国学と蘭学とは?解体新書・伊能忠敬の日本地図・本居宣長の古事記伝をわかりやすく
教科書では:東京書籍「町人の文化と新しい学問」の「新しい学問・蘭学」「国学の発展と新しい時代への動き」/教育出版「新しい文化と学問」の「新しい学問」/日本文教出版「江戸の社会と文化・学問」の「蘭学のはじまり」「国学の広がりと子どもの教育」
- オランダ語の本を通して、西洋の学問を学ぶが広まりました。
- 杉田玄白・前野良沢らは『解体新書』を出し、伊能忠敬は正確な日本地図をつくりました。
- 本居宣長は、日本の古典を研究するを大成し、『古事記伝』を書きました。
江戸時代の人々は、どのようにして新しい学問を広めていったのだろう。
読み終えたら、下の「問いへの答え」を見る前に、自分の言葉で答えてみましょう。西洋の本が入ってくる
吉宗が外国の本の輸入を認める
江戸幕府は、キリスト教が広まるのをおそれ、西洋の本を日本に入れることをきびしく制限していました。
しかし、8代将軍の徳川吉宗は、実際の役に立つ学問を大切にしました。1720年、吉宗は、キリスト教に関係のない外国の本なら、輸入してよいことにしました。
さらに、青木昆陽や野呂元丈という学者に、オランダ語を学ばせました。
オランダ語で学ぶ「蘭学」
鎖国のもとで、ヨーロッパの国で日本と貿易をしていたのは、オランダだけでした。そのため、西洋の学問は、オランダ語の本を通して学ばれました。
オランダ語で西洋の学問を学ぶことを、蘭学といいます。
鎖国のあいだ、ヨーロッパの国で日本と行き来していたのはオランダだけでした。長崎の出島には、毎年オランダの船が来て、本や品物を運んできました。そのため、手に入れられた西洋の本の多くは、オランダ語で書かれていたのです。
8代将軍の徳川吉宗が外国の本の輸入を認め、オランダ語で西洋の学問を学ぶ蘭学がさかんになりました。
『解体新書』―杉田玄白と前野良沢
解剖を見て、本の正しさにおどろく
江戸の医者の杉田玄白と前野良沢は、オランダ語の解剖の本(人の体のつくりを説明した本)を手に入れていました。のちに『ターヘル・アナトミア』とよばれる本です。
あるとき玄白たちは、江戸で、亡くなった人の体の解剖を見学しました。そして、オランダの本の図が、実際の体とぴったり合っていることにおどろきました。
それまで日本で信じられていた体のつくりの説明には、まちがいが多かったのです。玄白たちは、この本を日本語に訳そうと決めました。

辞書もない中での翻訳
しかし、オランダ語の辞書はほとんどなく、わかる言葉は少しだけでした。玄白たちは、図と文を見くらべながら、1つの文を訳すのに何日もかけました。
そして1774年、ついに『解体新書』を出しました。日本で初めての、西洋の医学書の本格的な翻訳です。

『解体新書』によって、医学が大きく進みました。オランダ語の理解も進み、西洋の学問を学ぶ人が増えていきました。
1774年、杉田玄白と前野良沢らは、オランダ語の医学書を訳して『解体新書』を出しました。
伊能忠敬の日本地図
蘭学は、医学だけでなく、天文学や地理学などにも広がりました。
天文学や測量を学んだ伊能忠敬は、1800年、55才のときに、蝦夷地(今の北海道)の測量を始めました。それから1816年まで、10回にわたって全国の海岸線などを歩いて測量しました。

忠敬は1818年に亡くなりましたが、地図づくりは弟子たちに引きつがれました。1821年に、「大日本沿海輿地全図」(伊能図)が完成しました。実際に測って作ったこの地図は、とても正確でした。

