条約改正とは?不平等条約・ノルマントン号事件・陸奥宗光・小村寿太郎をわかりやすく
教科書では:東京書籍「世界に歩み出した日本」の「条約改正を目指して」/教育出版「近代国家を目ざして」の「ノルマントン号事件と条約改正」/日本文教出版「国力の充実をめざす日本と国際社会」の「ノルマントン号事件と条約改正」
- 江戸時代の終わりに結んだは、を認め、がない条約でした。
- 1886年ので、条約を改めてほしいという国民の声が高まりました。
- 1894年に陸奥宗光が領事裁判権をなくし、1911年に小村寿太郎が関税自主権を取りもどしました。
明治の日本は、どのようにして不平等条約を改めたのだろう。
読み終えたら、下の「問いへの答え」を見る前に、自分の言葉で答えてみましょう。開国のときの条約が、日本を苦しめた
1858年、江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を結びました。オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも、同じような条約を結びました。
これらの条約は、日本に不利な不平等条約でした。不平等なところは、大きく2つあります。
領事裁判権を認める
外国人が日本で罪をおかしても、日本の裁判所ではさばけませんでした。その国の領事(外国に置かれた役人)が、自分の国の法律でさばいたのです。これを領事裁判権といいます。
そのため、日本人が被害にあっても、外国人に軽い罰しかあたえられないことがありました。
関税自主権がない
関税は、外国から入ってくる品物などにかける税です。ふつうは、それぞれの国が自分で決めます。この権利を関税自主権といいます。
しかし日本は、関税の割合を外国との約束で決めなければならず、自分の国だけで変えることができませんでした。

不平等条約は、領事裁判権を認め、関税自主権がない条約でした。これを改めることが、明治政府の大きな目標になりました。
話し合いは、なかなか進まない
岩倉使節団の話し合い
1871年、政府はを欧米に送りました。目的の1つは、不平等条約を改める話し合いでした。
しかし、条約を改める話し合いは、成果をあげられませんでした。そのころの日本は、欧米と同じような法律や政治のしくみを、まだ整えていなかったのです。
鹿鳴館と欧化政策
外務卿(のちの外務大臣)の井上馨は、日本が欧米と同じように進んだ国であることを見せようとしました。
1883年、東京の日比谷に、洋風の建物のが完成しました。


鹿鳴館では、外国の外交官などを招いて、舞踏会やバザーが開かれました。政府の高い位の人やその家族が、洋服を着て客をもてなしました。
このように、生活や習慣を欧米に近づけようとする動きを、といいます。
しかし、「外国のまねばかりしている」という批判も強く、話し合いはまとまりませんでした。
岩倉使節団の話し合いも、鹿鳴館での欧化政策も、条約改正にはつながりませんでした。
ノルマントン号事件―国民のいかり
しずんだ船、助からなかった日本人
1886年10月、イギリスの船ノルマントン号が、横浜から神戸に向かうとちゅう、和歌山県の沖であらしにあってしずみました。
船長と、イギリス人などの船員は、ボートで逃げて助かりました。しかし、日本人の乗客25人は、全員がなくなりました。

裁判の結果に、国民がいかる
船長は、領事裁判権によって、神戸のイギリス領事の裁判でさばかれました。その結果、船長は罪にならないとされました。
これを知った国民は、強くいかりました。政府側がうったえて、ふたたび裁判が開かれ、船長は禁錮3か月の罰を受けました。
しかし、罰はとても軽く、なくなった人の家族へのつぐない(賠償)もありませんでした。これをノルマントン号事件といいます。
不平等条約で、領事裁判権を認めていたからです。イギリス人の船長をさばけるのは、イギリスの領事だけでした。
この事件で、多くの人が不平等条約の問題に気づきました。条約を改めてほしいという国民の声が、いっそう高まりました。
1886年のノルマントン号事件で、領事裁判権の問題がはっきりし、条約改正を求める声が高まりました。
