小6天皇中心の国づくり(小6社会)のプリント
小6 社会(小学6年生) / 7月ごろに習います
聖徳太子の冠位十二階・十七条の憲法・遣隋使から、大化の改新、平城京、聖武天皇と大仏、遣唐使と鑑真、万葉集までを学びます。冠位十二階のねらいを書いたり、できごとを古い順にならべたりするむずかしい4枚と、単元テストつき。
教科書では東京書籍「天皇中心の国づくり」日本文教出版「天皇を中心とした政治」教育出版「大陸に学んだ国づくり」
天皇中心の国づくりのまとめ
- 聖徳太子は、推古天皇を助けて、冠位十二階や十七条の憲法を定め、遣隋使を送って、天皇中心の国づくりを進めました。
- 645年、中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我氏をたおして大化の改新を始め、土地と人々を国のものとして、税を集めるしくみを整えていきました。
- 710年に平城京へ都が移された奈良時代には、聖武天皇が仏教の力で国を守ろうと、国分寺や東大寺の大仏をつくらせ、遣唐使や鑑真を通して大陸の文化が伝わりました。
例1
聖徳太子が冠位十二階を定めたのは、なぜですか。
- それまで、役人の地位は豪族の家がらで決まっていました。
- 家がらにとらわれず、能力のある人を取り立てて、天皇中心の政治を進めようとしました。
答え 家がらに関係なく、能力のある人を役人に取り立てるため。
例2
大化の改新で、豪族が治めていた土地と人々を国のものにしたのは、なぜですか。
- それまでは、豪族がそれぞれ土地と人々を治めていました。
- 天皇を中心に国全体をまとめて治め、税を集められるようにしようとしました。
答え 天皇を中心に国全体を治め、税を集められるようにするため。
例3
聖武天皇が国分寺を建て、東大寺に大仏をつくらせたのは、なぜですか。
- そのころは、病気の流行や反乱が続いていました。
- 仏教の力で国を守り、人々の不安をしずめようとしました。
答え 仏教の力で、社会の不安をしずめ、国を守ろうとしたから。
先生へのメモ
「聖徳太子→大化の改新→奈良の都」の順を年表で確かめ、人物ごとに「何をしたか」を言えるようにさせましょう。
天皇中心の国づくりのプリント(25枚)
はじめて使うなら 天皇中心の国づくり きほん その1 から。見本を押すと、その場で大きな見本と印刷ボタンが開きます。
「れい」で考え方を確かめてから、1問ずつ取り組みます。(答えつき)
助けなしで、くり返し練習するためのプリントです。(答えつき)
単元のまとめとして、時間を決めて取り組みます。(答えつき)
地図や図表を読む、えらぶ、言葉を書き入れる、理由を書く、をまぜたプリントです。「ふつう」で言葉を覚えたあとに取り組みます。(答えつき)
むずかしい
むずかしい テスト
文字と枠を大きくして、問題数を減らしたプリントです。(答えつき)
単元の学習の最後に解く、最終テストです(100点・2枚組・めやす30分)。「きほん」「ふつう」「むずかしい」で学んだあとに、教科書やノートを見ないで、時間をはかって解きます。終わったら答えの版で丸つけをして、まちがえた所を見直しましょう。(答えつき)
見つかりませんでした。
この単元について(ねらい・つまずき・教え方・運営者の見方)
この単元のねらい
聖徳太子の国づくり、大化の改新、奈良の都と大仏づくり、大陸の文化の受け入れを通して、天皇を中心とする国のしくみが整っていく流れをつかみます。
学ぶ内容
最初の小単元『聖徳太子の国づくり』では、推古天皇を助けて政治を行った聖徳太子が、天皇中心の政治を目ざして改革を進めたことを学びます。603年に、家がらによらず能力のある人を役人に取り立てる冠位十二階を定め、604年には役人の心がまえを示す十七条の憲法を定めました。小野妹子らを遣隋使として中国に送り、政治や文化を学ぼうとしました。6世紀ごろ、百済から日本に伝わった仏教を大切にし、法隆寺を建てたとされます。 『大化の改新と天皇の力の広がり』では、聖徳太子の死後、天皇をしのぐほどの力をもった蘇我氏を、645年に中大兄皇子と中臣鎌足がたおして、大化の改新と呼ばれる政治の改革を始めたことを見ます。土地と人々を国のものとして、税を集めるしくみを整えていきました。 『仏教の力で国を治める』では、710年に奈良に平城京がつくられ、794年までを奈良時代ということを学びます。平城京は、中国の唐の都の長安を手本にしました。聖武天皇は、仏教の力で国を守ろうと、全国の国ごとに国分寺を建てさせました。人々は、いねの取れ高の一部を納める租、地方の特産物を納める調、都で働くかわりに布を納める庸を、国に納めました。 『大仏をつくる』では、聖武天皇が奈良の東大寺に大仏をつくらせ、752年に完成したこと、僧の行基が協力して深く尊敬されたことを学びます。『大陸の文化を学ぶ』では、唐へ送られた遣唐使、唐から来て唐招提寺を開いた鑑真、東大寺の正倉院に納められた宝物(シルクロードを通って伝わったものもあります)、最古の歌集の万葉集、歴史書の古事記と日本書紀が取り上げられます。教科書によっては『天皇を中心とした政治』『大陸に学んだ国づくり』という単元名です。
