教科書補助小6 社会 / 江戸幕府と政治の安定 / 5本中の3本目

参勤交代(さんきんこうたい)とは? 大名(だいみょう)が江戸(えど)と領地(りょうち)を行(い)き来(き)したしくみと、そのえいきょうをわかりやすく

教科書では:東京書籍「江戸幕府と政治の安定」の「大名の取りしまりと参勤交代」/教育出版「幕府の政治と人々の暮らし」の「江戸幕府と大名」/日本文教出版「武士による政治の安定」の「江戸幕府による大名の支配」

▶ このページの内容を動画で見る(YouTube)

更新(こうしん)

文字
ふりがな
行の間
3行(ぎょう)でわかる
  1. は、大名(だいみょう)が1年(ねん)ごとに江戸(えど)と領地(りょうち)を行(い)き来(き)する決(き)まりです。
  2. 1635年(ねん)、3代将軍(だいしょうぐん)徳川家光(とくがわいえみつ)が、武家諸法度(ぶけしょはっと)で定(さだ)めました。
  3. 大名(だいみょう)には大(おお)きな負担(ふたん)になりましたが、街道(かいどう)や宿場(しゅくば)が整(ととの)い、文化(ぶんか)が全国(ぜんこく)に広(ひろ)がりました。
今日(きょう)の問(と)い

幕府(ばくふ)は、なぜ大名(だいみょう)に、江戸(えど)と領地(りょうち)を行(い)き来(き)させたのだろう。

読(よ)み終(お)えたら、下(した)の「問(と)いへの答(こた)え」を見(み)る前(まえ)に、自分(じぶん)の言葉(ことば)で答(こた)えてみましょう。

武家諸法度(ぶけしょはっと) ― 大名(だいみょう)が守(まも)る決(き)まり

江戸時代(えどじだい)、全国(ぜんこく)にはおよそ260の大名(だいみょう)がいて、それぞれの領地(りょうち)(藩(はん))を治(おさ)めていました。大名(だいみょう)は、領地(りょうち)の城下町(じょうかまち)に城(しろ)を構(かま)えて住(す)んでいました。

幕府(ばくふ)は、大名(だいみょう)が守(まも)らなければならない決(き)まりを定(さだ)めました。これをといいます。1615年(ねん)に、2代将軍秀忠(だいしょうぐんひでただ)の名(な)で出(だ)されました。

  • 新(あたら)しく城(しろ)をきずいてはいけない
  • 城(しろ)を直(なお)すときは、幕府(ばくふ)にとどけ出(で)る
  • 幕府(ばくふ)の許(ゆる)しなく、大名(だいみょう)どうしで結婚(けっこん)してはいけない

決(き)まりを破(やぶ)った大名(だいみょう)は、領地(りょうち)を取(と)り上(あ)げられたり、減(へ)らされたり、ほかの土地(とち)へ移(うつ)されたりしました。武家諸法度(ぶけしょはっと)は、将軍(しょうぐん)がかわるたびに出(だ)され、少(すこ)しずつ内容(ないよう)が改(あらた)められていきました。

武家諸法度(ぶけしょはっと)は、大名(だいみょう)が守(まも)らなければならない決(き)まりです。破(やぶ)った大名(だいみょう)は、領地(りょうち)を取(と)り上(あ)げられることもありました。

参勤交代(さんきんこうたい)のしくみ

1年(ねん)ごとに江戸(えど)と領地(りょうち)を行(い)き来(き)する

1635年(ねん)、3代将軍(だいしょうぐん)の徳川家光(とくがわいえみつ)は、武家諸法度(ぶけしょはっと)を改(あらた)めました。そして、大名(だいみょう)が江戸(えど)と領地(りょうち)を行(い)き来(き)する決(き)まりを定(さだ)めました。これを参勤交代(さんきんこうたい)といいます。

大名(だいみょう)は原則(げんそく)として、1年間(ねんかん)は江戸(えど)に住(す)んで将軍(しょうぐん)に仕(つか)えました(参勤(さんきん))。次(つぎ)の1年(ねん)は、領地(りょうち)に帰(かえ)って住(す)みました(交代(こうたい))。