- 1720年吉宗が、キリスト教に関係のない外国の本の輸入を認める
- 1774年杉田玄白・前野良沢らが『解体新書』を出す
- 1798年本居宣長が『古事記伝』を書き上げる
- 1800年伊能忠敬が、蝦夷地の測量を始める
- 1821年伊能図が完成する
伊能忠敬は全国を歩いて測量し、正確な日本地図をつくりました。
国学―本居宣長
日本のもともとの考え方を研究する
そのころ、日本の古い書物を研究する学問がさかんになりました。仏教や儒教が中国から伝わる前の、日本人のもともとの考え方を明らかにしようとしたのです。これを国学といいます。
幕府が大切にしていたのは、中国から伝わった儒教の学問(朱子学)でした。国学者たちは、日本のことを知るには、中国の学問とは別の方法が必要だと考えたのです。
『古事記伝』を書いた本居宣長
伊勢の松阪(今の三重県松阪市)の本居宣長は、1764年に国学者の賀茂真淵に入門しました。
そして、日本でもっとも古い歴史の本『古事記』の研究にうちこみ、30年あまりをかけて『古事記伝』を書き上げました。

『古事記』は、昔の書き方で書かれていて、読み方のむずかしい本でした。宣長は、一つ一つの言葉の読み方と意味を、ていねいに調べていきました。
国学は、日本の古典から日本人のもともとの考え方を研究する学問です。本居宣長は『古事記伝』を書き上げました。
この時代の人物



重要なところ
「蘭学=オランダ語で西洋の学問を学ぶ」と、組で覚えましょう。
国学は日本の古典、蘭学は西洋の学問、と分けて覚えましょう。
忠敬は地図の完成前の1818年に亡くなり、弟子たちが完成させました。
教科書では、この単元名です
- 東京書籍:「町人の文化と新しい学問」の授業「新しい学問・蘭学」「国学の発展と新しい時代への動き」
- 教育出版:「新しい文化と学問」の授業「新しい学問」
- 日本文教出版:「江戸の社会と文化・学問」の授業「蘭学のはじまり」「国学の広がりと子どもの教育」
学習指導要領(平成29年告示)では
第6学年の内容(2)ア(ク):歌舞伎や浮世絵、国学や蘭学から、町人の文化が栄え、新しい学問がおこったことを理解する。(学習指導要領コード 0263218000000)
たしかめ問題
オランダ語の本を通して、西洋の学問を学ぶことを何といいますか。
蘭学杉田玄白や前野良沢らが、オランダ語の解剖書を訳して出した本を何といいますか。
解体新書全国を歩いて測量し、正確な日本地図をつくった人はだれですか。
伊能忠敬『古事記伝』を書いて、国学を大成した人はだれですか。
本居宣長日本の古典を研究して、日本人のもともとの考え方を明らかにしようとした学問を何といいますか。
国学鎖国のもとでも、オランダとの貿易を通じて西洋の本が日本に入ってきました。杉田玄白や前野良沢は、オランダ語の医学書を苦労して日本語に訳し、『解体新書』を出しました。こうして始まった蘭学は、医学だけでなく、天文学や地理学などにも広がり、伊能忠敬は西洋の学問も取り入れて、正確な日本地図をつくりました。一方、本居宣長は、『古事記』などの古典を研究して、仏教や儒教が伝わる前の日本人の考え方を明らかにしようとしました。これが国学です。どちらの学問も、自分で確かめて真実を知ろうとする姿勢から生まれました。
出典
- 国立国会図書館「江戸時代の日蘭交流」第1部 3. 蘭学の興隆
- 山口県文書館「新しい学問と化政文化 蘭学(解体新書)」
- 杉田玄白『蘭学事始』(国立国会図書館デジタルコレクション、1890年刊)
- 国土地理院「伊能図 近代地図の原点」企画展の案内
- 国立国会図書館「あの人の直筆」第1部第2章第1節 国学者、儒学者(本居宣長)
- ジャパンナレッジ「古事記伝」(完成の年)
- 三重県「本居宣長記念館 体験レポート」
画像
- 『解体新書』序図(1774年)(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 『解体新書』序図(1774年)(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 『伊能忠敬』(大谷亮吉編著、1917年)の口絵「伊能忠敬肖像」(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 伊能忠敬日本図(中図) 江戸時代・19世紀(ColBase(東京国立博物館))
- 『古事記伝』巻1 本居宣長自筆稿本 1785〜1788年(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 「鷧齋杉田先生肖像」(石川大浪写)。『贈正四位杉田玄白先生事蹟』(1937年)の口絵(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 「徳川十五代記略 飛鳥井公吉宗公の前に蹴鞠之図」月岡芳年 1875年(明治時代に想像でえがいた絵)(東京都立中央図書館)