織田信長とは?桶狭間・長篠・楽市楽座・本能寺の変をわかりやすく
教科書では:東京書籍「戦国の世から天下統一へ」の「天下統一をめざした織田信長」/教育出版「全国統一への動き」の「全国統一を目ざした織田信長」/日本文教出版「戦国の世の統一」の「長篠の戦いを調べる」「新しい時代を切りひらいた織田信長」
- 尾張(今の愛知県西部)のだった織田信長は、1560年ので、大軍の今川義元を破り、名前を広めました。
- 京都へ進んで室町幕府をほろぼし、1575年の長篠の戦いでは、鉄砲をたくさん使って武田氏を破りました。
- 安土城を築き、楽市楽座で商売をさかんにしましたが、1582年、家来の明智光秀におそわれ、本能寺の変でたおれました。
織田信長は、どのようにして、天下統一に近づいたのだろう。
読み終えたら、下の「問いへの答え」を見る前に、自分の言葉で答えてみましょう。尾張の大名、織田信長
室町時代の終わりごろ、幕府の力は弱くなりました。各地の大名たちが、土地や力をめぐって争うようになったのです。このころをといいます。
織田信長は、戦国時代に、尾張(今の愛知県の西部)で力をつけた大名です。信長は国の中の争いをおさめ、やがて日本全体をまとめるに近づいていきました。

このページでは、信長が何をしたのかを、できごとの順に見ていきましょう。
- 1560年桶狭間の戦いで、今川義元を破る
- 1573年室町幕府がほろびる
- 1575年長篠の戦いで、武田氏を破る
- 1576年安土城を築き始める
- 1582年本能寺の変でたおれる
地図を読みこんでいます…
地図は、指やマウスで動かしたり、+・−で拡大・縮小したりできます。印か、下の場所の名前をタップすると、説明が出ます。
- 愛知県。織田信長が、今川義元の大軍を破った戦いの場所。今の愛知県の名古屋市・豊明市のあたり。
- 岐阜県。信長が美濃(今の岐阜県南部)をとったあと、本拠地を移した場所。
- 京都府。天皇と朝廷がある都。承久の乱のあと、幕府はここに朝廷を見はる役所(六波羅探題)を置いた。
- 愛知県。織田・徳川の軍が、武田勝頼の軍を破った戦い(長篠の戦い)の場所。今の愛知県新城市。
- 滋賀県。信長が城(安土城)を築き始めた、琵琶湖の近くの場所。今の滋賀県近江八幡市。
●赤は戦いの場所、●緑は都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)
織田信長は尾張の大名で、戦国の世の争いをおさめ、天下統一に近づきました。
桶狭間の戦い(1560年)―名前が広まる
1560年、東の大名・今川義元が、大軍をひきいて尾張にせめてきました。
信長の軍は、ずっと少ない人数でした。それでも、桶狭間(今の愛知県)で今川義元を破りました。

これで、信長の名前は一気に広まりました。信長はそのあと、美濃(今の岐阜県の南部)をとり、本拠地を岐阜に移します。そして、さらに京都へと進んでいきました。
1560年の桶狭間の戦いで今川義元を破り、信長の名前が広まりました。
天下布武の印と、室町幕府のおわり
「天下布武」の印
このころから信長は、「」という文字の入った印を使うようになりました。
「天下を武力で取る」という意味だとよくいわれます。ただし、意味については、いろいろな考え方があります。

室町幕府がほろびる
京都では、の将軍、足利義昭が、信長と対立するようになりました。
信長は義昭を京都から追い出しました。1573年、室町幕府はほろびたとされます。
信長は、将軍の足利義昭を京都から追い出しました。1573年、室町幕府はほろびました。
長篠の戦い(1575年)―鉄砲をたくさん使う
1575年、信長は徳川家康と力を合わせ、甲斐(今の山梨県)の大名・武田勝頼の軍と戦いました。場所は長篠(今の愛知県新城市)です。これをといいます。

この戦いで、織田・徳川の軍はをたくさん使い、武田の軍を破りました。

1575年の長篠の戦いで、織田・徳川の軍は鉄砲をたくさん使い、武田の軍を破りました。
力をもった寺との戦い、そしてキリスト教
寺と戦う
信長は、大きな力をもっていた寺とも戦いました。1571年には、を焼き打ちしました。
また、一向宗のとは、1570年から1580年まで、10年あまりにわたって戦いました。
キリスト教を保護する
いっぽうで信長は、のを保護しました。安土には、宣教師の学校もつくられました。