金色の雲のもようのふすまの部屋で、奥に黒い着物の将軍が座り、両わきに大名たちがならんで座っている浮世絵
奥(おく)に座(ざ)るのが徳川家光(とくがわいえみつ)です。家光(いえみつ)が大名(だいみょう)たちに刀(かたな)をあたえる場面(ばめん)を、明治時代(めいじじだい)に想像(そうぞう)でえがいた絵(え)です。「徳川十五代記略 家光公諸藩主江佩刀を給ふ図」月岡芳年 1875年出典:東京都立中央図書館(部分)

はじめは外様(とざま)の大名(だいみょう)だけが対象(たいしょう)でしたが、1642年(ねん)には譜代(ふだい)の大名(だいみょう)にも広(ひろ)げられました。

妻(つま)や子(こ)は江戸(えど)に住(す)む

江戸(えど)には、それぞれの大名(だいみょう)の屋敷(やしき)(大名(だいみょう)屋敷(やしき))がありました。大名(だいみょう)の妻(つま)や子(こ)は、人質(ひとじち)の意味(いみ)をこめて、この江戸(えど)の屋敷(やしき)でくらすことになっていました。

参勤(さんきん)(1年目(ねんめ))
大名(だいみょう)は江戸(えど)の屋敷(やしき)に住(す)み、将軍(しょうぐん)に仕(つか)える。
交代(こうたい)(2年目(ねんめ))
大名(だいみょう)は領地(りょうち)に帰(かえ)り、城(しろ)に住(す)んで領地(りょうち)を治(おさ)める。妻(つま)や子(こ)は江戸(えど)に残(のこ)る。
なぜ? 大名(だいみょう)の妻(つま)や子(こ)は、江戸(えど)に住(す)んだの?
妻(つま)や子(こ)が江戸(えど)にいることは、家族(かぞく)を将軍(しょうぐん)のもとにあずけているのと同(おな)じです。もし大名(だいみょう)が幕府(ばくふ)に逆(さか)らえば、江戸(えど)にいる家族(かぞく)があぶなくなります。そのため、大名(だいみょう)は幕府(ばくふ)に逆(さか)らいにくくなりました。

参勤交代(さんきんこうたい)は、大名(だいみょう)が1年(ねん)ごとに江戸(えど)と領地(りょうち)を行(い)き来(き)する決(き)まりです。1635年(ねん)、3代将軍(だいしょうぐん)の徳川家光(とくがわいえみつ)が定(さだ)めました。

大名行列(だいみょうぎょうれつ)

何千人(なんぜんにん)もの行列(ぎょうれつ)

大名(だいみょう)が江戸(えど)と領地(りょうち)を行(い)き来(き)するときは、たくさんの家来(けらい)を連(つ)れて、行列(ぎょうれつ)をつくって進(すす)みました。これをといいます。

大きな屋根がつらなる屋敷の門から、やりや荷物を持った大勢の人の行列が出ていく様子を、上から見下ろしてえがいた浮世絵
大名(だいみょう)屋敷(やしき)の門(もん)から出(で)ていく大名行列(だいみょうぎょうれつ)。江戸時代(えどじだい)の中(なか)ごろに、遠近法(えんきんほう)を使(つか)ってえがかれた絵(え)です。浮絵 御大名行列之図 歌川豊春 江戸時代出典:国立国会図書館デジタルコレクション(部分)

行列(ぎょうれつ)の大(おお)きさは、大名(だいみょう)によってちがいました。いちばん大(おお)きな大名(だいみょう)の1つ、加賀藩(かがはん)(今(いま)の石川県(いしかわけん))の行列(ぎょうれつ)は、ふつう2000〜3000人(にん)にもなりました。

金沢(かなざわ)から江戸(えど)まで、おおむね12泊(はく)13日(じゅうさんにち)かけて進(すす)みました。

参勤交代(さんきんこうたい)に関係(かんけい)する場所(ばしょ)

地図(ちず)を読(よ)みこんでいます…

地図(ちず)は、指(ゆび)やマウスで動(うご)かしたり、+・−で拡大(かくだい)・縮小(しゅくしょう)したりできます。印(しるし)か、下(した)の場所(ばしょ)の名前(なまえ)をタップすると、説明(せつめい)が出(で)ます。

  • 石川県(いしかわけん)。大(おお)きな大名(だいみょう)だった加賀藩(かがはん)の城下町(じょうかまち)。行列(ぎょうれつ)は2000〜3000人(にん)にもなり、江戸(えど)までおおむね12泊(はく)13日(じゅうさんにち)かかった。
  • 三重県(みえけん)。東海道(とうかいどう)の宿場(しゅくば)の1つ。今(いま)の三重県亀山市(みえけんかめやまし)。古(ふる)い町(まち)なみが残(のこ)っている。
  • 神奈川県(かながわけん)。東海道(とうかいどう)の芦(あし)ノ湖(こ)のほとりに置(お)かれた関所(せきしょ)。江戸(えど)から出(で)ていく女(おんな)の人(ひと)を特(とく)にきびしく調(しら)べた。
  • 東京都(とうきょうと)。江戸(えど)の日本(にほん)橋(はし)。五街道(ごかいどう)の出発点(しゅっぱつてん)だった。

●緑は都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)

大名(だいみょう)には大(おお)きな負担(ふたん)

行列(ぎょうれつ)の食事(しょくじ)や宿代(やどだい)、荷物(にもつ)を運(はこ)ぶ人(ひと)や馬(うま)のお金(かね)は、すべて大名(だいみょう)が出(だ)しました。そのうえ、江戸(えど)の屋敷(やしき)と領地(りょうち)の城(しろ)の、2か所(しょ)でくらすお金(かね)もかかります。

参勤交代(さんきんこうたい)は、大名(だいみょう)にとってとても大(おお)きな負担(ふたん)でした。だんだんと、藩(はん)のお金(かね)のやりくりを苦(くる)しめるようになりました。

朝やけの空の下、大きな木の橋をわたってくる行列と、手前で荷物をかつぐ人たちをえがいた浮世絵
東海道(とうかいどう)の出発点(しゅっぱつてん)、江戸(えど)の日本(にほん)橋(はし)をわたる大名行列(だいみょうぎょうれつ)。手前(てまえ)には、魚(さかな)などを売(う)りに来(き)た人(ひと)たちがえがかれています。東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景 歌川広重 江戸時代・19世紀出典:ColBase(東京国立博物館)(部分)

大名行列(だいみょうぎょうれつ)には大勢(おおぜい)の家来(けらい)が加(くわ)わり、そのお金(かね)はすべて大名(だいみょう)が出(だ)しました。参勤交代(さんきんこうたい)は、大名(だいみょう)にとって大(おお)きな負担(ふたん)でした。

街道(かいどう)と宿場(しゅくば)が整(ととの)う

江戸(えど)の日本(にほん)橋(はし)から五街道(ごかいどう)

多(おお)くの大名行列(だいみょうぎょうれつ)が行(い)き来(き)するようになると、道(みち)や、とまる場所(ばしょ)が整(ととの)えられていきました。

幕府(ばくふ)は、江戸(えど)の日本(にほん)橋(はし)を出発点(しゅっぱつてん)に、全国(ぜんこく)へのびる5つの大(おお)きな道(みち)を整(ととの)えました。これをといいます。東海道(とうかいどう)・中山道(なかせんどう)・甲州街道(こうしゅうかいどう)・日光街道(にっこうかいどう)・奥州街道(おうしゅうかいどう)です。

中(なか)でも東海道(とうかいどう)は、東海(とうかい)・近畿(きんき)・西(にし)日本(にほん)の大名(だいみょう)が通(とお)り、大名行列(だいみょうぎょうれつ)がいちばん多(おお)く通(とお)った道(みち)でした。

宿場(しゅくば)と本陣(ほんじん)、関所(せきしょ)

街道(かいどう)には、が一定(いってい)の間(かん)かくでつくられました。旅人(たびびと)がとまったり、荷物(にもつ)を運(はこ)ぶ人(ひと)や馬(うま)を取(と)りかえたりする場所(ばしょ)です。

宿場(しゅくば)には、大名(だいみょう)などがとまるという、特別(とくべつ)な宿(やど)がありました。本陣(ほんじん)は土地(とち)の古(ふる)くからの家(いえ)がつとめ、門(もん)や玄関(げんかん)、床(とこ)の間(ま)のある部屋(へや)などをそなえた、大(おお)きな建物(たてもの)でした。

大きな紋のついた幕がはられた宿の前で、ちょうちんを持った人たちが出発のしたくをしている浮世絵
東海道(とうかいどう)の関宿(せきじゅく)(今(いま)の三重県亀山市(みえけんかめやまし))の本陣(ほんじん)を、大名(だいみょう)の一行(いっこう)が夜明(よあ)け前(まえ)に出発(しゅっぱつ)するところ。宿(やど)の前(まえ)には、大名(だいみょう)の紋(もん)のついた幕(まく)がはられています。東海道五拾三次 関・本陣早立 歌川広重 江戸時代・19世紀出典:国立国会図書館デジタルコレクション(部分)

