空襲と沖縄戦とは? 東京大空襲・焼夷弾・沖縄戦・慰霊の日をわかりやすく
教科書では:東京書籍「長く続いた戦争と人々のくらし」の「空襲で日本の都市が焼かれる」/教育出版「戦争と人々の暮らし」の「おそいかかる空襲」/日本文教出版「アジア・太平洋に広がる戦争」の「空襲で焼きつくされる国土」「戦場となった沖縄」
- 1944年の終わりから、アメリカ軍のが本格的になりました。で、木造の家が多い日本の町が焼かれました。
- 1945年3月10日のでは、およそ10万人がなくなりました。その後、空襲は全国の都市に広がりました。
- 1945年3月末から、住民をまきこんだが行われ、20万人をこえる人がなくなりました。6月23日は沖縄県のです。
日本の都市や沖縄は、戦争の終わりごろ、どのような被害を受けたのだろう。
読み終えたら、下の「問いへの答え」を見る前に、自分の言葉で答えてみましょう。日本の都市への空襲が始まる
B-29がとんでくる
戦争が長引くと、アメリカ軍は太平洋の島々を次々に占領しました。1944年の夏には、サイパン島も占領されました。
サイパン島などからは、大型の爆撃機が、日本本土までとんでこられるようになりました。1944年11月からは、東京への本格的な空襲が始まりました。
はじめのころは、飛行機をつくる工場などが、おもにねらわれました。

焼夷弾で町を焼く
やがてアメリカ軍は、焼夷弾で町全体を焼く空襲を、夜に行うようになりました。焼夷弾は、落ちたところで火をふき出し、火事を起こす爆弾です。
そのころの日本の町には、木でできた家がぎっしりとならんでいました。そのため、火はまたたくまに燃え広がりました。
人々は防空壕をつくり、空襲警報が鳴るとそこへひなんしました。町内では、焼夷弾の火を消す訓練がくり返し行われました。
1944年の終わりから、B-29による空襲が本格的になりました。焼夷弾で、木造の家が多い町が焼かれました。
東京大空襲
1945年3月10日の夜明け前
1945年3月10日の夜明け前、B-29の大部隊が、東京の下町をおそいました。今の台東区・墨田区・江東区のあたりです。これを東京大空襲といいます。
家がたくさん集まったところをねらって、約1,700トンもの焼夷弾が落とされました。その夜は強い風がふいていて、町は火の海になりました。
この空襲で、およそ10万人がなくなったといわれています。家を焼かれるなどの被害を受けた人は、約100万人にのぼりました。

3月10日は「東京都平和の日」
東京都は、1990年に条例をつくり、3月10日を「東京都平和の日」と決めました。戦争の悲しみを二度とくり返さないことを、ちかう日です。
毎年この日には、空襲などでなくなった人々を追悼し、平和を願う式典が開かれています。
1945年3月10日の東京大空襲で、下町は火の海になり、およそ10万人がなくなりました。
全国の都市が焼かれる
東京大空襲のあと、名古屋・大阪・神戸などの大都市も、次々に焼夷弾の空襲を受けました。空襲は、やがて全国の中小の都市にも広がりました。
北海道から沖縄まで、多くの町が焼け野原になりました。
ねらわれたのは、工場や軍の施設だけではありません。人々がくらす住宅地も焼かれ、たくさんの命や家がうばわれました。
空襲は全国の都市に広がりました。工場だけでなく住宅地も焼かれ、多くの命がうばわれました。
住民をまきこんだ沖縄戦
アメリカ軍が沖縄に上陸する
沖縄では、1944年10月10日に大きな空襲があり、那覇の町の約9割が焼けました。

1945年3月26日、アメリカ軍は慶良間諸島に上陸しました。4月1日には、沖縄本島の読谷から北谷にかけての海岸に上陸しました。

日本軍は、沖縄を、本土を守るための最後のとりでと考えていました。1944年3月には、沖縄を守る軍をつくり、アメリカ軍をむかえうつ用意をしていたのです。
「鉄の暴風」とよばれた地上戦
沖縄では、日本軍とアメリカ軍が、住民をまきこんで激しい地上戦を行いました。これを沖縄戦といい、国内で最大の地上戦でした。
砲弾や爆弾が、雨のように打ちこまれました。そのようすは「鉄の暴風」とよばれ、戦いはおよそ3か月続きました。