信長は、力をもった寺と戦ういっぽう、キリスト教の宣教師は保護しました。
安土城と楽市楽座
高い天主のある安土城
1576年、信長は、琵琶湖の近くの安土(今の滋賀県近江八幡市)に、を築き始めました。
安土城には、高くそびえるがありました。城のまわりには、城下町がつくられました。

だれでも商売ができる楽市楽座
城下町では、市場の税や、という商人の仲間の特権をなくしました。だれでも自由に商売ができるようにしたのです。これをといいます。
また、通行料を取るをなくして、人や物が行き来しやすくしました。
- 市場の税や、座の特権をなくす
- だれでも自由に商売ができる。関所もなくして、人や物が行き来しやすくなる
- 商工業がさかんになり、国が豊かになる
座は、商売をほかの人にさせない特権をもっていました。それをなくせば、だれでも商売に加われます。人や物が集まれば、城下町がにぎわい、商工業がさかんになります。
信長は安土城を築き、楽市楽座で、だれでも自由に商売ができるようにしました。関所もなくしました。
本能寺の変(1582年)―天下統一まであと一歩
1582年、京都の本能寺に泊まっていた信長は、家来の明智光秀におそわれ、自害しました。これをといいます。

信長は、天下統一まであと一歩のところで、たおれました。そのあとを引きついだのが、豊臣秀吉です。秀吉については、次のページで学びましょう。
1582年、信長は本能寺の変でたおれ、天下統一は豊臣秀吉に引きつがれました。
この時代の人物





重要なところ
「1560年・桶狭間・今川義元」を組で覚えましょう。
「三段撃ち」の話は見直されていますが、テストでは学校の教科書の書き方で答えましょう。
関所をなくして、人や物が行き来しやすくしたこともいっしょに覚えましょう。
そのあとを引きついだのが豊臣秀吉です。
教科書では、この単元名です
- 東京書籍:「戦国の世から天下統一へ」の授業「天下統一をめざした織田信長」
- 教育出版:「全国統一への動き」の授業「全国統一を目ざした織田信長」
- 日本文教出版:「戦国の世の統一」の授業「長篠の戦いを調べる」「新しい時代を切りひらいた織田信長」
学習指導要領(平成29年告示)では
第6学年の内容(2)ア(カ):キリスト教の伝来、織田・豊臣の天下統一から、戦国の世が統一されたことを理解する。(学習指導要領コード 0263216000000)
たしかめ問題
1560年の桶狭間の戦いで、信長が破った大名はだれですか。
今川義元1575年の長篠の戦いで、信長がたくさん使った武器は何ですか。
鉄砲信長が、市場の税や座の特権をなくして、だれでも商売できるようにした政策は何ですか。
楽市楽座信長が琵琶湖の近くに築き始めた城は何ですか。
安土城1582年、本能寺で信長をおそった家来はだれですか。
明智光秀1573年に信長が京都から追い出した、室町幕府の将軍はだれですか。
足利義昭信長は、桶狭間の戦いで今川義元を破って名前を広め、京都をおさえて室町幕府をほろぼしました。長篠の戦いでは、鉄砲をたくさん使って強い武田氏を破りました。さらに安土城を築き、楽市楽座で商売をさかんにして、国を豊かにしました。しかし、天下統一まであと一歩のところで、1582年の本能寺の変でたおれました。そのあとを引きついだのが、豊臣秀吉です。
出典
画像
- 織田信長像(模本) 明治時代・19世紀。原本は安土桃山時代・1588年(ColBase(東京国立博物館))
- 年英「今川義元桶狭間大合戦之図」 1892年(想像してえがいた絵)(東京都立中央図書館)
- 織田信長朱印 安土桃山時代・1574年(ColBase(東京国立博物館))
- 長篠合戦図屏風(模本) 明治〜大正時代・19〜20世紀(ColBase(東京国立博物館))
- 稲富流鉄砲秘伝書 江戸時代・1613年(ColBase(九州国立博物館))
- 南蛮屏風 江戸時代・17世紀(ColBase(東京国立博物館))
- シャルルヴォア『日本の歴史』(フランス、1736年)の安土の図(ColBase(九州国立博物館))
- 「本能寺焼討之図」 歌川延一 明治時代(想像してえがいた絵)(東京都立中央図書館)
- 落合芳幾「太平記英勇伝 三 今川治部大輔義元」 1867年(江戸時代の終わりに想像してえがいた絵)(東京都立中央図書館)
- 徳川家康像(模本) 大正〜昭和時代・20世紀。原本は江戸時代・17世紀、狩野探幽筆(ColBase(東京国立博物館))
- 落合芳幾「太平記英勇伝 二十七 明智日向守光秀」 1867年(江戸時代の終わりに想像してえがいた絵)(東京都立中央図書館)
- 豊臣秀吉像 16世紀(慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション))