教科書補助小6 社会 / 世界に歩み出した日本 / 6本中の6本目

大正(たいしょう)の社会(しゃかい)と普通選挙(ふつうせんきょ)とは? 米騒動(こめそうどう)・平塚(ひらつか)らいてう・全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)・普通選挙法(ふつうせんきょほう)をわかりやすく

教科書では:東京書籍「世界に歩み出した日本」の「生活や社会の変化」/教育出版「近代国家を目ざして」の「暮らしと社会の変化」/日本文教出版「国力の充実をめざす日本と国際社会」の「よりよく生きる権利を求めて」

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  1. 大正時代(たいしょうじだい)、都市(とし)では洋服(ようふく)を着(き)る人(ひと)がふえ、電車(でんしゃ)やバス、デパート、ラジオ放送(ほうそう)(1925年(ねん))など、くらしが大(おお)きく変(か)わりました。
  2. (1918年(ねん))をきっかけに民主主義(みんしゅしゅぎ)を求(もと)める動(うご)きが高(たか)まり、平塚(ひらつか)らいてうらの女性運動(じょせいうんどう)や、(1922年(ねん))の差別(さべつ)をなくす運動(うんどう)が広(ひろ)がりました。
  3. 1925年(ねん)にができ、25歳以上(さいいじょう)のすべての男子(だんし)が選挙権(せんきょけん)をもちました。同(おな)じ年(とし)にもつくられました。
今日(きょう)の問(と)い

大正時代(たいしょうじだい)、人々(ひとびと)のくらしや社会(しゃかい)は、どのように変(か)わったのだろう。

読(よ)み終(お)えたら、下(した)の「問(と)いへの答(こた)え」を見(み)る前(まえ)に、自分(じぶん)の言葉(ことば)で答(こた)えてみましょう。

都市(とし)のくらしが変(か)わる

会社(かいしゃ)につとめる人(ひと)がふえる

大正時代(たいしょうじだい)(1912〜1926年(ねん))の後半(こうはん)、東京(とうきょう)や大阪(おおさか)などの都市(とし)は大(おお)きく成長(せいちょう)しました。会社(かいしゃ)につとめて給料(きゅうりょう)をもらう人(ひと)(サラリーマン)がふえました。

タイピストや電話交換手(でんわこうかんしゅ)のように、外(そと)で働(はたら)く女性(じょせい)もふえました。こうした女性(じょせい)は「職業婦人(しょくぎょうふじん)」とよばれました。

洋服(ようふく)と、新(あたら)しい住(す)まい

都市(とし)では、洋服(ようふく)を着(き)る男性(だんせい)がふえました。電灯(でんとう)・水道(すいどう)・ガスも、家庭(かてい)に広(ひろ)まっていきました。

鉄道(てつどう)ぞいには、洋風(ようふう)の部屋(へや)を取(と)り入(い)れた「文化住宅(ぶんかじゅうたく)」が建(た)ちならびました。新聞(しんぶん)や雑誌(ざっし)もさかんに読(よ)まれました。

広い通りの線路の上を路面電車が2台走り、右に大きな自動車、左に時計塔のある建物が見える白黒の写真
関東大震災(かんとうだいしんさい)の前(まえ)の、東京(とうきょう)・銀座(ぎんざ)の通(とお)り。路面電車(ろめんでんしゃ)や自動車(じどうしゃ)が走(はし)っています。絵はがき「焼失前 銀座通り/焼失後 銀座通り」大正12年(1923)ごろ 台東区立中央図書館蔵出典:台東区立図書館デジタルアーカイブ(CC BY 4.0)(部分)(CC BY 4.0)

電車(でんしゃ)やバス、デパート、ラジオ

町(まち)の中(なか)には、路面電車(ろめんでんしゃ)(市電(しでん))やバスが走(はし)りました。大(おお)きな通(とお)りには、何階(なんかい)建(だ)てもの(百貨店(ひゃっかてん))ができ、人気(にんき)を集(あつ)めました。