また、街道(かいどう)の大事(だいじ)な場所(ばしょ)にはが置(お)かれ、通(とお)る人(ひと)や荷物(にもつ)が調(しら)べられました。

  1. 大名(だいみょう)が、行列(ぎょうれつ)をつくって江戸(えど)と領地(りょうち)を行(い)き来(き)する
  2. 街道(かいどう)が整(ととの)えられ、宿場(しゅくば)や本陣(ほんじん)が増(ふ)える
  3. 宿場(しゅくば)町(まち)が栄(さか)え、人(ひと)や物(もの)の行(い)き来(き)がさかんになる
  4. 江戸(えど)の文化(ぶんか)や、各地(かくち)の産物(さんぶつ)・情報(じょうほう)が、全国(ぜんこく)に広(ひろ)がる

江戸(えど)の日本(にほん)橋(はし)から五街道(ごかいどう)が整(ととの)えられ、宿場(しゅくば)や本陣(ほんじん)、関所(せきしょ)が置(お)かれました。

参勤交代(さんきんこうたい)が広(ひろ)げたもの

参勤交代(さんきんこうたい)によって、毎年(まいとし)たくさんの武士(ぶし)が、全国(ぜんこく)と江戸(えど)の間(あいだ)を行(い)き来(き)しました。

大名(だいみょう)や家来(けらい)は、江戸(えど)で見聞(みき)きしたことや、江戸(えど)ではやっている物(もの)を、領地(りょうち)へ持(も)ち帰(かえ)りました。反対(はんたい)に、各地(かくち)の産物(さんぶつ)も江戸(えど)へ運(はこ)ばれました。

こうして、街道(かいどう)や宿場(しゅくば)町(まち)がにぎわい、江戸(えど)の文化(ぶんか)や情報(じょうほう)が全国(ぜんこく)に行(い)きわたりました。参勤交代(さんきんこうたい)は、日本(にほん)の各地(かくち)を結(むす)びつける役(やく)わりもはたしたのです。

だれにとって参勤交代(さんきんこうたい)でおきたこと
幕府(ばくふ)大名(だいみょう)を江戸(えど)に来(き)させて将軍(しょうぐん)に仕(つか)えさせ、全国(ぜんこく)の大名(だいみょう)をおさえることができた
大名(だいみょう)行列(ぎょうれつ)や江戸(えど)のくらしにお金(かね)がかかり、藩(はん)のお金(かね)のやりくりが苦(くる)しくなった
街道(かいどう)や宿場(しゅくば)の人々(ひとびと)街道(かいどう)や宿場(しゅくば)が整(ととの)い、宿場(しゅくば)町(まち)がにぎわった
全国(ぜんこく)人(ひと)や物(もの)、文化(ぶんか)や情報(じょうほう)の行(い)き来(き)がさかんになった

参勤交代(さんきんこうたい)は、幕末(ばくまつ)に制度(せいど)がゆるめられ、そのあと終(お)わりました。

参勤交代(さんきんこうたい)は大名(だいみょう)には大(おお)きな負担(ふたん)でしたが、人(ひと)や物(もの)、文化(ぶんか)や情報(じょうほう)の行(い)き来(き)をさかんにし、各地(かくち)を結(むす)びつけました。

この時代(じだい)の人物(じんぶつ)

黒い着物で冠をかぶって座る将軍の浮世絵
徳川家光(とくがわいえみつ)
江戸幕府(えどばくふ)の3代将軍(だいしょうぐん)。1635年(ねん)に武家諸法度(ぶけしょはっと)を改(あらた)めて、参勤交代(さんきんこうたい)の決(き)まりを定(さだ)めた。
「徳川十五代記略 家光公諸藩主江佩刀を給ふ図」月岡芳年 1875年(明治時代に想像でえがいた絵)。出典:東京都立中央図書館(部分)