陸奥宗光と小村寿太郎 ― 条約改正の実現
1894年、領事裁判権をなくす
外務大臣の陸奥宗光は、まずイギリスとの話し合いを進めました。そして1894年7月、日英通商航海条約を結び、領事裁判権をなくすことに成功しました。ただし、関税自主権は、一部しか取りもどせませんでした。
1911年、関税自主権を取りもどす
日本は、1894年からの日清戦争、1904年からの日露戦争に勝ちました。日本の力は欧米の国々にも認められ、世界での地位が高まりました。
1911年、外務大臣の小村寿太郎は、アメリカとの新しい条約で、関税自主権を完全に取りもどしました。こうして、条約改正が実現したのです。
1894年に陸奥宗光が領事裁判権をなくし、1911年に小村寿太郎が関税自主権を取りもどしました。
なぜ40年もかかったのか
1871年の岩倉使節団から数えると、条約改正には40年かかりました。
欧米の国々は、日本を対等な相手と認めるまで、条約を改めようとしませんでした。日本は、次のようなことを積み重ねて、国の力をつけていきました。
- 憲法をつくり、国会を開き、法律を整えた(近代的な国のしくみ)
- 工業や貿易をさかんにした(産業の発展)
- 日清戦争と日露戦争に勝った(世界での地位が高まる)
- 1858年日米修好通商条約など、不平等条約を結ぶ
- 1871年岩倉使節団が出発する(話し合いはうまくいかない)
- 1883年鹿鳴館ができる
- 1886年ノルマントン号事件が起こる
- 1889年大日本帝国憲法が発布される(1890年に国会)
- 1894年陸奥宗光が領事裁判権をなくす
- 1911年小村寿太郎が関税自主権を完全に回復する
日本は、国のしくみを整え、産業を発展させ、国の力をつけたことで、約40年かけて欧米と対等な立場になりました。
中学ではここがくわしくなる
中学の歴史では、条約改正の歩みを、もう少しくわしく習います。
| 小学校 | 中学校で加わること | |
|---|---|---|
| 言葉 | 領事裁判権 | 外国人が、住んでいる国の法律にしばられない権利を、まとめて「治外法権」ともいう |
| 話し合いの人々 | 岩倉使節団・井上馨 | 寺島宗則・井上馨・大隈重信・青木周蔵らが、次々に話し合いを受けついだ |
| 鹿鳴館 | 井上馨の欧化政策 | 設計はイギリス人の建築家コンドル。井上馨は、話し合いがまとまらず外務大臣をやめた |
| 1894年の条約 | 領事裁判権をなくす | 調印は1894年、実施は5年後の1899年。外国人が日本の国内を自由に旅行したり住んだりできるようにもした |
この時代の人物



重要なところ
「領事裁判権が先、関税自主権があと」。人物と年をセットで覚えましょう。
ノルマントン号事件は、この領事裁判権の問題が表に出た事件です。
不平等条約では、日本にこの権利がありませんでした。
井上馨が進めた欧化政策の代表です。条約改正にはつながりませんでした。
教科書では、この単元名です
- 東京書籍:「世界に歩み出した日本」の授業「条約改正を目指して」
- 教育出版:「近代国家を目ざして」の授業「ノルマントン号事件と条約改正」
- 日本文教出版:「国力の充実をめざす日本と国際社会」の授業「ノルマントン号事件と条約改正」
学習指導要領(平成29年告示)では
第6学年の内容(2)ア(コ):大日本帝国憲法の発布、日清・日露の戦争、条約改正、科学の発展から、日本の国力が充実し国際的な地位が上がったことを理解する。(学習指導要領コード 026321A000000)
たしかめ問題
日本で罪をおかした外国人を、日本の法律でさばけず、その国の領事がさばく権利を何といいますか。
領事裁判権輸入品などにかける税を、自分の国で決める権利を何といいますか。
関税自主権1883年に東京の日比谷に建てられ、外国人を招いて舞踏会などが開かれた洋館を何といいますか。
鹿鳴館1886年、イギリスの船がしずみ、日本人の乗客が全員なくなったのに、船長が軽い罰しか受けなかった事件を何といいますか。
ノルマントン号事件1894年、イギリスとの条約で領事裁判権をなくすことに成功した外務大臣はだれですか。