青空の下に建つ、8階建てほどの大きな四角い建物と、その前の並木の通りを走る路面電車や自動車をえがいた色つきの絵。左上に店の丸いスタンプがおされている
1925年(ねん)5月(ごがつ)に開店(かいてん)した、東京(とうきょう)・銀座(ぎんざ)のデパート(松屋(まつや))。開店(かいてん)を知(し)らせる絵(え)はがきです。前(まえ)の通(とお)りには、路面電車(ろめんでんしゃ)や自動車(じどうしゃ)がえがかれています。絵はがき「大正十四年五月一日開店 東京銀座松屋呉服店」大正14年(1925) 台東区立中央図書館蔵出典:台東区立図書館デジタルアーカイブ(CC BY 4.0)(CC BY 4.0)

1925年(ねん)には、東京(とうきょう)でラジオ放送(ほうそう)が始(はじ)まりました。ニュースや音楽(おんがく)が、電波(でんぱ)にのって家庭(かてい)に届(とど)くようになったのです。

木の生えた丘の上に、丸い形の建物があり、その左右に細長い鉄の塔が2本高く立っている白黒の写真
愛宕山(あたごやま)の放送局(ほうそうきょく)。2本(ぽん)の高(たか)い鉄(てつ)の塔(とう)の間(あいだ)に、電波(でんぱ)を出(だ)す線(せん)をはりました。絵はがき「東京放送局愛宕山放送所」大正13年(1924)〜15年(1926)ごろ 台東区立中央図書館蔵出典:台東区立図書館デジタルアーカイブ(CC BY 4.0)(部分)(CC BY 4.0)
カーテンのある部屋のまん中に、丸いマイクが立てられ、そのまわりにいすやピアノ、鉄琴が置かれている青っぽい写真
放送局(ほうそうきょく)の演奏室(えんそうしつ)。まん中(なか)に立(た)っているのがマイクです。ここで演奏(えんそう)した音楽(おんがく)が、電波(でんぱ)で家庭(かてい)に届(とど)けられました。絵はがき「演奏室 東京放送局愛宕山放送所」大正13年(1924)〜15年(1926)ごろ 台東区立中央図書館蔵出典:台東区立図書館デジタルアーカイブ(CC BY 4.0)(部分)(CC BY 4.0)

大正時代(たいしょうじだい)の都市(とし)では、洋服(ようふく)を着(き)る人(ひと)がふえ、電車(でんしゃ)やバス、デパート、ラジオ放送(ほうそう)など、くらしが大(おお)きく変(か)わりました。

米騒動(こめそうどう)と、民主主義(みんしゅしゅぎ)を求(もと)める動(うご)き

米(こめ)のねだんが急(きゅう)に上(あ)がる

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)のころから、物(もの)のねだんが上(あ)がり続(つづ)けていました。1918年(ねん)には米(こめ)のねだんが急(きゅう)に上(あ)がり、人々(ひとびと)のくらしは苦(くる)しくなりました。

この年(とし)の7月(しちがつ)、富山県(とやまけん)の漁村(ぎょそん)の女性(じょせい)たちが、米(こめ)を安(あ)く売(う)るように求(もと)めて立(た)ち上(あ)がりました。この動(うご)きは新聞(しんぶん)で伝(つた)えられ、全国(ぜんこく)に広(ひろ)がりました。これを米騒動(こめそうどう)といいます。

なぜ? 米(こめ)のねだんは、そんなに上(あ)がったの?
そのころ、日本(にほん)の軍隊(ぐんたい)がシベリアに出兵(しゅっぺい)することになりました。米(こめ)が必要(ひつよう)になると見(み)こんで、商人(しょうにん)などが米(こめ)を買(か)いしめたのです。

政党内閣(せいとうないかく)と大正(たいしょう)デモクラシー

米騒動(こめそうどう)のあと、1918年(ねん)9月(くがつ)に原敬(はらたかし)が首相(しゅしょう)になりました。原(はら)は政党(せいとう)の代表(だいひょう)で、大臣(だいじん)の多(おお)くを自分(じぶん)の政党(せいとう)の人(ひと)にしました。このような内閣(ないかく)をといいます。

政治学者(せいじがくしゃ)の吉野作造(よしのさくぞう)は、をとなえました。人々(ひとびと)の考(かんが)えにもとづいた政治(せいじ)を行(おこな)い、多(おお)くの人(ひと)が政治(せいじ)に参加(さんか)するべきだという考(かんが)えです。