重要(じゅうよう)なところ

参勤交代(さんきんこうたい)を武家諸法度(ぶけしょはっと)で定(さだ)めたのは、3代将軍(だいしょうぐん)の徳川家光(とくがわいえみつ)です。1635年(ねん)のことです。
武家諸法度(ぶけしょはっと)を初(はじ)めて出(だ)したのは2代将軍秀忠(だいしょうぐんひでただ)(1615年(ねん))、参勤交代(さんきんこうたい)を加(くわ)えたのは家光(いえみつ)(1635年(ねん))、と分(わ)けて覚(おぼ)えましょう。
参勤交代(さんきんこうたい)では、大名(だいみょう)は原則(げんそく)として1年(ねん)ごとに、江戸(えど)と領地(りょうち)を行(い)き来(き)しました。大名(だいみょう)の妻(つま)や子(こ)は、江戸(えど)に住(す)みました。
「大名(だいみょう)は行(い)き来(き)する」「妻(つま)と子(こ)は江戸(えど)に住(す)む」を、組(くみ)で覚(おぼ)えましょう。
参勤交代(さんきんこうたい)は大名(だいみょう)にとって大(おお)きな負担(ふたん)でしたが、街道(かいどう)や宿場(しゅくば)が整(ととの)い、文化(ぶんか)が全国(ぜんこく)に広(ひろ)がるきっかけにもなりました。
よいえいきょうと、大名(だいみょう)の負担(ふたん)の両方(りょうほう)を説明(せつめい)できるようにしましょう。

教科書(きょうかしょ)では、この単元名(たんげんめい)です

  • 東京書籍:「江戸幕府と政治の安定」の授業「大名の取りしまりと参勤交代」
  • 教育出版:「幕府の政治と人々の暮らし」の授業「江戸幕府と大名」
  • 日本文教出版:「武士による政治の安定」の授業「江戸幕府による大名の支配」

学習指導要領(がくしゅうしどうようりょう)(平成(へいせい)29年告示(ねんこくじ))では

第(だい)6学年(がくねん)の内容(ないよう)(2)ア(キ):江戸幕府(えどばくふ)の始(はじ)まり、参勤交代(さんきんこうたい)や鎖国(さこく)、身分(みぶん)のしくみから、武士(ぶし)による政治(せいじ)が安定(あんてい)したことを理解(りかい)する。(学習指導要領コード 0263217000000)

「江戸幕府(えどばくふ)と政治(せいじ)の安定(あんてい)」の授業(じゅぎょう)の順(じゅん)と、ほかの時間(じかん)の解説(かいせつ)へ

たしかめ問題(もんだい)

大名(だいみょう)が、1年(ねん)ごとに江戸(えど)と領地(りょうち)を行(い)き来(き)した決(き)まりを何(なん)といいますか。参勤交代(さんきんこうたい)
参勤交代(さんきんこうたい)を武家諸法度(ぶけしょはっと)で定(さだ)めた、江戸幕府(えどばくふ)の3代将軍(だいしょうぐん)はだれですか。徳川家光(とくがわいえみつ)
参勤交代(さんきんこうたい)のとき、大名(だいみょう)の妻(つま)や子(こ)はどこに住(す)みましたか。江戸(えど)(江戸(えど)の大名(だいみょう)屋敷(やしき))
江戸(えど)の日本(にほん)橋(はし)を出発点(しゅっぱつてん)とする、5つの大(おお)きな道(みち)をまとめて何(なん)といいますか。五街道(ごかいどう)
宿場(しゅくば)にあった、大名(だいみょう)などがとまる特別(とくべつ)な宿(やど)を何(なん)といいますか。本陣(ほんじん)
問(と)いへの答(こた)え

参勤交代(さんきんこうたい)は、大名(だいみょう)が江戸(えど)に来(き)て将軍(しょうぐん)に仕(つか)えることで、将軍(しょうぐん)と大名(だいみょう)の主従(しゅうじゅう)の関係(かんけい)をはっきりさせるしくみでした。大名(だいみょう)の妻(つま)や子(こ)は江戸(えど)に住(す)むことになっていたので、大名(だいみょう)は幕府(ばくふ)に逆(さか)らいにくくなりました。また、大勢(おおぜい)の家来(けらい)を連(つ)れた行列(ぎょうれつ)や、江戸(えど)と領地(りょうち)の二重(にじゅう)のくらしには、たくさんのお金(かね)がかかりました。こうして、幕府(ばくふ)は全国(ぜんこく)の大名(だいみょう)をしっかりおさえることができました。

この単元(たんげん)のプリントで確(たし)かめる(25枚(まい)・答(こた)えつき)
←前(まえ)関ケ原の戦い(せきがはらのたたかい)と江戸幕府(えどばくふ)次(つぎ)(準備中(じゅんびちゅう))→徳川家光(とくがわいえみつ)と日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)

出典

画像

教科書補助のトップへ