幕府軍の戦いを戊辰戦争といいます。
1868年から戊辰戦争が起こり、新政府軍が勝ちました。江戸城は、勝海舟と西郷隆盛の話し合いで、戦わずに明けわたされました。
五箇条の御誓文と新しい時代
1868年3月、新政府は、明治天皇が神々にちかうという形で、これからの政治の方針を示しました。これを五箇条の御誓文といいます。

| 御誓文のことば | 今のことばでいうと |
|---|---|
| 広く会議を興し、万機公論に決すべし | 会議を開いて、大切なことはみんなの意見で決めよう |
| 上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし | 身分の高い人も低い人も心を一つにして、国を治めよう |
| 官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す | 役人も武士も人々も、それぞれの願いをかなえ、やる気を失わないようにしよう |
| 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし | これまでのよくないしきたりをやめ、正しい道に従おう |
| 智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし | 知識を世界に学び、天皇を中心とする国をさかんにしよう |
江戸が東京に、元号が明治に
同じ1868年の7月には、江戸が「東京」と改められました。9月には元号が「明治」に変わりました。
10月、明治天皇は京都から東京に入りました。江戸城は、天皇の住まいになりました。
- 1866年薩長同盟が結ばれる
- 1867年大政奉還で江戸幕府が終わる。王政復古の大号令が出される
- 1868年戊辰戦争が始まる。五箇条の御誓文が出される。江戸城が明けわたされる
- 1869年五稜郭の戦いで、戊辰戦争が終わる
江戸幕府がたおれ、天皇を中心とする新しい政府ができて、国のしくみや社会が大きく変わっていきました。これをといいます。
新政府は五箇条の御誓文で政治の方針を示しました。幕府がたおれ、新しい国づくりが始まったことを明治維新といいます。
中学ではここがくわしくなる
下関砲撃と薩英戦争
1863年、長州藩は、関門海峡を通る外国の船を砲撃しました。すると翌年、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの4か国の艦隊が下関を攻撃し、砲台を占領しました。
薩摩藩では、1862年に藩士がイギリス人を殺傷する生麦事件が起こりました。これをきっかけに、1863年、鹿児島に来たイギリスの艦隊と戦いました(薩英戦争)。イギリスは、この戦いで薩摩藩の力を認め、両者は近づいていきました。
戊辰戦争の広がり
鳥羽・伏見の戦いで、新政府軍は、天皇の軍であることを示す「錦の御旗」をかかげていました。
江戸城の明けわたしのあとも、東北地方や北越(今の新潟県)の藩が新政府軍と戦いました。会津藩(今の福島県)は、1か月ほど若松城(鶴ヶ城)にたてこもって戦いましたが、1868年9月に降伏しました。
最後まで戦った旧幕府の軍も、1869年に函館の五稜郭の戦いで敗れました。
この時代の人物






重要なところ
「大政」は国の政治、「奉還」はお返しするという意味です。
龍馬は、薩摩藩でも長州藩でもなく、土佐藩(今の高知県)の出身です。
戊辰戦争は、1868年の鳥羽・伏見の戦いから、1869年の五稜郭の戦いまで続きました。
教科書では、この単元名です
- 東京書籍:「明治の国づくりを進めた人々」の授業「若い武士たちが幕府をたおす」
- 教育出版:「明治の新しい国づくり」の授業「江戸幕府がたおれる」
- 日本文教出版:「明治の新しい国づくり」の授業「高まる人々の不満」
学習指導要領(平成29年告示)では
第6学年の内容(2)ア(ケ):黒船の来航、廃藩置県や四民平等などの改革、文明開化から、明治維新で近代化が進んだことを理解する。(学習指導要領コード 0263219000000)
たしかめ問題
1866年、坂本龍馬の仲立ちで、薩摩藩と長州藩が結んだ同盟を何といいますか。
薩長同盟1867年、将軍が政権を朝廷に返したことを何といいますか。
大政奉還大政奉還を行った、江戸幕府の15代将軍はだれですか。
徳川慶喜1868年から1869年まで続いた、新政府軍と旧幕府軍の戦いを何といいますか。
戊辰戦争1868年に新政府が示した、これからの政治の方針を何といいますか。
五箇条の御誓文開国のあと、薩摩藩と長州藩は外国と戦って負け、外国を追いはらうのはむずかしいと知りました。両藩は、幕府をたおして強い国をつくろうと考え、1866年に坂本龍馬の仲立ちで薩長同盟を結びました。1867年、将軍の徳川慶喜は政権を朝廷に返し(大政奉還)、江戸幕府は終わりました。朝廷は王政復古の大号令を出して、天皇を中心とする新しい政府をつくりました。1868年からの戊辰戦争で、新政府軍は旧幕府軍を破りました。この間に江戸城は戦わずに明けわたされ、新政府は五箇条の御誓文で、会議を開いて多くの人の意見で政治を決めることなどの方針を示しました。こうした一連の大きな変化を明治維新といいます。
出典
- 山口県文書館「江戸幕府の滅亡 下関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)」
- 山口県文書館「江戸幕府の滅亡 討幕の密勅」(大政奉還・王政復古・小御所会議)
- 山口県文書館「江戸幕府の滅亡 戊辰戦争とトコトンヤレ節」(錦の御旗・戊辰戦争の期間)
- 鹿児島県「生麦事件」
- 鹿児島県歴史・美術センター黎明館「薩英戦争」(薩英間の接近)
- 鹿児島県「戊辰戦争」(鳥羽・伏見の戦い、江戸城無血開城)
- 元離宮二条城「歴史」(大政奉還)
- 元離宮二条城「大政奉還」(Living history in 京都・二条城)
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」(徳川慶喜・坂本竜馬・西郷隆盛・勝海舟・木戸孝允・大久保利通の解説)
- 国立公文書館デジタルアーカイブ「五ヶ条ノ御誓文」
- 国立公文書館「一世一元の制となる」(日本のあゆみ)
- 国立公文書館「変貌 江戸城を皇居と定め東京城と改称」
- 会津若松市「戊辰戦争とは」(若松城の籠城と開城)
- 国立公文書館 平成22年度第1回常設展「暮らしのうつりかわり-明治編-」(江戸を東京と改める)
- 国立国会図書館デジタルコレクション『明治元年戊辰年十月十三日東幸御行列之真図』(天皇が東京に入った日)
- 静岡市「近世」(西郷隆盛と山岡鉄舟の会談)
画像
- 徳川慶喜(『近世名士写真』其2 近世名士写真頒布会、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
- 「皇国一新見聞誌」「伏見の戦争」 月岡芳年 1876年(東京都立図書館 TOKYOアーカイブ)
- 勝海舟(『近世名士写真』其2 近世名士写真頒布会、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
- 西郷隆盛(『近世名士写真』其1 近世名士写真頒布会、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
- 五ヶ条ノ御誓文(勅語類・明治詔勅) 明治元年3月14日(国立公文書館デジタルアーカイブ)
- 坂本竜馬(『近世名士写真』其2、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
- 木戸孝允(『近世名士写真』其1、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
- 大久保利通(『近世名士写真』其1、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)