このころ高(たか)まった、民主主義(みんしゅしゅぎ)を求(もと)める動(うご)きを、といいます。中(なか)でも強(つよ)かったのが、すべての男子(だんし)に選挙権(せんきょけん)を求(もと)める運動(うんどう)(普選運動(ふせんうんどう))です。

1918年(ねん)の米騒動(こめそうどう)をきっかけに、国民(こくみん)の意見(いけん)を政治(せいじ)に生(い)かそうとする動(うご)き(大正(たいしょう)デモクラシー)が高(たか)まりました。

差別(さべつ)をなくし、権利(けんり)を求(もと)める

平塚(ひらつか)らいてうと女性(じょせい)の運動(うんどう)

そのころの女性(じょせい)は、選挙権(せんきょけん)がなく、政治(せいじ)の集会(しゅうかい)に参加(さんか)することも法律(ほうりつ)で禁止(きんし)されていました。

平塚(ひらつか)らいてうは、1911年(ねん)、女性(じょせい)だけで社(しゃ)をつくり、雑誌(ざっし)『青鞜(せいとう)』を出(だ)しました。最初(さいしょ)の号(ごう)で「元始(げんし)、女性(じょせい)は実(み)に太陽(たいよう)であった」と書(か)き、女性(じょせい)が自分(じぶん)らしく生(い)きることをうったえました。

1920年(ねん)、らいてうは市川房枝(いちかわふさえ)らとをつくりました。議会(ぎかい)に請願(せいがん)を重(かさ)ね、1922年(ねん)、女性(じょせい)が政治(せいじ)の集会(しゅうかい)に参加(さんか)できるように法律(ほうりつ)を改(あらた)めさせました。

全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)と差別(さべつ)をなくす運動(うんどう)

明治時代(めいじじだい)に身分(みぶん)の区別(くべつ)がなくされたあとも、江戸時代(えどじだい)から差別(さべつ)されてきた人々(ひとびと)への差別(さべつ)は続(つづ)いていました。結婚(けっこん)や仕事(しごと)などで、きびしい差別(さべつ)を受(う)けていたのです。

1922年(ねん)3月(さんがつ)、差別(さべつ)に苦(くる)しんできた人々(ひとびと)は、京都(きょうと)に集(あつ)まって全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)をつくりました。自分(じぶん)たちの力(ちから)で差別(さべつ)をなくそうとしたのです。

このとき出(だ)された水平社宣言(すいへいしゃせんげん)は、「人(ひと)の世(よ)に熱(ねつ)あれ、人間(にんげん)に光(ひかり)あれ」という言葉(ことば)で結(むす)ばれています。差別(さべつ)をなくす取(と)り組(く)みは、今(いま)も続(つづ)けられています。

大正時代(たいしょうじだい)のできごとの場所(ばしょ)

地図(ちず)を読(よ)みこんでいます…

地図(ちず)は、指(ゆび)やマウスで動(うご)かしたり、+・−で拡大(かくだい)・縮小(しゅくしょう)したりできます。印(しるし)か、下(した)の場所(ばしょ)の名前(なまえ)をタップすると、説明(せつめい)が出(で)ます。

  • 富山県(とやまけん)。米騒動(こめそうどう)の始(はじ)まりとされる町(まち)の一(ひと)つ。1918年(ねん)7月(しちがつ)、漁村(ぎょそん)の女性(じょせい)たちが、米(こめ)の積(つ)み出(だ)しをやめて安(あ)く売(う)るよう求(もと)めた。
  • 京都府(きょうとふ)。1922年(ねん)3月(さんがつ)3日(みっか)、全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)の創立大会(そうりつたいかい)が開(ひら)かれた場所(ばしょ)。いまはロームシアター京都(きょうと)になっていて、「全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)創立(そうりつ)の地(ち)」の記念碑(きねんひ)がある。
  • 東京都(とうきょうと)。1925年(ねん)7月(しちがつ)から、東京放送局(とうきょうほうそうきょく)がここからラジオ放送(ほうそう)を行(おこな)った。いまはNHK放送博物館(ほうそうはくぶつかん)がある。

●緑は都や拠点です。印の位置はおおよそです。地図:地理院タイル(国土地理院)

平塚(ひらつか)らいてうらは女性(じょせい)の地位(ちい)を高(たか)める運動(うんどう)を、全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)は差別(さべつ)をなくす運動(うんどう)を進(すす)めました。

関東大震災(かんとうだいしんさい)

1923年(ねん)9月(くがつ)1日(ついたち)の正午(しょうご)ごろ、関東地方(かんとうちほう)を大(おお)きな地震(じしん)がおそいました。これをといいます。昼(ひる)ごはんのしたくで火(ひ)を使(つか)う時間(じかん)だったため、あちこちで火事(かじ)が起(お)こりました。

骨組みだけになった大きな建物の前の通りを、大勢の人が歩いている白黒の写真
関東大震災(かんとうだいしんさい)のあとの銀座(ぎんざ)の通(とお)り。上(うえ)の写真(しゃしん)と同(おな)じ絵(え)はがきにのっています。大(おお)きな建物(たてもの)は、焼(や)けて骨組(ほねぐ)みが見(み)えています。絵はがき「焼失前 銀座通り/焼失後 銀座通り」大正12年(1923)ごろ 台東区立中央図書館蔵出典:台東区立図書館デジタルアーカイブ(CC BY 4.0)(部分)(CC BY 4.0)

なくなった人(ひと)や行方不明(ゆくえふめい)になった人(ひと)は、約(やく)10万(まん)5千人(せんにん)にのぼりました。東京(とうきょう)や横浜(よこはま)の町(まち)の多(おお)くが焼(や)け、そのあと新(あたら)しくつくり直(なお)されました。

くずれたれんがの建物のあとと、がれきの中の道を人々が歩き、うしろに寺の門と塔が残っている、明るい色の油絵
震災(しんさい)のあと、画家(がか)が焼(や)けあとの町(まち)を写生(しゃせい)した絵(え)。くずれたれんがの建物(たてもの)のあとを、人々(ひとびと)が歩(ある)いています。大正震災焼跡写生図(54枚の内) 田代二見筆 大正12年(1923) 東京国立博物館蔵出典:ColBase(東京国立博物館)

1923年(ねん)の関東大震災(かんとうだいしんさい)では、火事(かじ)で大(おお)きな被害(ひがい)が出(で)ました。東京(とうきょう)や横浜(よこはま)の町(まち)は、新(あたら)しくつくり直(なお)されました。

普通選挙法(ふつうせんきょほう)と治安維持法(ちあんいじほう)

25歳以上(さいいじょう)のすべての男子(だんし)に選挙権(せんきょけん)

普選運動(ふせんうんどう)の高(たか)まりを受(う)けて、1925年(ねん)、普通選挙法(ふつうせんきょほう)ができました。税金(ぜいきん)の額(がく)による制限(せいげん)がなくなり、25歳以上(さいいじょう)のすべての男子(だんし)が、衆議院(しゅうぎいん)議員(ぎいん)のをもちました。

選挙権(せんきょけん)をもつ人(ひと)は、約(やく)307万人(まんにん)(1920年(ねん))から約(やく)1,241万人(まんにん)(1928年(ねん))と、約(やく)4倍(ばい)にふえました。1928年(ねん)には、普通選挙法(ふつうせんきょほう)による初(はじ)めての選挙(せんきょ)が行(おこな)われました。

選挙権(せんきょけん)をもつ人(ひと)が全人口(ぜんじんこう)にしめる割合(わりあい)(衆議院(しゅうぎいん)議員(ぎいん)の選挙(せんきょ))
  1. 1.1%1890年(ねん)
  2. 2.2%1902年(ねん)
  3. 5.5%1920年(ねん)
  4. 20.0%1928年(ねん)
  5. 48.7%1946年(ねん)

1890年は直接国税15円以上、1902年は10円以上、1920年は3円以上をおさめた25歳以上の男子。1928年は普通選挙法による25歳以上のすべての男子。1946年からは20歳以上の男女。 出典:総務省 広報誌「総務省」2025年12月号「選挙のあゆみと今」