| 取り組み | どんなことか |
|---|---|
| 冠位十二階 | 家の身分によらず、能力のある人を役人に取り立てる |
| 十七条の憲法(604年) | 役人の心がまえを示す |
| 遣隋使(小野妹子ら) | 中国に使いを送り、政治や文化を学ぶ |
つまずきやすいところ
- 遣隋使と遣唐使の「隋」と「唐」を取りちがえることがあります。聖徳太子のころは隋、奈良時代は唐で、隋のあとに唐が続きます。
- 聖徳太子の改革(冠位十二階・十七条の憲法)と、大化の改新を取りちがえることがあります。聖徳太子は役人の心がまえや人の取り立て方、大化の改新は土地と人々を国のものにして税を集めるしくみです。
- 租・調・庸の区別があいまいになります。納めるものが、いねの取れ高の一部、特産物、布(都で働くかわり)と、それぞれ違います。
- 古事記と日本書紀は、どちらも奈良時代にまとめられた歴史書です。「最も古い歴史書」と言われるのは古事記なので、そこを軸に覚えます。
- 大仏づくりの目的は、病気の流行や反乱が続く中で、仏教の力で国を守ろうとしたことです。そのころの社会のようすと結びつけて覚えます。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 737ごろ | 都で病気が流行し、多くの人がなくなる |
| 740 | 九州で貴族の反乱が起こる |
| 743 | 大仏を作る命令を出す |
| 752 | 東大寺の大仏が完成する |
教え方・声かけのコツ
- 「聖徳太子の時代(遣隋使)→645年(大化の改新)→710年(平城京)→752年(大仏完成)」の流れを、年表で見せてから、問題に入ってください。
- 租・調・庸は、納めるものを絵やことばでノートに書かせ、「いね」「特産物」「布」と声に出して結びつけると、混ざりにくくなります。
- 地図帳で、奈良の位置と、中国(隋・唐)の位置を探させると、大陸とのつながりを実感できます。
- 「なぜ、聖武天皇は大仏をつくったのか」を、病気の流行や反乱があった時期と結びつけて聞いてみてください。むずかしいテストと単元テストにも、同じことを書く問いがあります。
運営者の見方
この単元は、人物の名前と、冠位十二階や租・調・庸のようなしくみの名前が、一度にたくさん出てくるところです。一問一答は、教科書の小単元の順に、聖徳太子、大化の改新、奈良の都と税、大仏、大陸の文化の順に31問を並べました。 プリントは、きほん・ふつう・小テストが各5枚、むずかしいが2枚、むずかしいテストが2枚、個別配慮が5枚、単元テストが1回分(2枚組)です。むずかしいは、聖徳太子の取り組みとねらいを結ぶ問題、大化の改新の流れを図で確かめる問題、聖武天皇の年表を読む問題など、図や資料を読む練習を多めにしました。平城京の木簡の表を読む問題は、むずかしいテストと単元テストに入れています。 人物と出来事は、「だれが・何をしたか」を一文で言えるところを目標にしてください。
よくある質問
Q. 遣隋使と遣唐使は、どうやって区別すればよいですか。
A. 遣隋使は聖徳太子のころに隋へ、遣唐使は奈良時代に唐へ送られた使いです。隋から唐へと国が変わった順に覚えると、取りちがえにくくなります。
Q. 租・調・庸の漢字は書けるようにするべきですか。
A. 読めて、納めるものを言えることを優先してください。書く練習は、余力があるときで構いません。
Q. 大化の改新で何が変わったのですか。
A. 豪族がそれぞれ治めていた土地と人々を国のものとし、税を集めるしくみを整えていきました。天皇を中心とする国づくりが進んだ、という点が大切です。
教科書の単元名との対応
この単元のプリントは、次の教科書の単元で使えます(3社・3単元)。区切りは目安です。
型や条件を選んで、その場で新しい問題を作ることもできます(答えつき)。
その場で作るコースで使う(復習の日程を自動で作る)
① どちらのコースにしますか?
② コースの長さは?
③ 先生が使いますか? おうちで使いますか?
④ この順番で、1回に1枚ずつ使ってください
