5月下旬、日本軍は首里から南部へしりぞきました。南部には住民も多くひなんしていて、住民と兵士が入りまじる戦場になりました。
戦場に動員された生徒たち
中学校や女学校などの生徒も、戦場に動員されました。男子生徒は、陣地づくりや物を運ぶ仕事、通信の仕事などにあたりました。
女子生徒は、陸軍病院などで、けがをした兵士の看護にあたりました。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒たちは、とよばれています。
動員された生徒は約2,000人で、そのうち約1,000人がなくなりました。
6月23日は「慰霊の日」
6月23日、日本軍の司令官がなくなり、日本軍の組織的な戦いは終わったとされています。ただし、その後も各地で戦いは続きました。
沖縄戦でなくなった人は、軍人と住民をあわせて20万人をこえます。そのうち約9万4千人は、一般の沖縄県民と推計されています。
合計200,656人。一般の沖縄県民は、1944年と1946年の人口をくらべて推計した数(約9万4千人)。 出典:総務省「沖縄県における戦災の状況」(もとの資料は沖縄県生活福祉部『沖縄の援護のあゆみ』1996年)
沖縄県は、6月23日を慰霊の日としています。毎年この日には、糸満市摩文仁の平和祈念公園で、沖縄全戦没者追悼式が開かれます。
公園には、1995年にがつくられました。国籍や、軍人か住民かを問わず、沖縄戦などでなくなったすべての人の名前が刻まれています。
刻まれた名前は、242,659人です(2026年6月23日現在)。日本とアメリカのほか、イギリス・台湾・大韓民国・北朝鮮の人々の名前もあります。