上に赤い帯で「衆議院議員選挙」、まん中に「この日 二月二十日」「午前七時より午後六時まで」「お忘れなく投票して下さい」と大きく書かれ、左に「名古屋市」とあるポスター
1928年(ねん)、普通選挙法(ふつうせんきょほう)による初(はじ)めての選挙(せんきょ)で、名古屋市(なごやし)がつくった投票(とうひょう)をよびかけるポスター。「漏(も)れなく選挙権(せんきょけん)を行使(こうし)せよ」「投票(とうひょう)してこそ貴重(きちょう)の一票(いちひょう)」と書(か)かれています。第一回普通選挙ポスター(第16回衆議院議員総選挙ポスター) 名古屋市 昭和3年(1928)出典:京都府立京都学・歴彩館 歴史資料アーカイブ(CC BY)(部分)(CC BY)
なぜ?女性(じょせい)は選挙権(せんきょけん)をもてなかったの?
普通選挙法(ふつうせんきょほう)の「すべて」は、男子(だんし)だけのことでした。女性(じょせい)が選挙権(せんきょけん)をもてたのは、第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)が終(お)わったあとの1945年(ねん)です。

同(おな)じ年(とし)にできた治安維持法(ちあんいじほう)

同(おな)じ1925年(ねん)、政府(せいふ)は治安維持法(ちあんいじほう)もつくりました。天皇(てんのう)を中心(ちゅうしん)とする国(くに)のしくみや、財産(ざいさん)を持(も)つしくみを変(か)えようとする運動(うんどう)を、取(と)りしまる法律(ほうりつ)です。

1925年(ねん)、普通選挙法(ふつうせんきょほう)で25歳以上(さいいじょう)のすべての男子(だんし)が選挙権(せんきょけん)をもちました。同(おな)じ年(とし)に、社会運動(しゃかいうんどう)を取(と)りしまる治安維持法(ちあんいじほう)もつくられました。

年(ねん)の流(なが)れでふり返(かえ)る

  1. 1911年(ねん)平塚(ひらつか)らいてうらが『青鞜(せいとう)』を出(だ)す
  2. 1918年(ねん)米騒動(こめそうどう)が起(お)こる。原敬(はらたかし)の政党内閣(せいとうないかく)ができる
  3. 1920年(ねん)新婦人協会(しんふじんきょうかい)ができる
  4. 1922年(ねん)全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)ができる
  5. 1923年(ねん)関東大震災(かんとうだいしんさい)が起(お)こる
  6. 1925年(ねん)ラジオ放送(ほうそう)が始(はじ)まる。普通選挙法(ふつうせんきょほう)・治安維持法(ちあんいじほう)ができる

中学(ちゅうがく)ではここがくわしくなる

中学(ちゅうがく)の歴史(れきし)では、大正時代(たいしょうじだい)の政治(せいじ)の動(うご)きを、もう少(すこ)しくわしく習(なら)います。

小学校(しょうがっこう)中学校(ちゅうがっこう)で加(くわ)わること
関東大震災(かんとうだいしんさい)火事(かじ)で大(おお)きな被害(ひがい)が出(で)たこわれたり焼(や)けたりした家(いえ)は約(やく)29万(まん)けん。「朝鮮人(ちょうせんにん)が暴動(ぼうどう)を起(お)こす」といったまちがったうわさ(流言(りゅうげん))が広(ひろ)まり、多(おお)くの朝鮮人(ちょうせんにん)や、中国人(ちゅうごくにん)などが殺害(さつがい)された。今(いま)の防災(ぼうさい)でも、大切(たいせつ)な教訓(きょうくん)とされている
政党内閣(せいとうないかく)原敬(はらたかし)の内閣(ないかく)原敬(はらたかし)は立憲政友会(りっけんせいゆうかい)の代表(だいひょう)で、外務(がいむ)・陸軍(りくぐん)・海軍以外(かいぐんいがい)の大臣(だいじん)をすべて政友会(せいゆうかい)の人(ひと)にした。爵位(しゃくい)をもたない初(はじ)めての首相(しゅしょう)で、「平民宰相(へいみんさいしょう)」とよばれた
普選運動(ふせんうんどう)普通選挙法(ふつうせんきょほう)(1925年(ねん))議会(ぎかい)には、男子(だんし)の普通選挙(ふつうせんきょ)を求(もと)める法案(ほうあん)が何度(なんど)も出(だ)されていた。成立(せいりつ)は最初(さいしょ)の提出(ていしゅつ)から23年目(ねんめ)だった。初(はじ)めての普通選挙(ふつうせんきょ)は1928年(ねん)2月(にがつ)20日(か)
女性(じょせい)の権利(けんり)新婦人協会(しんふじんきょうかい)1919年(ねん)の末(すえ)に設立(せつりつ)がよびかけられ、1920年(ねん)に発会(はっかい)した。1922年(ねん)に、女性(じょせい)が政治(せいじ)の集会(しゅうかい)に参加(さんか)できるようになった。ただし政党(せいとう)に入(はい)ることは認(みと)められなかった