陸奥宗光1911年、アメリカとの条約で関税自主権を完全に取りもどした外務大臣はだれですか。
小村寿太郎ノルマントン号事件で、多くの国民がいかったのはなぜですか。
領事裁判権のため、イギリスの領事がさばき、船長が軽い罰しか受けず、つぐないもなかったから。欧米の国々が条約改正に応じるようになったのは、日本がどのような国になったからですか。
憲法や国会、法律を整え、産業を発展させ、戦争に勝って国の力をつけ、欧米と対等な近代的な国として認められたから。江戸時代の終わりに結んだ条約は、外国人の罪を日本の法律でさばけない(領事裁判権を認める)うえ、輸入品にかける税を日本が自分で決められない(関税自主権がない)、日本に不利な条約でした。明治の政府は、岩倉使節団を送ったり、鹿鳴館で外国人をもてなしたりして話し合いましたが、うまくいきませんでした。1886年のノルマントン号事件をきっかけに、条約を改めてほしいという国民の声が高まりました。日本は憲法をつくって国会を開き、近代的な国としてのしくみを整えました。そして1894年、外務大臣の陸奥宗光がイギリスとの間で領事裁判権をなくすことに成功しました。さらに日露戦争のあと、1911年に外務大臣の小村寿太郎がアメリカとの条約で関税自主権を取りもどし、条約改正が実現しました。
出典
- 東京書籍「新編 新しい社会6」年間指導計画作成資料(⑩-①条約改正を目指して P.116〜117)
- 教育出版「小学社会6」年間指導計画・評価計画(近代国家を目ざして 条約改正の回 P.186〜187)
- 外務省外交史料館 原本特別展示「日英通商航海条約 陸奥宗光と条約改正」(2024年)
- 山口県文書館「欧米列強の侵略と条約改正 条約改正の実現(治外法権の撤廃)」
- 山口県文書館「欧米列強の侵略と条約改正 大津事件」(井上馨の欧化政策・青木周蔵・陸奥宗光)
- 山口県文書館「岩倉使節団と殖産興業 岩倉使節団」
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「明治時代のノルマントン号事件について知りたい。」(小野市立図書館、『国史大辞典』ほかによる)
- 国立公文書館 デジタル展示「近代国家 日本の登場 17.条約改正交渉の達成」
- 国立公文書館「日本のあゆみ 明治27年(1894)7月 日英通商航海条約が調印される」
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「鹿鳴館はいつ開館し、いつ無くなったのか。」
- 国立国会図書館 本の万華鏡 第16回「日本近代建築の夜明け」第1章(コンドルと鹿鳴館)
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」井上馨・陸奥宗光・小村寿太郎の解説
- 『山川 日本史小辞典 改訂新版』「ノルマントン号事件」「鹿鳴館」(コトバンク)
- 『日本大百科全書(ニッポニカ)』「鹿鳴館」(コトバンク)
- ColBase「神戸税関」(東京国立博物館 R-556)の作品解説(運上所と税関)
画像
- 神戸税関 撮影者不詳 明治時代・19世紀(ColBase(東京国立博物館))
- 「鹿鳴館」 井上安治(探景) 明治時代(東京都立図書館 TOKYOアーカイブ)
- 鹿鳴館貴婦人慈善会図 楊洲周延 1884年(明治17年)(東京都立図書館 TOKYOアーカイブ)
- 広岡幸助編『英船ノルマントン沈没始末』初篇(栄泉社、1886年12月)のさし絵(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 井上馨(『近世名士写真』其1、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
- 陸奥宗光(『近世名士写真』其2、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
- 小村寿太郎(『近世名士写真』其1、1935年)(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)