地図を読みこんでいます…
地図は、指やマウスで動かしたり、+・−で拡大・縮小したりできます。印か、下の場所の名前をタップすると、説明が出ます。
- 東京都。東京大空襲で焼かれた地域。今の台東区・墨田区・江東区のあたり。およそ10万人がなくなったといわれる。
- 愛知県。飛行機の工場が多く、くり返し空襲を受けた。東京大空襲のあと、焼夷弾による大きな空襲も受けた。
- 大阪府。1945年3月から、焼夷弾による大きな空襲を何度も受けた。
- 兵庫県。1945年3月17日の空襲で、市の西半分が焼かれた。6月5日にも大きな空襲を受けた。
- 沖縄県。1944年10月10日の空襲(10・10空襲)で、市内の約9割が焼けた。
- 沖縄県。1945年3月26日、アメリカ軍が最初に上陸した島々。沖縄戦はここから始まった。
- 沖縄県。1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸した海岸。その日のうちに、近くの飛行場が占領された。
- 沖縄県。日本軍の司令部があった場所。激しい戦いのあと、5月下旬に日本軍は南部へしりぞいた。
- 沖縄県。沖縄戦の最後の戦場となった沖縄本島南部にある公園。平和の礎があり、毎年6月23日に沖縄全戦没者追悼式が開かれる。
●赤は戦いの場所、●緑は空襲を受けた都市や慰霊の場所です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)
1945年3月から、沖縄では住民をまきこんだ地上戦が行われ、20万人をこえる人がなくなりました。6月23日は沖縄県の慰霊の日です。
年の流れでふり返る
- 1944年7月サイパン島がアメリカ軍に占領される
- 1944年10月沖縄が大きな空襲を受ける(10月10日)
- 1944年11月東京への本格的な空襲が始まる
- 1945年3月東京大空襲(3月10日)。アメリカ軍が慶良間諸島に上陸(3月26日)
- 1945年4月アメリカ軍が沖縄本島に上陸(4月1日)
- 1945年6月沖縄で日本軍の組織的な戦いが終わる(6月23日)
中学ではここがくわしくなる
中学の歴史では、空襲と沖縄戦について、もう少しくわしく習います。
| 小学校 | 中学校で加わること | |
|---|---|---|
| 最初の空襲 | 1944年11月から本格的な空襲 | 日本本土への最初の空襲は、1942年4月18日。アメリカ軍の爆撃機が、東京・名古屋・神戸などを空襲した |
| 空襲のやり方 | 焼夷弾で町を焼いた | はじめは工場などをねらう爆撃だったが、1945年3月10日の東京大空襲から、夜に市街地を焼夷弾で焼きはらう空襲が本格化した |
| 沖縄の空襲 | 1944年10月10日の空襲 | 「10・10空襲」とよばれる。5回にわたって、のべ1,000機をこえる飛行機がおそい、那覇の市内の90%が焼けた |
| 学徒隊 | 生徒が戦場に動員された | 沖縄の21の中等学校の生徒が動員された。男子は「鉄血勤皇隊」「通信隊」に、女子はひめゆり学徒隊などとして看護にあたった |
| 沖縄戦の終わり | 6月23日 | 6月23日(22日という説もある)に組織的な戦いが終わった。そのあとも戦いは続き、南西諸島の日本軍が降伏の文書に調印したのは9月7日 |
重要なところ
3月10日は「東京都平和の日」になっています。
軍人だけでなく、多くの住民や、動員された生徒もなくなりました。
日本軍の組織的な戦いが終わったとされる日です。
教科書では、この単元名です
- 東京書籍:「長く続いた戦争と人々のくらし」の授業「空襲で日本の都市が焼かれる」
- 教育出版:「戦争と人々の暮らし」の授業「おそいかかる空襲」
- 日本文教出版:「アジア・太平洋に広がる戦争」の授業「空襲で焼きつくされる国土」「戦場となった沖縄」
学習指導要領(平成29年告示)では
第6学年の内容(2)ア(サ):日華事変(日中戦争)、日本が関わった第二次世界大戦、日本国憲法の制定、オリンピック・パラリンピックの開催などから、戦後に民主的な国家として出発し、国民生活が向上して国際社会で重要な役割を果たしてきたことを理解する。(学習指導要領コード 026321B000000)
たしかめ問題
落ちたところで火をふき出し、火事を起こす爆弾を何といいますか。
焼夷弾日本の都市を空襲した、アメリカ軍の大型の爆撃機を何といいますか。
B-291945年3月10日、東京の下町が焼かれ、およそ10万人がなくなった空襲を何といいますか。
東京大空襲空襲を受けたのは、東京などの大都市だけでしたか。
いいえ。全国の中小の都市も空襲を受けたアメリカ軍が沖縄本島に上陸したのは、1945年の何月何日ですか。
4月1日住民をまきこんで行われ、20万人をこえる人がなくなった、沖縄での地上戦を何といいますか。
沖縄戦沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒たちで、看護にあたった学徒隊を何とよびますか。
ひめゆり学徒隊国籍や軍人・住民を問わず、沖縄戦などでなくなった人の名前を刻んだ、糸満市摩文仁の碑を何といいますか。
平和の礎1944年の終わりから、アメリカ軍の爆撃機B-29による空襲が本格的になりました。1945年3月10日の東京大空襲では、焼夷弾で下町が焼かれ、およそ10万人がなくなりました。空襲はその後、全国の都市に広がり、工場だけでなく住宅地も焼け野原になりました。沖縄では、1945年3月末からアメリカ軍が上陸し、住民をまきこんだ地上戦(沖縄戦)が行われました。中学校や女学校の生徒も動員され、軍人と住民をあわせて20万人をこえる人がなくなりました。
出典
- 兵庫県「戦争の記憶と教訓の継承 ~わたしたちの街中にある「戦争の痕跡」~」(JR三ノ宮駅の高架の機銃掃射痕、1945年6月5日の空襲)
- 総務省「一般戦災死没者の追悼」台東区における戦災の状況(1945年3月10日、死者およそ10万人・罹災者100万人・焼夷弾約1,700トン・夜間に住宅密集地を目標・13メートルの烈風)
- 総務省「一般戦災死没者の追悼」北区における戦災の状況(東京への本格的な空襲はサイパン陥落後の1944年11月から、空襲警報で防空壕へ、焼夷弾消火を中心にした防火訓練)
- 総務省「一般戦災死没者の追悼」名古屋市における戦災の状況(木造の住居、航空機工場が第一目標、1942年4月18日の初空襲)
- 総務省「一般戦災死没者の追悼」神戸市における戦災の状況(3月10日の東京大空襲から焼夷弾爆撃が本格化、名古屋・大阪・神戸)
- 総務省「一般戦災死没者の追悼」堺市における戦災の状況(大都市から中小都市へ拡大)
- 総務省「一般戦災死没者の追悼」国内各都市の戦災の状況(北海道から沖縄までの一覧)
- 東京都 報道発表「東京都平和の日」(1990年7月の条例、3月10日)
- 東京都 生活文化局「東京都平和の日」記念行事の報告(3月10日の式典・黙とう)
- 総務省「一般戦災死没者の追悼」沖縄県における戦災の状況(情報提供:沖縄県保護・援護課。10・10空襲、上陸、鉄の暴風、学徒隊、戦没者数、慰霊の日)
- 内閣府 沖縄戦の概要(第32軍の創設1944年3月22日、本土防衛の拠点、4月1日の上陸、9月7日の降伏文書調印)
- 沖縄県 子ども向けページ「沖縄戦」(3月26日慶良間、4月1日読谷、6月23日、戦没者数)
- 沖縄県 リーフレット「沖縄戦に動員された21校の学徒隊」(ひめゆり学徒隊=沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校)
- 沖縄県「平和の礎」建設の趣旨・基本理念(1995年、糸満市摩文仁、国籍や軍人・民間人の区別なく刻銘)
- 沖縄県「平和の礎」刻銘者数一覧(2026年6月23日現在 242,659人)
画像
- 焼夷弾を投下するB-29(アメリカ陸軍航空軍撮影、1945年7月16日) 342-FH-3A03338-58138AC(アメリカ国立公文書館(NARA))
- 東京・浅草地区の焼けあと(アメリカ陸軍航空軍撮影、1945年) 342-FH-3A03889-B58452AC(アメリカ国立公文書館(NARA))
- 那覇の空中写真(アメリカ陸軍航空軍撮影、1945年) 342-FH-3A04100-57865AC(アメリカ国立公文書館(NARA))
- 沖縄本島西海岸の上陸地点(パープル・ビーチ)と船団(アメリカ陸軍航空軍撮影、1945年) 342-FH-3A04437-63374AC(アメリカ国立公文書館(NARA))
- 首里の空中写真 1945年4月28日(アメリカ陸軍航空軍撮影) 342-FH-3A04104-83751AC(アメリカ国立公文書館(NARA))
- 首里の空中写真 1945年5月23日(アメリカ陸軍航空軍撮影) 342-FH-3A04105-83752AC(アメリカ国立公文書館(NARA))
- 平和の礎 2019年撮影(Balon Greyjoy)(Wikimedia Commons(CC0))