この時代(じだい)の人物(じんぶつ)

めがねをかけ、こうし柄の着物を着た年配の女性
平塚(ひらつか)らいてう
1911年(ねん)に青鞜(せいとう)社(しゃ)をつくり、雑誌(ざっし)『青鞜(せいとう)』を出(だ)した。1920年(ねん)、市川房枝(いちかわふさえ)らと新婦人協会(しんふじんきょうかい)をつくり、女性(じょせい)の地位(ちい)を高(たか)める運動(うんどう)を進(すす)めた。
平塚らいてう(年をとってからの写真)。出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(部分)
めがねをかけ、白い髪の、ほほえむ年配の女性
市川房枝(いちかわふさえ)
平塚(ひらつか)らいてうと新婦人協会(しんふじんきょうかい)をつくり、女性(じょせい)が政治(せいじ)の集会(しゅうかい)に参加(さんか)できるよう運動(うんどう)した。のちに女性(じょせい)の選挙権(せんきょけん)を求(もと)める運動(うんどう)を続(つづ)け、戦後(せんご)は参議院(さんぎいん)議員(ぎいん)になった。
市川房枝(年をとってからの写真)。出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(部分)
髪を分け、口ひげをはやした、スーツにネクタイの男性
吉野作造(よしのさくぞう)
政治学者(せいじがくしゃ)。民本主義(みんぽんしゅぎ)をとなえ、人々(ひとびと)の考(かんが)えにもとづく政治(せいじ)と、多(おお)くの人(ひと)が政治(せいじ)に参加(さんか)することを説(と)いた。大正(たいしょう)デモクラシーをささえた。
白い髪で、ししゅうのある礼服に、たすきと勲章をつけた年配の男性
原敬(はらたかし)
1918年(ねん)、米騒動(こめそうどう)のあとに首相(しゅしょう)となり、初(はじ)めての本格的(ほんかくてき)な政党内閣(せいとうないかく)をつくった。爵位(しゃくい)をもたない首相(しゅしょう)として「平民宰相(へいみんさいしょう)」とよばれた。

重要(じゅうよう)なところ

普通選挙法(ふつうせんきょほう)(1925年(ねん))で選挙権(せんきょけん)をもったのは、25歳以上(さいいじょう)のすべての男子(だんし)です。
女性(じょせい)が選挙権(せんきょけん)をもったのは、1945年(ねん)の法律(ほうりつ)の改正(かいせい)からです。
米騒動(こめそうどう)は1918年(ねん)に富山県(とやまけん)から始(はじ)まり、新聞(しんぶん)で伝(つた)えられて全国(ぜんこく)に広(ひろ)がりました。
米(こめ)のねだんが急(きゅう)に上(あ)がったことが原因(げんいん)です。
普通選挙法(ふつうせんきょほう)と治安維持法(ちあんいじほう)は、どちらも1925年(ねん)につくられました。
普通選挙法(ふつうせんきょほう)は選挙権(せんきょけん)を広(ひろ)げる法律(ほうりつ)、治安維持法(ちあんいじほう)は社会運動(しゃかいうんどう)を取(と)りしまる法律(ほうりつ)です。

教科書(きょうかしょ)では、この単元名(たんげんめい)です

  • 東京書籍:「世界に歩み出した日本」の授業「生活や社会の変化」
  • 教育出版:「近代国家を目ざして」の授業「暮らしと社会の変化」
  • 日本文教出版:「国力の充実をめざす日本と国際社会」の授業「よりよく生きる権利を求めて」

学習指導要領(がくしゅうしどうようりょう)(平成(へいせい)29年告示(ねんこくじ))では

第(だい)6学年(がくねん)の内容(ないよう)(2)ア(コ):大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう)の発布(はっぷ)、日清(にっしん)・日露(にちろ)の戦争(せんそう)、条約(じょうやく)改正(かいせい)、科学(かがく)の発展(はってん)から、日本(にほん)の国力(こくりょく)が充実(じゅうじつ)し国際的(こくさいてき)な地位(ちい)が上(あ)がったことを理解(りかい)する。(学習指導要領コード 026321A000000)

「世界(せかい)に歩(あゆ)み出(だ)した日本(にほん)」の授業(じゅぎょう)の順(じゅん)と、ほかの時間(じかん)の解説(かいせつ)へ

たしかめ問題(もんだい)

1918年(ねん)、米(こめ)のねだんが急(きゅう)に上(あ)がり、富山県(とやまけん)から全国(ぜんこく)に広(ひろ)がった騒(さわ)ぎを何(なん)といいますか。米騒動(こめそうどう)
雑誌(ざっし)『青鞜(せいとう)』を出(だ)し、女性(じょせい)の地位(ちい)を高(たか)める運動(うんどう)を進(すす)めた人(ひと)はだれですか。平塚(ひらつか)らいてう
1922年(ねん)、差別(さべつ)をなくすために、差別(さべつ)に苦(くる)しんできた人々(ひとびと)が京都(きょうと)でつくった団体(だんたい)を何(なん)といいますか。全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)
1923年(ねん)9月(くがつ)1日に(いちにちに)関東地方(かんとうちほう)をおそい、火事(かじ)で大(おお)きな被害(ひがい)が出(で)た地震(じしん)を何(なん)といいますか。関東大震災(かんとうだいしんさい)
1925年(ねん)にできた、25歳以上(さいいじょう)のすべての男子(だんし)に選挙権(せんきょけん)をあたえた法律(ほうりつ)を何(なん)といいますか。普通選挙法(ふつうせんきょほう)
普通選挙法(ふつうせんきょほう)と同(おな)じ1925年(ねん)につくられた、社会運動(しゃかいうんどう)を取(と)りしまる法律(ほうりつ)を何(なん)といいますか。治安維持法(ちあんいじほう)
1925年(ねん)に東京(とうきょう)で始(はじ)まり、ニュースや音楽(おんがく)を電波(でんぱ)で家庭(かてい)に届(とど)けるようになったものは何(なん)ですか。ラジオ放送(ほうそう)
問(と)いへの答(こた)え

大正時代(たいしょうじだい)の都市(とし)では、会社(かいしゃ)につとめる人(ひと)や、洋服(ようふく)を着(き)る人(ひと)がふえました。電車(でんしゃ)やバス、デパートができ、1925年(ねん)にはラジオ放送(ほうそう)も始(はじ)まりました。いっぽう、1918年(ねん)の米騒動(こめそうどう)をきっかけに、国民(こくみん)の意見(いけん)を政治(せいじ)に生(い)かそうとする動(うご)き(大正(たいしょう)デモクラシー)が高(たか)まりました。平塚(ひらつか)らいてうらは女性(じょせい)の地位(ちい)を高(たか)める運動(うんどう)を、全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)は差別(さべつ)をなくす運動(うんどう)を進(すす)めました。こうした動(うご)きの中(なか)で、1925年(ねん)に普通選挙法(ふつうせんきょほう)ができ、25歳以上(さいいじょう)のすべての男子(だんし)が選挙権(せんきょけん)をもちました。ただし、女性(じょせい)の選挙権(せんきょけん)は認(みと)められず、同(おな)じ年(とし)には社会運動(しゃかいうんどう)を取(と)りしまる治安維持法(ちあんいじほう)もつくられました。

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